088(『史記』淮陰侯列伝 より 背水の陣)
本文
信乃使万人先行、出、背水陳。趙軍望見而大笑。平旦、信建大将之旗鼓、鼓行出井陘口。趙開壁撃之、大戦良久。於是信、詳棄鼓旗、走水上軍。水上軍開入之、復疾戦。趙軍果空壁争信鼓旗、逐信。信已入水上-軍、軍皆殊死戦、不可敗。
信所出奇兵二千騎、疾駆趙壁、抜趙旗、立漢赤旗二千。趙軍已不能得信等、欲還帰壁、壁皆漢赤旗、大驚、以漢為皆已得趙王将矣、遂乱、遁走。漢軍夾撃、大破虜趙軍。
(1)諸将皆服、曰、「兵法、右背山陵、前左水沢。今者将軍令臣等反背水陳。曰、『破趙会食。』臣等不服。然竟以勝、此何術也。」信曰、「此在兵法、(2)顧諸君不察耳。兵法不曰、『陥之死地而後生、置之亡地而後存。』且信非得素拊循士大夫也、此所謂『駆市人而戦之』。其勢非置之死地、使人人自為戦。(3)今予之生地、皆走、寧尚可得而用之乎。」
【書き下し文】
信(しん)、乃(すなは)ち万人をして先行し、出でて、水を背にして陳(じん)せしむ。趙軍、望み見て大いに笑ふ。平旦(へいたん)、信、大将の旗鼓(きこ)を建て、鼓して井陘口(せいけいこう)を出づ。趙、壁(へき)を開きて之を撃ち、大いに戦ふこと良(やや)久(ひさ)し。是(ここ)に於(お)いて信、詳(いつは)りて鼓旗を棄(す)て、水上(すいじょう)の軍に走る。水上の軍、開きて之を入れ、復(ま)た疾戦(しっせん)す。趙軍、果たして壁を空(むな)しうして信の鼓旗を争ひ、信を逐(お)ふ。信、已(すで)に水上の軍に入り、軍、皆殊死(しゅし)して戦ひ、敗る可(べ)からず。
信の出だせる奇兵(きへい)二千騎、疾(と)く趙の壁に駆(か)け、趙の旗を抜き、漢の赤旗(せっき)二千を立つ。趙軍、已に信等を所得(う)ること能(あた)はず、還(かへ)りて壁に帰らんと欲するに、壁は皆漢の赤旗なり。大いに驚き、漢を以て皆已に趙王の将を得たりと為し、遂(つひ)に乱れ、遁走(とんそう)す。漢軍、夾撃(きょう撃)し、大いに趙軍を破り虜(とりこ)にす。
(1)諸将(しょしょう)皆(みな)服し、曰く、「兵法に、右に山陵(さんりょう)を背にし、前に水沢(すいたく)を左にすと。今者(いま)、将軍、臣等をして反(かへ)りて水を背にして陳せしむ。曰く、『趙を破りて会食せん。』と。臣等服せざりき。然(しか)るに竟(つひ)に以て勝つ。此(こ)れ何の術(じゅつ)ぞや。」と。信曰く、「此は兵法に在り。(2)顧(た)だ諸君(しょくん)の察せざるのみ。兵法に曰はずや、『之を死地(しち)に陥(おとしい)れて後に生き、之を亡地(ぼうち)に置きて後に存す。』と。且(か)つ信、素(もと)より士大夫(したいふ)を拊循(ふじゅん)するを得たるに非(あら)ざるなり。此れ所謂(いはゆる)『市人(しじん)を駆(か)りて之と戦ふ』なり。其の勢(いきほ)ひ、之を死地に置きて、人をして人自(おの)づから戦はしむるに非ずんばあらず。(3)今、之に生地(せいち)を予(あた)へば、皆走らん。寧(いづく)んぞ尚(な)ほ得て之を用う可けんや。」と。
【現代語訳】
(1)(戦いの後)諸将はみな感服して、言った、「兵法書には、『右に山や丘を背にし、前や左に川や沢を置くのが良い陣形だ』とあります。今回、将軍は我々に、逆に川を背にして陣を敷くよう命じられました。そして『趙を破ってから(ゆっくり)会食しよう』と。我々は正直、納得しておりませんでした。しかし、ついに勝利を収められました。これはいかなる戦術だったのでしょうか。」と。韓信は言った、「これも兵法書に書いてあることだ。(2)ただ、君たちが気づかなかっただけだ。兵法書にこうはないか、『兵士を死地に陥れてこそ、かえって生き残り、絶体絶命の地に置いてこそ、かえって存続する』と。それに、私は日頃から兵士たちを手なずけていたわけではない。これはいわば『素人集団を駆り立てて戦わせる』ようなものだ。その勢いでは、彼らを死地に置き、一人ひとりが自分のために必死に戦うようにさせなければならなかった。(3)もし今、彼らに逃げ道となる安全な土地を与えていたら、皆逃げ出していただろう。どうして彼らを用いることなどできようか、いや、できなかっただろう。」と。
【設問】
問1 趙軍が、韓信の「背水陳」を見て「大笑」したのはなぜか。最も適当なものを次から選べ。
- 川を背にした陣形が、見た目に滑稽であったから。
- 兵法の初歩的な禁じ手を犯しており、韓信を素人だと侮ったから。
- 自軍が圧倒的多数であり、どんな陣形でも負けるはずがないと驕っていたから。
