086(『荘子』斉物論 より 朝三暮四)
本文
労神明為一、而不知其同也、謂之朝三。何謂朝三。狙公賦芧、曰、「朝三而暮四。」(1)衆狙皆怒。曰、「然則朝四而暮三。」(2)衆狙皆悦。名実未虧、而喜怒為用、亦因是也。是以聖人和之以是非、而休乎天鈞。(3)是之謂両行。
【書き下し文】
神明(しんめい)を労して一(いつ)と為(な)し、其の同じきを知らざる、之を朝三(ちょうさん)と謂(い)ふ。何をか朝三と謂ふ。狙公(そこう)、芧(ちょ)を賦(わか)ちて、曰く、「朝に三にして暮(くれ)に四にせん。」と。(1)衆狙(しゅうそ)皆(みな)怒る。曰く、「然(しか)らば則(すなは)ち朝に四にして暮に三にせん。」と。(2)衆狙皆悦(よろこ)ぶ。名実(めいじつ)未(いま)だ虧(か)けずして、喜怒(きど)を用(もち)ゐらるるは、亦(ま)た是(これ)に因(よ)るなり。是(ここ)を以(もっ)て聖人(せいじん)は之(これ)を是と非とに和し、天鈞(てんきん)に休(いこ)ふ。(3)是を之れ両行(りょうこう)と謂ふ。
【現代語訳】
【設問】
問1 猿たちが、傍線部(1)で怒り、傍線部(2)で喜んだのはなぜか。その理由として最も適当なものを次から選べ。
- 「朝三暮四」と「朝四暮三」で、一日の合計数が変化すると誤解したから。
- 自分たちの抗議によって、より有利な条件を勝ち取ったと錯覚したから。
- 目先の利益である「朝」にもらえる数が増えるか減るかという、表面的な違いにしか注目できなかったから。
- 猿回しが自分たちの気持ちを理解し、譲歩してくれたことに満足したから。
問2 筆者は「名実未虧」という言葉で、この状況の何を指摘しているか。最も適当なものを次から選べ。
- 猿たちの名誉も実利も、実際には何も損なわれていないということ。
- 猿回しの名声と、彼が与えるトチの実の質は、何も変わらないということ。
- 言い方という「名目」は変わっても、一日の合計数という「実質」は何も変わらないということ。
- 猿回しと猿の信頼関係という「名分」も、与える数という「実利」も、崩れていないということ。
問3 傍線部(3)「是之謂両行」とあるが、この寓話における「聖人」の立場を最もよく表しているのはどれか。次から選べ。
- 猿たちを愚かだと見下し、巧みな言葉で操ろうとする狙公の立場。
- 「朝三暮四」か「朝四暮三」か、どちらが正しいかを真剣に議論する立場。
- 「朝三」でも「朝四」でも、合計は同じであり、どちらでも良いと考える立場。
- 猿たちが自ら計算して、合計が同じであることに気づくまで、辛抱強く待つ立場。
問4 『荘子』におけるこの寓話が、読者に伝えようとしている哲学的なメッセージは何か。最も適当なものを次から選べ。
- 人間は猿のように愚かなので、聖人は巧みな方便を用いて人々を導くべきである。
- 目先の損得や言葉の上での対立に一喜一憂するのは、物事の本質が見えていない愚かなことである。
- 何が正しいかは時代や状況によって変わるので、常に自分の主張を更新し続けるべきである。
- 言葉はしばしば人を惑わせるので、沈黙こそが最も賢明な処世術である。
【解答・解説】
問1:正解 3
- 猿たちは、一日の合計数が七つであるという本質を理解できていない。彼らが反応しているのは、「朝」という目先の時点でもらえる数が「三」から「四」に増えた、という表面的な違いだけである。この目先の利害に一喜一憂する姿が、彼らの愚かさとして描かれている。
問2:正解 3
- 「名」とは、言葉上の区別や呼び名(ここでは「朝三暮四」か「朝四暮三」か)を指す。「実」とは、そのものの実質(ここでは「一日の合計が七つ」という事実)を指す。猿回しは、「実」を全く変えずに(未だ虧けず)、「名」だけを操作して猿の感情をコントロールした。荘子は、人間もこれと同じように、本質的には同じことに対して、言葉や立場の違いだけで争っている、と指摘しているのである。
問3:正解 3
- 「両行」とは、対立する二つの立場(是と非、朝三と朝四)を、どちらか一方に固執することなく、両方ともそのままに認めて、対立を超越した立場に立つこと。「聖人」は、「朝三」と「朝四」が本質的に「同じ」であることを知っているため、猿のように怒ったり喜んだりしない。どちらの言い方でも構わない、と考えるのである。これが「天鈞(自然の均衡)に休ふ」という境地である。
問4:正解 2
- この寓話は、「神明を労して一と為し、其の同じきを知らざる」人々、つまり、本質的には同じことに対して、自分の立場や言葉の違いに固執して精神をすり減らしている人々を批判するために用いられている。荘子は、そのような表面的な対立に一喜一憂する猿たちの姿を通して、人間の議論の不毛さや愚かさを風刺し、対立を超えた視点を持つことの重要性を説いている。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 神明(しんめい):精神、知恵。
- 狙公(そこう):猿回し。
- 賦(わか)つ:分け与える。
- 芧(ちょ):トチの実。
- 名実(めいじつ):名目と実質。言葉上の区別と、実際の中身。
- 虧(か)く:欠ける、損なわれる。
- 聖人(せいじん):荘子の文脈では、万物の根源である「道」と一体となった理想的な人物。
- 天鈞(てんきん):天のしくみ、自然の均衡。
- 両行(りょうこう):対立する二つの立場を、並行してどちらも肯定すること。
背景知識:朝三暮四(ちょうさんぼし)と荘子
出典は『荘子』斉物論篇。「斉物論」とは、「万物は(根源においては)等しい」と論じる篇であり、荘子思想の核心である。荘子は、人間が言葉によって作り出した区別(善悪、美醜、大小など)は、絶対的なものではなく、立場によって変わる相対的なものだと考えた。この「朝三暮四」の寓話は、本質(合計は七つ)が同じであるにもかかわらず、表面的な違い(朝三か朝四か)にこだわって争う愚かさを描き、そうした対立を超越した「聖人」の境地を示している。後に、目先の違いに気を取られることや、言葉巧みに人をだますことのたとえとして使われるようになった。