094(『荀子』性悪篇 より 性悪説)
本文
人之性悪、其善者偽也。
今、(1)人之性、生而有好利焉。順是、故争奪生而辞譲亡焉。生而有疾悪焉。順是、故残賊生而忠信亡焉。生而有耳目之欲、有好声色焉。順是、故淫乱生而礼義文理亡焉。然則、従人之性、順人之情、必出於争奪、合於犯分乱理、而帰於暴。故必将有師法之化、礼義之道、(2)然後出於辞譲、合於文理、而帰於治。用此観之、人之性悪明矣。其善者偽也。
故(3)枸木必将待栝烝矯然後直。鈍金必将待礱厲然後利。今、人之性悪、必将待師法然後正、得礼義然後治。
【書き下し文】
人(ひと)の性(せい)は悪(あく)なり。其(そ)の善(ぜん)なる者は偽(ぎ)なり。
今、(1)人の性は、生まれながらにして利を好むこと有り。是(これ)に順(したが)ふ、故に争奪(そうだつ)生じて辞譲(じじょう)亡(ほろ)ぶ。生まれながらにして疾悪(しつお)有り。是に順ふ、故に残賊(ざんぞく)生じて忠信(ちゅうしん)亡ぶ。生まれながらにして耳目(じもく)の欲有り、声色(せいしょく)を好むこと有り。是に順ふ、故に淫乱(いんらん)生じて礼義(れいぎ)文理(ぶんり)亡ぶ。然(しか)らば則(すなは)ち、人の性に従ひ、人の情に順はば、必ず争奪に出で、犯分(はんぶん)乱理(らんり)に合して、暴に帰(き)せん。故に必ず将(まさ)に師法(しほう)の化(か)、礼義の道有るべくして、(2)然る後に辞譲に出で、文理に合して、治に帰す。此(これ)を用(もっ)て之を観(み)れば、人の性は悪なること明らかなり。其の善なる者は偽なり。
故に(3)枸木(こうぼく)は必ず将に栝烝(かつじょう)矯(きょう)を待ちて然る後に直し。鈍金(どんきん)は必ず将に礱厲(ろうれい)を待ちて然る後に利(り)あり。今、人の性悪なるは、必ず将に師法を待ちて然る後に正しく、礼義を得て然る後に治まる。
【現代語訳】
さて、(1)人の生まれつきの性質には、利益を好む心がある。これに従うと、その結果、奪い合いが生じて、譲り合いの精神はなくなってしまう。生まれながらにして、他人を憎む心がある。これに従うと、その結果、人を傷つけそこなうことが生じて、真心や信義はなくなってしまう。生まれながらにして、耳や目の欲求があり、美しい音や姿を好む心がある。これに従うと、その結果、風紀の乱れが生じて、社会の秩序や道徳はなくなってしまう。そうであるならば、人の生まれつきの性質に従い、感情のままに行動すれば、必ず奪い合いに発展し、身分秩序を侵し道理を乱すことになり、最終的には社会が乱暴な状態に陥るだろう。だから、必ず師の教えや法による教化、礼儀や道徳による導きがあって、(2)初めて譲り合いの精神が生まれ、社会の秩序に合致し、最終的には世の中が治まった状態になるのだ。このことから見れば、人の生まれつきの性質が悪であることは明らかである。人が善であるのは、後天的な努力によるものなのである。
だから、(3)曲がった木は、必ず矯正器具にかけて蒸したり、ためたりする加工を待って初めてまっすぐになる。なまくらな金属は、必ず砥石で研ぐのを待って初めて鋭利になる。今、人の生まれつきの性質が悪であるのも同様で、必ず師の教えや法を待って初めて正しくなり、礼儀を身につけて初めて行いが治まるのである。
【設問】
問1 傍線部(1)「人之性、生而有好利焉」に始まる一節で、荀子が人間の「性(生まれつきの性質)」を「悪」だと断定する根拠は何か。最も適当なものを次から選べ。
- 人間は、生まれつき他人を不幸に陥れることを喜ぶ、邪悪な心を持っているから。
- 人間は、生まれつき自分の欲望を優先する性質を持ち、それを放置すれば必ず社会の混乱を招くから。
- 人間は、善悪の判断基準を生まれつき持っておらず、欲望のままに行動してしまうから。
- 人間は、生まれつき怠惰な性質を持ち、努力しなければ悪の道に流されてしまうから。
問2 傍線部(2)「然後出於辞譲、合於文理、而帰於治」とあるが、荀子は、人が「悪」である生まれつきの性質を克服し、「善」の状態に至るために、何が不可欠だと考えているか。本文中から四字で抜き出して答えよ。
問3 傍線部(3)「枸木必将待栝烝矯然後直」のたとえが示している、荀子の「善」に対する考え方として最も適当なものを次から選べ。
- 善とは、人間が本来持っている良さを、外部の刺激によって引き出すことである。
- 善とは、人間の外部にある規範や教育によって、後から付け加えられるものである。
- 善とは、曲がった木をまっすぐにするように、人間の悪い部分を完全に取り除くことである。
- 善とは、生まれつきの性質を活かしつつ、社会に適応させることである。
問4 本文全体で展開される荀子の「性悪説」は、何を目的とした思想か。最も適当なものを次から選べ。
- 人間の本性の醜さを暴き、その救いがたい存在を嘆くため。
- 人間は悪であるから罰するしかないという、厳罰主義の正当性を主張するため。
- 人間は悪であるという現実を直視した上で、だからこそ教育や礼儀による教化が重要であると説くため。
- 人間は悪であるから、互いに争い、淘汰されていくのが自然の摂理であると主張するため。
【解答・解説】
問1:正解 2
- 荀子は、人間が生まれつき持つ「利を好む心」「疾悪(憎悪)」「耳目の欲」といった欲望(情)そのものを「悪」と定義している。なぜなら、それらに「順えば(従えば)」、「争奪」「残賊」「淫乱」といった社会的な混乱が「生じる」からである。つまり、個人の欲望の追求が、必然的に社会秩序の破壊につながる、という論理に基づいている。
問2:正解 師法 or 礼義
- 本文に「故に必ず将に師法の化、礼義の道有るべくして、然る後に辞譲に出で…」とある。人が善の状態になるためには、「師法(師の教えや法)」と「礼義(礼儀や道徳)」という、後天的な教化が不可欠であると説いている。どちらか一方で正解。
問3:正解 2
- 曲がった木が、それ自体の力でまっすぐになることはない。まっすぐになるためには、「栝烝矯(矯正器具)」という「外部の力」による加工が必要である。同様に、悪である人間の本性が善になるためには、「師法」「礼義」という「外部の規範」による教化が不可欠である、というのがこのたとえの趣旨である。善は内側から生じるのではなく、外側から付け加えられるものである、という考え方を示している。
問4:正解 3
- 荀子の性悪説は、人間への絶望を説くものではない。むしろ、「人の性は悪である」という厳しい現実認識を出発点として、「だからこそ、放任していてはダメなのだ」「だからこそ、聖人が作り出した師法や礼義による後天的な教育(偽)が決定的に重要なのだ」と主張するためのものである。性悪説は、教化の必要性と可能性を説くための土台なのである。