- 川が増水しており、韓信軍が自滅するだろうと予測したから。
問2 傍線部(2)「顧諸君不察耳」とあるが、韓信によれば、諸将が「察せざる(気づかなかった)」兵法の原則とは何か。最も適当なものを次から選べ。
- 地形の有利不利を論じる原則。
- 兵士の心理を巧みに利用する原則。
- 伏兵を効果的に用いる原則。
- 敵の油断を誘う原則。
問3 傍線部(3)「今予之生地、皆走、寧尚可得而用之乎」の解釈として、最も適当なものを次から選べ。
- もし兵士たちに安全な土地を与えたら、皆勇敢に戦うだろうから、用いることができるだろう。
- もし兵士たちに安全な土地を与えたら、皆逃げ出してしまうだろうから、どうして用いることなどできようか。
- 兵士たちが安全な土地を求めて皆で走っていくのを、どうしてうまく用いることができようか。
- 兵士たちが皆で走って安全な土地を得たなら、どうして彼らをこれ以上用いる必要があろうか。
問4 この戦いにおける韓信の戦術全体を考慮した上で、彼の将軍としての能力を最もよく説明しているものを次から選べ。
- 兵法の定石に固執し、教科書通りの戦い方を得意とする。
- 兵士の心理操作に長けているが、奇襲や伏兵などの策略は用いない。
- 兵法の定石と、その裏にある心理原則の両方を熟知し、状況に応じて使い分けることができる。
- 自軍の兵士の質を信頼せず、常に危険な賭けに頼る戦い方をする。
【解答・解説】
問1:正解 2
- 諸将のセリフにあるように、兵法の定石では、川や沢は前に置くものであり、背にするのは逃げ道を失う最悪の陣形とされる。趙軍は、敵である韓信がそのような基本的な禁じ手を犯したのを見て、指揮官として未熟であると見くびり、勝利を確信して大笑いしたのである。
問2:正解 2
- 諸将は「右背山陵、前左水沢」という地形に関する「形」の兵法しか知らなかった。しかし韓信は、兵法には「陥之死地而後生(死地に陥れてこそ生きる)」という、兵士の「心理」に関する、より深い原則もあることを指摘した。諸将が気づかなかったのは、この心理戦術の側面である。
問3:正解 2
- 「生地」は「生きる土地」、つまり逃げ道のある安全な場所を指す。「皆走らん」は「皆逃げるだろう」という推測。「寧~乎」は「どうして~できようか、いやできない」という強い反語である。全体を訳すと、「もし彼らに安全な逃げ場を与えていたら、皆逃げ出してしまっただろう。どうして(そんな彼らを)用いることができただろうか、いやできなかっただろう」となり、選択肢2が正しい解釈となる。
問4:正解 3
- 韓信は、兵法の定石を諸将に語れるほど熟知していた。その上で、今回は自軍が「市人(素人集団)」であるという特殊な状況を鑑み、あえて定石を破り、「死地」の原則を適用した。さらに、背水の陣で敵主力を引きつけている間に、「奇兵(伏兵)」で敵の本拠地を奪うという策略も見事に成功させている。これらは、彼が定石と心理、策略をすべて理解し、状況に応じて最適解を導き出せる、卓越した将軍であったことを示している。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 韓信(かんしん):前漢の武将。劉邦に仕え、数々の戦いで天才的な軍才を発揮した。漢の天下統一における最大の功臣の一人。
- 陳(じん)す:軍隊を配置する、陣を敷く。
- 平旦(へいたん):夜明け。早朝。
- 詳(いつは)る:~のふりをする。偽る。
- 殊死(しゅし):決死の覚悟で戦うこと。
- 奇兵(きへい):伏兵。意表を突く部隊。
- 夾撃(きょうげき):挟み撃ち。
- 拊循(ふじゅん):手なずける、面倒をよくみる。
- 市人(しじん):町なかの普通の人々。ここでは「素人、烏合の衆」の意。
- 死地(しち)/亡地(ぼうち):逃げ場のない、絶体絶命の場所。
- 生地(せいち):生き残れる場所、逃げ道のある安全な場所。
背景知識:背水の陣(はいすいのじん)
出典は『史記』淮陰侯列伝。漢の将軍・韓信が、自軍よりはるかに大軍である趙軍を破った「井陘の戦い」での故事。わざと自軍を川のほとりという逃げ場のない絶体絶命の場所に配置することで、兵士たちに「ここで戦わねば死ぬ」という覚悟をさせ、決死の力を引き出して勝利した。このことから、絶体絶命の状況で必死の覚悟で物事に臨むことのたとえとして、「背水の陣」という言葉が使われる。常識にとらわれない韓信の天才的な戦術を示す代表的なエピソードである。