093(『三国志』蜀志・諸葛亮伝 より 水魚の交わり)
本文
(劉)備、往詣(諸葛)亮、凡三往、乃見。因屏人曰、「漢室傾頽、姦臣窃命、主上蒙塵。孤不度徳量力、欲信大義於天下。而智術浅短、遂用猖蹶、至于今日。然志猶未已。君謂計将安出。」
亮答曰、「…(中略)…若跨有荊・益、保其巌阻、西和諸戎、南撫夷越、外結好孫権、内修政理。天下有変、則命一上将将荊州之軍以向宛・洛、将軍身率益州之衆出於秦川。百姓孰敢不箪食壺漿、以迎将軍者乎。誠如是、則覇業可成、漢室可興矣。」
(1)備曰、「善。」於是与亮情好日密。関羽、張飛等不悦。備、(2)謂之曰、「孤之有孔明、猶魚之有水也。願諸君勿復言。」羽、飛乃止。
【書き下し文】
(劉)備(び)、往(ゆ)きて(諸葛)亮(りょう)を詣(いた)るに、凡(およ)そ三たび往き、乃(すなは)ち見る。因(よ)りて人を屏(しりぞ)けて曰く、「漢室(かんしつ)傾頽(けいたい)し、姦臣(かんしん)命(めい)を窃(ぬす)み、主上(しゅじょう)塵(ちり)を蒙(かうむ)る。孤(こ)、徳を度(はか)り力を量(はか)らずして、大義を天下に信(の)べんと欲す。而(しか)るに智術(ちじゅつ)浅短(せんたん)にして、遂(つひ)に用(もっ)て猖蹶(しょうけつ)し、今日に至る。然れども志、猶(な)ほ未だ已(や)まず。君、計(はかりごと)は将(まさ)に安(いづ)くにか出づべきと謂(おも)へるか。」と。
亮、答へて曰く、「…(中略)…若(も)し荊(けい)・益(えき)に跨有(こゆう)し、其の巌阻(がんそ)を保ち、西は諸戎(しょじゅう)と和し、南は夷越(いえつ)を撫(ぶ)し、外は孫権(そんけん)と好(よし)みを結び、内は政理(せいり)を修む。天下に変有らば、則ち一人の上将(じょうしょう)に命じて荊州の軍を将(ひき)ゐて以て宛(えん)・洛(らく)に向かはしめ、将軍、身(み)づから益州の衆を率ゐて秦川(しんせん)に出づ。百姓(ひゃくせい)、孰(たれ)か敢へて箪食壺漿(たんしこしょう)して、以て将軍を迎ふる者あらざらんや。誠に是(かく)の如(ごと)くんば、則ち覇業(はぎょう)成り、漢室興(おこ)る可(べ)し。」と。
(1)備曰く、「善(ぜん)なり。」と。是(ここ)に於いて亮と情好(じょうこう)日に密(みつ)なり。関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)等、悦(よろこ)ばず。備、(2)之に謂ひて曰く、「孤の孔明(こうめい)有るは、猶(な)ほ魚の水有るがごときなり。願はくは諸君、復た言ふこと勿(なか)れ。」と。羽、飛、乃ち止む。
【現代語訳】
諸葛亮は答えて言った、「…(中略)…もし、荊州と益州の二つの地を領有し、その険しい地勢を堅く守り、西方の諸民族と和睦し、南方の異民族を手なずけ、国外では孫権と同盟を結び、国内では政治をしっかりと整えるのです。そして天下に動乱が起きたならば、一人の大将に命じて荊州の軍を率いて宛・洛陽方面へ向かわせ、将軍(劉備)ご自身は益州の軍勢を率いて秦川方面へ出撃するのです。そうなれば、人民は誰が、弁当や飲み物を用意して、将軍をお迎えしないことがありましょうか(いや、皆が歓迎するでしょう)。本当にこのようになれば、覇業は達成され、漢王朝を復興することができるでしょう。」と。
(1)劉備は言った、「素晴らしい。」と。こうして、劉備と諸葛亮の親しい交わりは日ごとに密になっていった。しかし、関羽や張飛らは、これを快く思わなかった。劉備は、(2)彼らに向かって言った、「私が孔明を得たのは、ちょうど魚が水を得たようなものなのだ。どうか君たち、二度と不満を言わないでくれ。」と。関羽と張飛は、そこで(不満を言うのを)やめた。
【設問】
問1 傍線部(1)「備曰、『善』」とあるが、劉備が諸葛亮の策を素晴らしいと評価したのはなぜか。最も適当なものを次から選べ。
- それまで誰もが不可能だと考えていた、漢室復興の夢を語ってくれたから。
- 自分の現状を的確に分析し、具体的で壮大な国家戦略を示してくれたから。
- 自分の志を深く理解し、その実現のために命を懸けると誓ってくれたから。
- 宿敵である曹操を倒すための、画期的な奇策を提案してくれたから。
問2 関羽や張飛が「不悦(快く思わなかった)」のはなぜか。その心情として最も適当なものを次から選べ。
