097(『史記』留侯世家 より 張良の活躍)
本文
沛公旦日、従百余騎来見項王、至鴻門、謝曰、「臣与将軍戮力而攻秦、将軍戦河北、臣戦河南。然不自意能先入関破秦、得復見将軍於此。(1)今者有小人之言、令将軍与臣有郤。」項王曰、「此沛公左司馬曹無傷言之。不然、籍何以至此。」
項王即日、因留沛公、与飲。…(中略)…項伯、常引飲、以身翼蔽沛公。張良曰、「沛公、君王之賢人也。(2)臣為韓王送沛公、沛公具以事告臣、曰、『吾入関、秋毫不敢有所近。籍吏民、封府庫、而待将軍。所以遣将守関者、備他盗之出入、与非常也。』日夜望将軍至。豈敢反乎。(3)願伯具言臣之不敢倍徳也。」項伯許諾。
【書き下し文】
沛公(はいこう)、旦日(たんじつ)、百余騎(ひゃくよき)を従へ来たりて項王(こうおう)に見(まみ)え、鴻門(こうもん)に至り、謝して曰く、「臣(しん)、将軍と力を戮(あは)せて秦を攻むるに、将軍は河北に戦ひ、臣は河南に戦ふ。然(しか)れども自(みづか)ら意(おも)はざりき、能(よ)く先づ関に入りて秦を破り、復(ま)た将軍に此(ここ)に見ゆるを得んとは。(1)今者(いま)、小人(しょうじん)の言有りて、将軍をして臣と郤(げき)有らしむ。」と。項王曰く、「此れ沛公の左司馬(さしば)曹無傷(そうむしょう)の之を言へるなり。然らずんば、籍(せき)、何(なに)を以て此に至らん。」と。
項王、即日(そくじつ)、因(よ)りて沛公を留(とど)め、与(とも)に飲す。…(中略)…項伯(こうはく)、常に引きて飲み、身を以て沛公を翼蔽(よくへい)す。張良(ちょうりょう)曰く、「沛公は、君王の賢人なり。(2)臣、韓王(かんおう)の為に沛公を送るに、沛公、具(つぶ)さに事を以て臣に告げ、曰く、『吾、関に入り、秋毫(しゅうごう)も敢へて近づくる所有らず。吏民(りみん)を籍(せき)し、府庫(ふこ)を封(ほう)じ、而(して)将軍を待つ。将を遣(つか)はして関を守らしめし所以(ゆゑん)の者は、他盗(たとう)の出入と、非常とに備ふるなり。』と。日夜、将軍の至らんことを望む。豈(あ)に敢へて反(そむ)かんや。(3)願はくは伯、具さに臣の敢へて徳に倍(そむ)かざるを言へ。」と。項伯、許諾す。
【現代語訳】
項羽は、その日のうちに、劉邦を引き留めて、酒宴を共にした。…(中略)…項伯は、いつも(劉邦のそばで)杯を干しては、自分の体で翼のように劉邦をかばっていた。張良は(項伯に)言った、「沛公は、あなたの主君(項羽)と同じく賢明な人物です。(2)私が(私の主君である)韓王のために沛公をお送りした際、沛公は詳しく事情を私に告げて、言われました、『私は関中に入っても、秋の獣の細い毛筋一本ほども(私物化しようとは)決して思いませんでした。役人や人民の戸籍を調べ、宝物の蔵を封印して、ひたすら将軍(項羽)の到着をお待ちしておりました。将兵を派遣して関所を守らせた理由は、他の盗賊の出入りや、非常事態に備えるためです。』と。昼も夜も、将軍が来られるのを待ち望んでおりました。どうして謀反などを考えましょうか。(3)どうか項伯様、私が決して(項羽様の)ご恩に背く者ではないことを、詳しくお話しください。」と。項伯は承知した。
【設問】
問1 傍線部(1)「今者有小人之言、令将軍与臣有郤」という劉邦の言葉の意図として、最も適当なものを次から選べ。
- 項羽との不和の原因は、すべて密告者のせいであるとし、自分の責任を回避するため。
- 項羽との不和は、つまらない人間の誤解から生じたものであり、自分に謀反の意図はないことを示唆するため。
- 項羽の陣営に、主君の仲を裂こうとする裏切り者がいることを、それとなく警告するため。
- 自分と項羽は、小人の讒言などに動じない、固い信頼関係で結ばれていることを確認するため。
問2 傍線部(2)の張良の発言は、誰に、何を伝えることを目的としているか。最も適当な組み合わせを次から選べ。
- 【誰に】項伯に - 【何を】劉邦がいかに正直で、恩義を忘れない人物であるかということ。
- 【誰に】劉邦に - 【何を】項伯が、自分たちの味方であるということを安心させるため。
- 【誰に】項羽に - 【何を】自分(張良)が、韓王の正式な使者であるということを示すため。
- 【誰に】項伯に - 【何を】自分は劉邦の部下ではなく、対等な同盟者であるということ。
