095(『史記』管晏列伝 より 管鮑の交わり)
本文
管仲夷吾者、潁上人也。少時、常与鮑叔牙遊。(1)鮑叔知其賢。管仲貧、常欺鮑叔。鮑叔終善遇之、不以為言。
已而、鮑叔事斉公子小白、管仲事公子糾。及小白立、為桓公、公子糾死、管仲囚焉。鮑叔遂進管仲。管仲既用、任政於斉、斉桓公以覇、九合諸侯、一匡天下、管仲之謀也。
管仲曰、「吾始困時、嘗与鮑叔賈、分財利多自与。鮑叔不以我為貪、知我貧也。吾嘗為鮑叔謀事、而更窮困。鮑叔不以我為愚、知時有利不利也。吾嘗三仕三見逐於君。鮑叔不以我為不肖、知我不遭時也。吾嘗三戦三走。鮑叔不以我為怯、知我有老母也。公子糾敗、召忽死之、吾幽囚受辱。鮑叔不以我為無恥、知我不羞小節、而恥功名不顕於天下也。(2)生我者父母、知我者鮑子也。」
【書き下し文】
管仲(かんちゅう)は夷吾(いご)は、潁上(えいじょう)の人なり。少(わか)き時、常に鮑叔牙(ほうしゅくが)と遊ぶ。(1)鮑叔、其の賢なるを知る。管仲貧しく、常に鮑叔を欺(あざむ)く。鮑叔、終(つひ)に善く之を遇し、以て言と為さず。
已(すで)にして、鮑叔は斉の公子(こうし)小白(しょうはく)に事(つか)へ、管仲は公子糾(きゅう)に事ふ。小白立ちて、桓公(かんこう)と為(な)るに及び、公子糾死し、管仲囚(とら)はる。鮑叔、遂に管仲を薦(すす)む。管仲既に用ゐられ、政(まつりごと)を斉に任(まか)され、斉の桓公、以て覇(は)たり。九たび諸侯を合はせ、一たび天下を匡(ただ)せるは、管仲の謀(はかりごと)なり。
管仲曰く、「吾、始め困(くる)しみし時、嘗(かつ)て鮑叔と賈(こ)し、財利を分かつに多く自ら与ふ。鮑叔、我を以て貪(どん)と為さず、我が貧なるを知ればなり。吾、嘗て鮑叔の為に事を謀りて、更に窮困(きゅうこん)す。鮑叔、我を以て愚と為さず、時に利不利有るを知ればなり。吾、嘗て三たび仕へて三たび君に逐(お)はる。鮑叔、我を以て不肖(ふしょう)と為さず、我の時に遭(あ)はざるを知ればなり。吾、嘗て三たび戦ひて三たび走(に)ぐ。鮑叔、我を以て怯(きょう)と為さず、我に老母有るを知ればなり。公子糾敗れ、召忽(しょうこつ)之に死し、吾、幽囚(ゆうしゅう)せられて辱(はじ)を受く。鮑叔、我を以て恥無しと為さず、我の小節(しょうせつ)を羞(は)ぢずして、功名(こうみょう)の天下に顕(あらは)れざるを恥づるを知ればなり。(2)我を生みし者は父母、我を知る者は鮑子(ほうし)なり。」と。
【現代語訳】
その後、鮑叔は斉の公子である小白に仕え、管仲は公子の糾に仕えた。やがて小白が即位して桓公となると、公子糾は殺され、管仲は囚われの身となった。鮑叔は、そこで桓公に管仲を推薦した。管仲が登用されると、斉の国政を任され、斉の桓公は彼のおかげで天下の覇者となった。九度も諸侯を会同させ、天下の秩序を一度正したのは、すべて管仲の謀略によるものであった。
(後に)管仲は言った、「私が昔、貧しく困っていた時、鮑叔と一緒に商売をして、利益を分ける際にいつも自分の方が多く取った。しかし鮑叔は、私のことを貪欲だとは思わなかった、私が貧しいことを知っていたからだ。私が鮑叔のために計画を立てて、かえって彼を困窮させたことがあった。しかし鮑叔は、私のことを愚かだとは思わなかった、時勢には有利な時と不利な時があることを知っていたからだ。私が三度、官に仕えて三度とも君主に追われた。しかし鮑叔は、私のことを無能だとは思わなかった、私が時節に恵まれていないことを知っていたからだ。私が三度、戦に出て三度とも逃げた。しかし鮑叔は、私のことを臆病だとは思わなかった、私に老いた母がいることを知っていたからだ。公子糾が(後継者争いに)敗れ、同僚の召忽は殉死し、私は囚われの身となって恥辱を受けた。しかし鮑叔は、私のことを恥知らずだとは思わなかった、私が目先の小さな節義を恥じるのではなく、自分の功績と名声が天下に知られないことを恥じている人間だと、知っていたからだ。(2)私を産んでくれたのは父母だが、私を(本当に)理解してくれたのは鮑叔、その人である。」と。
