092(『戦国策』斉策 より 蛇足)

本文

昭陽為楚伐魏、覆軍殺将、得八城。移兵而攻斉。陳軫為斉王使、見昭陽、再拝而賀戦勝。…(中略)…因問曰、「楚国之法、覆軍殺将、官爵何也。」昭陽曰、「官為上柱国、爵為上執珪。」陳軫曰、「(1)今、君、王之枝葉畢増、何如。」昭陽曰、「然。」
陳軫曰、「楚有祠者。賜其舎人卮酒。舎人相謂曰、『数人飲之不足、一人飲之有余。請画地為蛇、先成者飲酒。』一人蛇先成、引酒且飲之。乃左手持卮、右手画蛇曰、『吾能為之足。』未成、一人之蛇成。奪其卮曰、『(2)蛇固無足。子安能為之足。』遂飲其酒。為蛇足者、終亡其酒。今君相楚而攻魏、破軍殺将、得八城。兵勁彊、威振諸侯。(3)今、君、王之枝葉畢増、何如。」

【書き下し文】
昭陽(しょうよう)、楚の為に魏を伐ち、軍を覆(くつがへ)し将を殺し、八城を得たり。兵を移して斉を攻めんとす。陳軫(ちんしん)、斉王の為に使ひし、昭陽に見(まみ)え、再拝して戦勝を賀す。…(中略)…因(よ)りて問ひて曰く、「楚国の法に、軍を覆し将を殺さば、官爵(かんしゃく)は何ぞや。」と。昭陽曰く、「官は上柱国(じょうちゅうこく)と為り、爵は上執珪(じょうしつけい)と為る。」と。陳軫曰く、「(1)今、君、此を以て、官無きに等し。願はくは君、兵を移して斉を攻め、斉の勝ちを得よ。」と。昭陽曰く、「然り。」と。
陳軫曰く、「楚に祠る者有り。其の舎人に卮酒を賜ふ。舎人相謂ひて曰く、『数人にて之を飲まば足らず、一人にて之を飲まば余り有り。請ふ、地を画きて蛇を為り、先づ成る者、酒を飲まん。』と。一人の蛇、先づ成る。酒を引きて将に之を飲まんとす。乃ち左手に卮を持ち、右手に蛇を画きて曰く、『吾、能く之が足を為る。』と。未だ成らざるに、一人の蛇成る。其の卮を奪ひて曰く、『(2)蛇は固より足無し。子、安くんぞ能く之が足を為るや。』と。遂に其の酒を飲む。蛇の足を為りし者は、終に其の酒を亡へり。今、君、楚に相(しょう)として魏を攻め、軍を破り将を殺し、八城を得たり。兵勁彊(けいきょう)にして、威(い)は諸侯に振(ふる)ふ。(3)此れ、名も亦、已に極まれり。更に兵を進むるは、蛇足を為るがごときなり。」と。昭陽、是なりとし、兵を罷めて帰る。

