059(『淮南子』人間訓 より 塞翁が馬)
本文
近塞上之人、有善術者。馬無故亡而入胡。人皆弔之。其父曰、「(1)此何遽不為福乎。」居数月、其馬将胡駿馬而帰。人皆賀之。其父曰、「(2)此何遽不能為禍乎。」家富良馬、其子好騎、堕而折其髀。人皆弔之。其父曰、「此何遽不為福乎。」居一年、胡人大入塞、丁壮者引弦而戦。近塞之人、死者十九。(3)此独以跛之故、父子相保。故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也。
【書き下し文】
塞上(さいじょう)に近きの人に、術(じゅつ)を善(よ)くする者有り。馬、故(ゆゑ)無くして亡(に)げて胡(こ)に入る。人皆之を弔(ちょう)す。其の父(ちち)曰く、「(1)此(こ)れ何(なん)ぞ遽(にはか)に福(ふく)と為(な)らざらんや。」と。居(を)ること数月(すうげつ)、其の馬、胡の駿馬(しゅんめ)を将(ひき)ゐて帰る。人皆之を賀(が)す。其の父曰く、「(2)此れ何ぞ遽かに禍(か)と為(な)る能(あた)はざらんや。」と。家、良馬(りょうば)に富む。其の子、騎(の)るを好み、堕(お)ちて其の髀(ひ)を折る。人皆之を弔す。其の父曰く、「此れ何ぞ遽かに福と為らざらんや。」と。居ること一年、胡人(こじん)大(おほ)いに塞に入る。丁壮(ていそう)なる者、弦(げん)を引きて戦ふ。塞に近きの人、死する者十に九。(3)此(こ)れ独(ひと)り跛(は)の故を以て、父子(ふし)相(あひ)保つ。故に福の禍と為り、禍の福と為る、化(か)は極(きは)む可(べ)からず、深きこと測(はか)る可からざるなり。
【現代語訳】
【設問】
問1 傍線部(1)「此何遽不為福乎」と傍線部(2)「此何遽不能為禍乎」からうかがえる、老人の人生に対する考え方として、最も適当なものを次から選べ。
- どんな不幸な出来事も、前向きに考えれば必ず幸運に変えることができるという考え。
- 目先の出来事に一喜一憂せず、幸運と不運は常に移り変わるものだと静観する考え。
- 幸運は長くは続かないものなので、良いことがあった時こそ、気を引き締めるべきだという考え。
- 占術によって未来を予見できるので、人々の反応とは逆のことが起こると知っていたという考え。
問2 傍線部(3)「此独以跛之故、父子相保」で、息子が助かった直接の原因は何か。本文中から二字で抜き出して答えよ。
問3 この物語では、人々の反応(弔・賀)と、その後の出来事が対照的に描かれている。この対比によって、作者が浮き彫りにしようとしていることは何か。最も適当なものを次から選べ。
- 物事の表面的な吉凶に一喜一憂する一般の人々の浅はかさ。
- 他人の不幸を慰め、幸運を祝う、人間関係の美しさ。
- 占術に優れた老人のような、特別な能力を持つ人間の偉大さ。
- 戦争がもたらす悲劇と、平和な日常のありがたさ。
問4 この寓話が最終的に示す教訓(「故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也」)を最もよく説明しているものを、次の中から一つ選べ。
- 人間万事、塞翁が馬。
- 禍を転じて福と為す。
- 備えあれば患いなし。
- 人間、死ぬまで勉強。
【解答・解説】
問1:正解 2
- 老人は、馬が逃げた(凶)ときも駿馬を連れて帰ってきた(吉)ときも、人々のように一喜一憂せず、常に「これが逆の結果にならないと誰が言えようか」と冷静な態度を保っている。これは、幸運と不運は表裏一体であり、常に移り変わっていくものだという、物事の本質を見通した達観した考え方を示している。
問2:正解 跛
- 「此独以跛之故」は、「この息子だけが、跛(は=足が不自由なこと)の理由で」と訳せる。息子が兵役を免れ、父と共に無事でいられた直接の原因は、落馬によって足が不自由になったことである。
問3:正解 1
- 人々は馬が逃げれば「弔(お見舞い)」し、馬が増えれば「賀(お祝い)」し、息子が骨を折ればまた「弔」す。しかし、その後の結果はことごとく彼らの判断とは逆になっている。この対比を通じて、目先の出来事に左右される常識的な判断や感情がいかに当てにならないか、その浅はかさを浮き彫りにしている。
問4:正解 1
- 「人間万事、塞翁が馬(じんかんばんじ、さいおうがうま)」は、まさにこの故事から生まれたことわざで、「人生における幸不幸は予測できず、何が幸いし、何が災いするかわからない」という意味である。本文最後の「福の禍と為り、禍の福と為る、化は極む可からず、深きこと測る可からざるなり」という教訓そのものを指している。選択肢2は「自らの力で災いを幸運に変える」という能動的な意味合いが強く、この話の趣旨とは少し異なる。
【覚えておきたい知識】
重要句法
- 何遽不~乎 (なんぞにはかに~ざらんや):「どうして~でないといえようか、いや~であるかもしれない」。反語の形で、逆の可能性を示唆する。
- 将(ひき)ゐる:「(Aを)引き連れる」。
- ~者十九 (~ものじゅうにく):「~する者は十人のうち九人」。きわめて割合が高いことを示す表現。
重要単語
- 塞上(さいじょう):国境のとりで。
- 術(じゅつ):ここでは占術、物事の道理を見通す知恵。
- 胡(こ):中国の北方・西方に住む異民族の総称。
- 弔(ちょう)す:お悔やみを言う、気の毒に思って見舞う。
- 賀(が)す:お祝いを言う。
- 髀(ひ):ももの骨。大腿骨。
- 丁壮(ていそう):働き盛りの若者。
- 跛(は):足が不自由なこと。びっこ。
- 保(たも)つ:無事でいる、身を守る。
背景知識:人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)
出典は前漢の思想書『淮南子』人間訓。人生における幸運と不運は、予測がつかず、また常に変化しうるものであるという教え。安易に目の前の出来事に一喜一憂することの愚かさを説く。この故事は非常に有名で、ここから「塞翁が馬」または「人間万事塞翁が馬」ということわざが生まれた。単に「人生、何が起こるかわからない」という意味だけでなく、物事の本質を見極め、動じない心を持つことの重要性を示す深い教訓を含んでいる。