【設問】
問1 傍線部(1)「鮑叔知其賢」とあるが、鮑叔が管仲の「賢」を信じ続けていたことを示す行動として、本文に書かれていないものを一つ選べ。
- 管仲が商売で多く利益を取っても、貪欲だと思わなかった。
- 管仲が戦で逃げても、臆病者だと思わなかった。
- 管仲が君主に追われても、無能だと思わなかった。
- 管仲が貧しい時に、自分の財産を分け与えた。
問2 管仲が、公子糾が敗れた際に殉死せず、囚われの身となったことを、鮑叔が「恥無しと為さず(恥知らずだと思わなかった)」のはなぜか。最も適当なものを次から選べ。
- 管仲は、主君のために死ぬという小さな節義よりも、天下に功名を立てるという大きな目的を優先する人物だと理解していたから。
- 管仲は、もともと公子糾に仕えることを不本意に思っていたことを知っていたから。
- 管仲は、いずれ自分が助命してくれると信じて、死ななかったのだと分かっていたから。
- 管仲は、死ぬのが怖い臆病者ではなく、ただ生き延びたいだけだと同情したから。
問3 傍線部(2)「生我者父母、知我者鮑子也」という管仲の言葉に込められた、鮑叔への感謝の気持ちを最もよく表しているものはどれか。次から選べ。
- 鮑叔が、自分を斉の宰相という高い地位に推薦してくれたことへの感謝。
- 鮑叔が、貧しい自分に金銭的な援助を続けてくれたことへの感謝。
- 鮑叔が、表面的な行動に惑わされず、常に自分の本質と真意を理解し続けてくれたことへの感謝。
- 鮑叔が、自分を産んでくれた父母と同じくらい、自分の人生にとって大切な存在であることへの感謝。
問4 この故事から生まれた「管鮑の交わり」という言葉は、どのような友人関係を指すか。最も適当なものを次から選べ。
- 互いの才能を認め合い、良きライバルとして高め合う関係。
- 利害損得を抜きにして、互いに助け合う純粋な関係。
- 互いを深く理解し、どんな状況でも変わることなく信頼し合う、極めて親密な関係。
- 幼い頃から共に遊び、苦楽を分かち合った、気心の知れた関係。
【解答・解説】
問1:正解 4
- 選択肢1、2、3は、いずれも管仲自身の回想の中に具体的に述べられている。しかし、選択肢4の「自分の財産を分け与えた」という記述は、本文中には見られない。「常に鮑叔を欺く」という記述から、金銭的なやり取りで管仲が得をしていたことはわかるが、鮑叔が一方的に財産を与えたとは書かれていない。
問2:正解 1
- 管仲自身の言葉で、「我の小節を羞ぢずして、功名の天下に顕はれざるを恥づるを知ればなり(私が小さな節義を恥じるのではなく、功績と名声が天下に知られないことを恥じる人間だと知っていたからだ)」と明確に理由が述べられている。鮑叔は、管仲が主君一人のために死ぬ器ではなく、天下国家のために働くべき大人物だと理解していたのである。
問3:正解 3
- 管仲は、父母が自分に生命を与えてくれたことと、鮑叔が自分を理解してくれたことを対比している。これは、鮑叔の「理解」が、自分という人間を社会的に生かしてくれた、根源的な恩恵であったことを示している。人々が貪欲、愚か、無能、臆病、恥知らずと見なしたであろう全ての行動の裏にある、本当の自分を理解してくれたことへの、他に比べようのない深い感謝を表している。選択肢4も正しいが、なぜ大切なのかという理由にまで踏み込んでいる3がより深い説明となっている。
問4:正解 3
- この故事は、鮑叔が管仲の表面的な行動(利益を多く取る、戦から逃げる、殉死しない等)に惑わされず、常にその背後にある事情や、管仲の本当の器量を信じ続けたことを描いている。このことから、「管鮑の交わり」は、互いのことを深く理解し、信頼し合う、極めて親密で揺るぎない友情の代名詞となった。