【現代語訳】
(楚の将軍である)昭陽が、楚のために魏を討伐し、敵軍を壊滅させ敵将を討ち取り、八つの城を手に入れた。さらに軍を転じて斉を攻めようとした。斉の国の使者である陳軫が、昭陽に会い、二度拝礼して戦勝を祝った。…(中略)…そして尋ねて言った、「楚の国の法律では、敵軍を壊滅させ敵将を討ち取った場合、どのような官位と爵位が与えられるのですか。」と。昭陽は、「官位は上柱国(最高位の武官)、爵位は上執珪(最高位の貴族)だ。」と答えた。陳軫は、「(1)これ以上、あなたに与えられる官位はありません。どうか軍を転じて斉を攻め、勝利を手に入れてください。」と。(昭陽は、陳軫が攻撃を煽っていると思い)「その通りだ。」と言った。
(しかし)陳軫は言った、「楚に先祖を祀る人がおりました。(儀式の後)家来たちに一壺の酒を与えました。家来たちは相談して言いました、『数人で飲むには足りないが、一人で飲むには余る。地面に蛇の絵を描き、一番先に描き上げた者が酒を飲もう。』と。ある男の蛇が一番先に完成しました。彼は酒を引き寄せまさに飲もうとしましたが、左手に酒壺を持ち、右手で絵を描き足しながら言いました、『おれはこいつに足を描けるぞ。』と。しかし、足が描き終わらないうちに、別の男の蛇が完成しました。その男は酒壺を奪い取って言いました、『(2)蛇にはもともと足はない。君はどうして足を描くことなどできるのか(いや、できない)。』と。そして、とうとうその酒を飲んでしまいました。蛇に足を描き足した男は、結局その酒を飲みそこなったのです。さて、将軍。あなたは楚の宰相として魏を攻め、軍を破り将を殺し、八つの城を手に入れました。軍は精強で、その威光は諸侯に鳴り響いています。(3)これで、あなたの名声もまた、既に行き着くところまで来ています。これ以上、軍を進めるのは、蛇に足を描き足すようなものです。」と。昭陽は、もっともだと思い、軍を撤退させて国へ帰った。

【設問】

問1 傍線部(1)で、陳軫はなぜわざと昭陽に斉を攻めるようけしかけるような発言をしたのか。その意図として最も適当なものを次から選べ。

  1. 斉の使者としての本心を隠し、まず昭陽を油断させるため。
  2. 昭陽をあえておだてることで、後のたとえ話の効果を高めるため。
  3. 斉と楚が戦うことのメリットを、昭陽に真剣に考えさせるため。
  4. 昭陽の戦功が既に最高位に達していることを、逆説的に確認させるため。

問2 傍線部(2)「蛇固無足。子安能為之足」という、酒を奪った男の主張の根幹にある論理として最も適当なものを次から選べ。

  1. 足を描いた絵は、もはや「蛇」ではないため、競争の条件を満たしていない。
  2. 足を描くという余計な時間を使ったため、実質的には自分の方が早く完成させたことになる。
  3. 蛇に足を描くという行為は、神聖な競争を冒涜するものである。
  4. 最初に完成させた男が、勝利の権利を自ら放棄したとみなされる。

問3 陳軫は、昭陽のどのような行為を「蛇足を為るがごとき」とたとえているか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 魏を攻めた後、さらに斉を攻めようとしていること。
  2. 最高位の官爵を得た後、さらに領地を求めようとしていること。
  3. 戦勝に驕り、部下に対して傲慢な態度をとっていること。
  4. 斉の使者である自分に対し、戦勝を自慢していること。

問4 この逸話から、陳軫のどのような人物像がうかがえるか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 相手のプライドを巧みにくすぐりながら、巧みな比喩を用いて相手を説得する、優れた弁論術を持つ人物。
  2. 自国の危機を救うためなら、敵将に媚びへつらうことも厭わない、現実的な外交官。
  3. 遠回しな表現を好み、相手に真意を悟らせることで満足する、思索的な人物。
  4. 正々堂々と相手の非を鳴らし、自国の正当性を主張する、剛直な人物。
【解答・解説】

問1:正解 4

問2:正解 1

問3:正解 1

問4:正解 1

【覚えておきたい知識】

重要単語

背景知識:蛇足(だそく)

出典は『戦国策』斉策。この話は、戦国時代、斉の国の将軍であった昭陽が、楚を攻めて勝利した後、さらに魏を攻めようとした際に、弁士の陳軫が、昭陽の功績がすでに十分であることを説き、これ以上戦を続けて失敗すれば、今までの功績まで失いかねないと諌めるために用いた寓話である。ここから、あっても益がないばかりか、かえって害になる余計なもののたとえとして「蛇足」という言葉が生まれた。「画竜点睛」が、最後の仕上げの重要性を説くのに対し、「蛇足」はやり過ぎの弊害を説く、対照的な教訓と言える。

レベル:共通テスト標準|更新:2025-07-26|問題番号:092