- 諸葛亮の立てた作戦が、あまりに壮大すぎて非現実的だと感じたから。
- 劉備が、新参の若者である諸葛亮を、自分たち古参の義兄弟よりも重んじているように見えて、嫉妬したから。
- 諸葛亮が、劉備だけでなく、自分たちのことまで見下しているような態度をとったから。
- 軍事の専門家でもない書生である諸葛亮が、国家の計略を立てることに不満を感じたから。
問3 傍線部(2)「孤之有孔明、猶魚之有水也」という劉備の言葉は、諸葛亮が自身にとってどのような存在かを述べたものか。最も適当なものを次から選べ。
- 自分の心を潤し、安らぎを与えてくれる、癒やしのような存在。
- 自分の覇業を達成するためには、一瞬たりとも欠かすことのできない、絶対不可欠な存在。
- 自分をより大きな世界へと導いてくれる、師であり水先案内人のような存在。
- 自分を意のままに動かし、采配を振るってくれる、優れた司令官のような存在。
問4 この逸話から生まれた「水魚の交わり」という言葉は、どのような人間関係を指すか。最も適当なものを次から選べ。
- 互いに相手の才能を認め合い、切磋琢磨するライバル関係。
- 互いに深く信頼し合い、離れることができないほど親密な関係。
- 主君と家臣という、身分はありながらも、互いに敬意を払う関係。
- 魚と水のように、一方がもう一方を利用する、利害関係。
【解答・解説】
問1:正解 2
- 劉備はそれまで「智術浅短にして、遂に用て猖蹶す(知恵も謀略も浅く、失敗を重ねてきた)」と自分の現状を嘆いていた。それに対し、諸葛亮は荊州・益州の確保、内政と外交の方針、そして天下統一への二段階の作戦という、具体的で実現可能な、そして壮大なビジョン(天下三分の計)を示した。これが、劉備が求めていた明確な国家戦略であったため、彼は「善」と感嘆したのである。
問2:正解 2
- 関羽と張飛は、劉備とは桃園の誓いで結ばれた義兄弟であり、創業以来の最も信頼すべき仲間であるという自負があった。それなのに、劉備がどこからか現れた若造の諸葛亮に、まるで師事するかのように毎日親密に接している(情好日に密なり)様子を見て、自分たちの存在が軽んじられているように感じ、嫉妬と不満を抱いたのである。
問3:正解 2
- 魚は水がなければ生きていけない。このたとえは、劉備にとって諸葛亮が、単に有能な部下というだけでなく、自身の志(漢室復興)を成し遂げ、覇業を打ち立てる上で、もはや生存に不可欠なほど絶対に必要な存在であることを示している。この強い言葉で、関羽や張飛の不満を一蹴しようとしたのである。
問4:正解 2
- 「水魚の交わり」は、劉備と諸葛亮のような、君主と臣下、あるいは上司と部下、友人同士などの間で、互いを深く信頼し、理解し合い、なくてはならない存在として、極めて親密に交際する間柄を指す言葉となった。離れることが考えられないほど、しっくりとした関係性のたとえである。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 劉備(りゅうび):三国時代の蜀の初代皇帝。字は玄徳。
- 諸葛亮(しょかつりょう):三国時代の蜀の丞相。字は孔明。天才的な軍師・政治家。
- 詣(いた)る:身分の高い人のもとへ出向く、訪ねる。
- 三顧の礼(さんこのれい):劉備が諸葛亮を迎えるために三度も訪ねたこの故事から、目上の人が賢者を迎えるために、礼を尽くすことのたとえ。
- 孤(こ):王侯の一人称。謙譲語。
- 猖蹶(しょうけつ):つまずき失敗すること。
- 天下三分の計(てんかさんぶんのけい):諸葛亮が劉備に示した国家戦略。魏・呉・蜀で天下を三分し、機を見て天下統一を目指すというもの。
- 箪食壺漿(たんしこしょう):竹の器に入れた飯と、壺に入れた飲み物。民衆が軍隊を心から歓迎することのたとえ。
- 情好(じょうこう):親しい交わり。
背景知識:水魚の交わり(すいぎょのまじわり)
出典は『三国志』蜀志・諸葛亮伝。劉備が、自分の下に仕えることになった諸葛亮を深く信頼し、関羽・張飛ら古参の部下がその親密ぶりに不満を漏らした際に、彼らを諭した言葉に由来する。君主と臣下、あるいは友人同士が、魚と水のように、互いにとって不可欠で、非常に親密な関係にあることのたとえ。「三顧の礼」と共に、劉備が諸葛亮という大賢者を得たことを象徴する逸話として非常に有名である。