問3 傍線部(3)「願伯具言臣之不敢倍徳也」で、張良が項伯に仲介を頼んだのはなぜか。その背景にある張良の判断として、最も適当なものを次から選べ。
- 項伯が、項羽の叔父として、最も項羽に意見を聞き入れてもらいやすい立場にいるから。
- 項伯が、自分(張良)の旧友であり、命の恩人でもあるため、この頼みを断れないと分かっているから。
- 項伯が、劉邦と同じく仁徳のある人物であり、劉邦の真意を最もよく理解できると考えたから。
- 項伯が、もともと劉邦と内通しており、この場で劉邦を弁護するのが彼の役目だから。
問4 この場面における張良の役割として、最も適当なものを次から選べ。
- 絶体絶命の状況を的確に分析し、武力ではなく外交交渉によって活路を見出す、冷静な戦略家。
- 主君である劉邦の身の危険を顧みず、自らの命を懸けて敵陣に乗り込む、勇敢な武人。
- 敵陣の内部に協力者を作り、情報を巧みに操作して、敵の分裂を誘う、謀略家。
- 主君の劉邦に常に付き従い、その精神的な支えとなる、忠実な側近。
【解答・解説】
問1:正解 2
- 劉邦は、項羽の怒りの原因が「関中に王となろうとしている」という疑いにあることを知っている。そこで、その疑いは「小人(つまらない人間)」の「言(告げ口)」による誤解であると先に述べることで、自分に謀反の意図はないということを項羽に伝え、弁明の機会を得ようとしている。責任転嫁というよりは、事態を打開するための外交的な発言である。
問2:正解 1
- この場面は、「鴻門の会」の前夜、項羽の叔父である項伯が、旧友の張良を救うために劉邦の陣営を訪れた際の会話である。張良は、この機会を利用して、項伯に劉邦の真意を伝えている。「秋毫も近づくる所有らず(私物化しなかった)」「将軍を待つ」など、劉邦がいかに項羽に対して忠実で、約束を違えない人物であるかを具体的に説明し、項伯を通じて項羽の誤解を解こうとしている。
問3:正解 1, 2
- 張良が項伯に仲介を頼んだのは、彼が項羽の「叔父」であり、一族の重鎮として項羽に直接進言できる立場にあるからである(1)。また、項伯がこの場に来たのは、もともと張良との旧交を温め、命を救おうとしたからであり、張良はその恩義と友情に訴えかければ、断れないことを見抜いている(2)。この公的な立場と私的な関係の両方を利用した、張良の巧みな外交術である。
問4:正解 1
- この場面の張良は、一貫して冷静である。項羽の怒りの原因を探り、劉邦に謝罪を進言し、敵将である項伯との個人的なつながりを最大限に利用して、開戦を回避し、和平交渉のテーブル(鴻門の会)を設定した。武力ではなく、情報収集、分析、そして外交交渉によって、圧倒的に不利な状況を打開しようとする、優れた戦略家としての姿が描かれている。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 沛公(はいこう):劉邦のこと。
- 項王(こうおう):項羽のこと。
- 戮力(りくりょく):力を合わせる。
- 不自意(みづからおもはざりき):自分でも思いがけなかった。
- 小人(しょうじん):身分や人格の低い、つまらない人物。
- 郤(げき):隙間。転じて、不和。
- 項伯(こうはく):項羽の叔父。張良の旧友。
- 翼蔽(よくへい):鳥が翼で雛を覆うように、かばい守ること。
- 張良(ちょうりょう):劉邦の最も優れた参謀の一人。「漢の三傑」の一人。
- 秋毫(しゅうごう):秋の獣の細い毛。転じて、きわめてわずかなもののたとえ。
- 倍徳(はいとく):恩義にそむくこと。
背景知識:鴻門の会(こうもんのかい)
出典は『史記』項羽本紀。秦の滅亡後、項羽と劉邦が天下の覇権を争った「楚漢戦争」の序盤における、最も有名な逸話の一つ。本文は、その前夜の出来事を描いている。劉邦が先に関中を占領したことに激怒した項羽は、圧倒的な兵力で劉邦を滅ぼそうとする。この絶体絶命の危機を救ったのが、張良の外交手腕であった。彼は、項羽の叔父・項伯との旧交を利用して項羽の誤解を解き、劉邦が直接謝罪する場(鴻門の会)を設けさせた。この張良の活躍がなければ、劉邦はその場で滅ぼされ、後の漢王朝も存在しなかったとされる。