060(『史記』淮陰侯列伝 より 背水の陣)
本文
信乃使万人先行、出、背水陳。趙軍望見而大笑。平旦、信建大将之旗鼓、鼓行出井陘口。趙開壁撃之、大戦良久。於是信、詳棄鼓旗、走水上軍。水上軍開入之、復疾戦。趙軍果空壁争信鼓旗、逐信。信已入水上軍、軍皆殊死戦、不可敗。
信所出奇兵二千騎、疾駆趙壁、抜趙旗、立漢赤旗二千。趙軍已不能得信等、欲還帰壁、壁皆漢赤旗、大驚、以漢為皆已得趙王将矣、遂乱、遁走。漢軍夾撃、大破虜趙軍。
(1)諸将皆服、曰、「兵法、右背山陵、前左水沢。今者将軍令臣等反背水陳。曰、『破趙会食。』臣等不服。然竟以勝、此何術也。」信曰、「此在兵法、(2)顧諸君不察耳。兵法不曰、『陥之死地而後生、置之亡地而後存。』且信非得素拊循士大夫也、此所謂『駆市人而戦之』。其勢非置之死地、使人人自為戦。今予之生地、皆走、寧尚可得而用之乎。」
【書き下し文】
信(しん)、乃(すなは)ち万人をして先行し、出でて、水を背にして陳(じん)せしむ。趙軍、望み見て大いに笑ふ。平旦(へいたん)、信、大将の旗鼓(きこ)を建て、鼓して井陘口(せいけいこう)を出づ。趙、壁(へき)を開きて之を撃ち、大いに戦ふこと良(やや)久(ひさ)し。是(ここ)に於(お)いて信、詳(いつは)りて鼓旗を棄(す)て、水上(すいじょう)の軍に走る。水上の軍、開きて之を入れ、復(ま)た疾戦(しっせん)す。趙軍、果たして壁を空(むな)しうして信の鼓旗を争ひ、信を逐(お)ふ。信、已(すで)に水上の軍に入り、軍、皆殊死(しゅし)して戦ひ、敗る可(べ)からず。
信の出だせる奇兵(きへい)二千騎、疾(と)く趙の壁に駆(か)け、趙の旗を抜き、漢の赤旗(せっき)二千を立つ。趙軍、已に信等を所得(う)ること能(あた)はず、還(かへ)りて壁に帰らんと欲するに、壁は皆漢の赤旗なり。大いに驚き、漢を以て皆已に趙王の将を得たりと為し、遂(つひ)に乱れ、遁走(とんそう)す。漢軍、夾撃(きょうげき)し、大いに趙軍を破り虜(とりこ)にす。
(1)諸将(しょしょう)皆(みな)服し、曰く、「兵法に、右に山陵(さんりょう)を背にし、前に水沢(すいたく)を左にすと。今者(いま)、将軍、臣等をして反(かへ)りて水を背にして陳せしむ。曰く、『趙を破りて会食せん。』と。臣等服せざりき。然(しか)るに竟(つひ)に以て勝つ。此(こ)れ何の術(じゅつ)ぞや。」と。信曰く、「此は兵法に在り。(2)顧(た)だ諸君(しょくん)の察せざるのみ。兵法に曰はずや、『之を死地(しち)に陥(おとしい)れて後に生き、之を亡地(ぼうち)に置きて後に存す。』と。且(か)つ信、素(もと)より士大夫(したいふ)を拊循(ふじゅん)するを得たるに非(あら)ざるなり。此れ所謂(いはゆる)『市人(しじん)を駆(か)りて之と戦ふ』なり。其の勢(いきほ)ひ、之を死地に置きて、人をして人自(おの)づから戦はしむるに非ずんばあらず。今、之に生地(せいち)を予(あた)へば、皆走らん。寧(いづく)んぞ尚(な)ほ得て之を用う可けんや。」と。
【現代語訳】
(1)(戦いの後)諸将はみな感服して、言った、「兵法書には、『右に山や丘を背にし、前や左に川や沢を置くのが良い陣形だ』とあります。今回、将軍は我々に、逆に川を背にして陣を敷くよう命じられました。そして『趙を破ってから(ゆっくり)会食しよう』と。我々は正直、納得しておりませんでした。しかし、ついに勝利を収められました。これはいかなる戦術だったのでしょうか。」と。韓信は言った、「これも兵法書に書いてあることだ。(2)ただ、君たちが気づかなかっただけだ。兵法書にこうはないか、『兵士を死地に陥れてこそ、かえって生き残り、絶体絶命の地に置いてこそ、かえって存続する』と。それに、私は日頃から兵士たちを手なずけていたわけではない。これはいわば『素人集団を駆り立てて戦わせる』ようなものだ。その勢いでは、彼らを死地に置き、一人ひとりが自分のために必死に戦うようにさせなければならなかった。もし彼らに逃げ道となる安全な土地を与えていたら、皆逃げ出していただろう。どうして彼らを用いることなどできようか、いや、できなかっただろう。」と。
【設問】
問1 傍線部(1)「諸将皆服」とあるが、それまで諸将が「不服」だったのはなぜか。最も適当なものを次から選べ。
- 韓信が、戦いの前に「会食」などと軽々しい発言をしたから。
- 韓信の立てた作戦が、兵法の基本から大きく外れた危険なものに思えたから。
- 韓信が、自分たちに何も相談せず、独断で奇襲作戦を決めたから。
- 趙軍が大軍であり、まともに戦っても勝ち目はないと考えていたから。
問2 傍線部(2)「顧諸君不察耳」とあるが、韓信が諸将に「気づかなかった」と指摘している「兵法」の神髄とは何か。最も適当なものを次から選べ。
