087(『後漢書』楊震伝 より 四知)
本文
(楊震)遷東萊太守。当之郡、道経昌邑。故所挙荊州茂才王密、為昌邑令、謁見。至夜、懐金十斤、以遺震。震曰、「(1)故人知君、君不知故人、何也。」密曰、「暮夜無知者。」震曰、「(2)天知、神知、我知、子知。何謂無知。」密愧而出。
後遷涿郡太守。性公廉、不受私謁。子孫常蔬食、歩行。故旧或欲令為開産業。震不肯曰、「(3)使後世人謂之為清白吏子孫、以此遺之、不亦厚乎。」
【書き下し文】
(楊震(ようしん))、東萊(とうらい)の太守(たいしゅ)に遷(うつ)る。郡に之(ゆ)くに当(あた)り、道、昌邑(しょうゆう)を経(ふ)。故(もと)挙(あ)げし所の荊州(けいしゅう)の茂才(もさい)王密(おうみつ)、昌邑の令(れい)と為(な)り、謁見(えっけん)す。夜に至り、金十斤(きんじっきん)を懐(いだ)き、以て震に遺(おく)る。震曰く、「(1)故人(こじん)は君を知るに、君は故人を知らず、何ぞや。」と。密曰く、「暮夜(ぼや)にして知る者無し。」と。震曰く、「(2)天知(し)り、神(しん)知り、我知り、子(し)知る。何ぞ知る無しと謂(い)ふか。」と。密、愧(は)ぢて出づ。
後、涿郡(たくぐん)の太守に遷る。性(せい)公廉(こうれん)にして、私謁(しえつ)を受けず。子孫、常に蔬食(そし)し、歩行す。故旧(こきゅう)或(ある)いは産業を開かしめんと欲す。震、肯(がへん)ぜずして曰く、「(3)後世の人をして之を謂ひて清白吏(せいはくり)の子孫と為(な)さしむ。此を以て之に遺す、亦(ま)た厚からずや。」と。
【現代語訳】
後に、涿郡の長官に転任した。その人柄は公平で清廉潔白であり、個人的な面会や贈り物を受け付けなかった。彼の子孫は、常に質素な野菜中心の食事をとり、移動は徒歩であった。昔からの友人たちが、彼に子孫のための財産作りをさせようとすることがあった。しかし楊震は承知せずに言った、「(3)後の世の人々に、彼らを『清廉潔白な役人の子孫だ』と言わせること。これを(財産として)彼らに残すのだ、なんと手厚いことではないか。」と。
【設問】
問1 傍線部(1)「故人知君、君不知故人、何也」という楊震の言葉に込められた、王密への感情として最も適当なものを次から選べ。
- 自分が推薦した人物が、賄賂を贈るような人間になったことへの、深い失望と悲しみ。
- 自分のことを理解せず、金品で汚職に誘おうとする王密の行為への、強い怒り。
- 旧友の訪問を喜んでいたのに、その下心を知ってしまったことへの、寂しさと残念な気持ち。
- 自分が清廉な人物であることが、まだ十分に知られていないことへの、もどかしさ。
問2 傍線部(2)「天知、神知、我知、子知。何謂無知」という楊震の言葉が示す、彼の倫理観として最も適当なものを次から選べ。
- 人の行いは、たとえ他人が見ていなくても、神仏が必ず見ており、いずれ裁きが下されるという考え。
- 不正行為は、当事者である自分と相手が知っている以上、決して「誰も知らない」ことにはならないという考え。
- 人の行いの善悪は、最終的には自分自身の良心だけが知っているという考え。
- 人の行いは、たとえ隠しても、天や神、そして自分や相手が知っており、決して秘密にはできないという考え。
問3 傍線部(3)「使後世人謂之為清白吏子孫、以此遺之、不亦厚乎」という楊震の言葉に示されている、彼が子孫に残そうとした最も大切な「財産」とは何か。最も適当なものを次から選べ。
- 清廉潔白な役人であったという、父(祖父)の名誉。
- 贅沢をしなくても生きていける、質素倹約の精神。
- たとえ貧しくとも、誇り高く生きていくための教え。
- 正直に生きていれば、いつか必ず報われるという信念。
問4 この文章全体からうかがえる、楊震の人物像として最も適当なものを次から選べ。
- 他人の目がないところでは、誰でも過ちを犯してしまうという、人間の弱さを深く理解した人物。
- 他人に厳しく、自分にも厳しいが、一度認めた相手には深い愛情を注ぐ人物。
- 世間の評判や私的な利益よりも、自らの良心と公人としての潔白さを貫く、非常に高潔な人物。
- 自分の清廉さを誇示することで、かえって他人を遠ざけてしまう、融通のきかない人物。
【解答・解説】
問1:正解 1
- 楊震はかつて王密を「茂才(秀才)」として推薦した。それは彼の才能だけでなく、人格をも信頼してのことだったはずである。その自分が引き立てた人物が、夜陰に乗じて賄賂を届けに来た。このことは、楊震にとって、自分の人を見る目がなかったのかという失望と、期待を裏切られた悲しみを伴うものであった。彼の言葉は、単なる怒り以上に、深い残念な気持ちを表している。
問2:正解 4
- 王密は「暮夜無知者(夜更けで誰も知らない)」という、他人の目がないことを言い訳にした。それに対し、楊震は「天・神・我・子」という四者を挙げて反論した。これは、①人知を超えた存在(天・神)と、②当事者である自分自身(我・子)が知っている以上、決して秘密にはできない、という考え方である。人の目をごまかせても、普遍的な摂理と自らの良心からは逃れられないという、彼の絶対的な倫理観を示している。
問3:正解 1
- 楊震は、金銭や土地といった物質的な財産(産業)を子孫に残すことを拒否した。その代わりに彼が残そうとしたのは、「清白吏の子孫(清廉潔白な役人の子孫だ)」という、後の世からの「評判」、つまり父祖の名誉である。彼は、この汚れない名誉こそが、何物にも代えがたい手厚い遺産(厚からずや)だと考えている。
問4:正解 3
- 楊震は、夜陰に乗じた旧友からの賄賂を「四知」の論理で断固として拒絶し、また、子孫のために財産を残すことよりも、「清白吏」という名誉を遺産とすることを良しとした。これらのエピソードは、彼が、個人的な人間関係や私的な利益、さらには家族の将来の安泰よりも、公人としての清廉潔白さと、自らの良心に従うことを最優先する、極めて高潔な人物であったことを一貫して示している。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 楊震(ようしん):後漢の名臣。「関西の孔子」と称されるほどの学者でもあった。
- 太守(たいしゅ):郡の長官。
- 茂才(もさい):秀才と同じ。漢代の官吏登用制度の一つで、地方から推挙された優秀な人材。
- 故人(こじん):旧友、昔なじみ。
- 暮夜(ぼや):夜更け。
- 子(し):あなた。二人称。
- 公廉(こうれん):公平で、清廉潔白なこと。
- 私謁(しえつ):個人的な面会を求めて贈り物などをすること。
- 蔬食(そし):野菜中心の質素な食事。
- 清白吏(せいはくり):清廉潔白な役人。
背景知識:四知(しち)
出典は『後漢書』楊震伝。「天知る、地知る、我知る、子知る」の四つを指す。楊震が、夜陰に乗じて賄賂を渡そうとした王密に対し、「誰も知らないことはない」と諭したこの言葉から、不正行為は必ず露見するものである、ということのたとえとして使われるようになった。「誰も見ていないから」という言い訳を戒め、いかなる時も、天や自らの良心に恥じない行いをすべきだという、高い倫理観を示す故事として有名である。楊震の清廉さは「関西孔子楊伯起(関西の孔子、楊震先生)」と讃えられた。