- 兵士をわざと絶体絶命の窮地に置くことで、彼らの潜在的な力を最大限に引き出すという心理戦術。
- 兵法書に書かれている陣形をあえて逆手に取ることで、敵の油断を誘うという奇策。
- 兵士の数や装備が劣っていても、地形を巧みに利用すれば勝利できるという地理戦術。
- 普段から兵士を手なずけておけば、どんな不利な状況でも忠誠を尽くして戦うという人心掌握術。
問3 韓信が今回「背水の陣」を用いた理由として、本文の内容に最も合致するものを次から選べ。
- 自軍が趙軍よりも数で圧倒的に勝っており、どんな陣形でも負けないという自信があったから。
- 自軍が寄せ集めの素人集団であり、逃げ場をなくさなければ必死に戦わないと考えたから。
- 川を背にすることで、敵に強力な布陣であると錯覚させ、攻撃をためらわせようとしたから。
- 兵法書に書かれた「死地」というものを、実際に兵士たちに体験させて訓練するため。
問4 このエピソードからうかがえる韓信の将軍としての特徴として、最も適当なものを次から選べ。
- 兵法書を金科玉条とし、書かれた通りに忠実に作戦を遂行する将軍。
- 兵法の定石を理解した上で、状況に応じてその本質を応用する、型破りで洞察力に優れた将軍。
- 兵士の命を駒のように扱い、勝利のためには多大な犠牲もいとわない冷徹な将軍。
- 部下の意見をよく聞き、常に合議の上で作戦を決定する民主的な将軍。
【解答・解説】
問1:正解 2
- 諸将のセリフに「兵法、右背山陵、前左水沢(兵法では、山を背にし、川を前にするのが良い)」とある。韓信の「反背水陳(逆に川を背にして陣を敷く)」という命令は、この兵法のセオリーから完全に外れていたため、彼らは「不服」だったのである。
問2:正解 1
- 韓信は「兵法不曰、『陥之死地而後生、置之亡地而後存』乎(兵法書に『死地に陥れてこそ生き、絶体絶命の地に置いてこそ存続する』とないか)」と引用している。これは、兵法の表面的な陣形のルールだけでなく、その奥にある「兵士の心理を操り、死に物狂いの力を引き出す」という本質的な戦術を指している。諸将は前者のルールしか見ておらず、後者の神髄に「気づかなかった」のである。
問3:正解 2
- 韓信は自軍を「所謂『駆市人而戦之』(いわば素人集団を駆り立てて戦わせるようなものだ)」と評している。このような士気の低い兵士たちは、もし逃げ道(生地)があればすぐに逃げてしまう。だからこそ、あえて逃げ道のない「死地」に置くことで、「人人自為戦(一人ひとりが自分のために必死に戦う)」状況を作り出す必要があった。これが「背水の陣」を採用した直接的な理由である。
問4:正解 2
- 韓信は兵法の定石(山を背に、川を前に)をよく知っていたが、それに固執しなかった。彼は、自軍の兵質(素人集団)と、兵法のもう一つの本質(死地に陥れて力を引き出す)を洞察し、常識破りの作戦を立てて勝利した。このことから、彼は定石を理解しつつも、状況に応じてそれを超えた応用ができる、型破りで優れた将軍であったことがわかる。
【覚えておきたい知識】
重要句法
- 使A動詞 (Aをして~しむ):「Aに~させる」。使役形。本文では「使万人先行」。
- 不可~ (~べからず):「~できない」。不可能。本文では「不可敗」。
- 非A、B也 (Aに非ず、Bなり):「Aではなく、Bである」。限定・強調。
- 寧~乎 (いづくんぞ~や):「どうして~だろうか、いや~ない」。反語形。
重要単語
- 韓信(かんしん):前漢の武将。劉邦に仕え、数々の戦いで天才的な軍才を発揮した。漢の天下統一における最大の功臣の一人。
- 陳(じん)す:軍隊を配置する、陣を敷く。
- 平旦(へいたん):夜明け。早朝。
- 詳(いつは)る:~のふりをする。偽る。
- 殊死(しゅし):決死の覚悟で戦うこと。
- 奇兵(きへい):伏兵。意表を突く部隊。
- 夾撃(きょうげき):挟み撃ち。
- 拊循(ふじゅん):手なずける、面倒をよくみる。
- 市人(しじん):町なかの普通の人々。ここでは「素人、烏合の衆」の意。
背景知識:背水の陣(はいすいのじん)
出典は『史記』淮陰侯列伝。漢の将軍・韓信が、自軍よりはるかに大軍である趙軍を破った「井陘の戦い」での故事。わざと自軍を川のほとりという逃げ場のない絶体絶命の場所に配置することで、兵士たちに「ここで戦わねば死ぬ」という覚悟をさせ、決死の力を引き出して勝利した。このことから、絶体絶命の状況で必死の覚悟で物事に臨むことのたとえとして、「背水の陣」という言葉が使われる。常識にとらわれない韓信の天才的な戦術を示す代表的なエピソードである。