085(『韓愈』雑説 より 伯楽と千里の馬)
本文
世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。故雖有名馬、(1)祇辱於奴隷人之手、駢死於槽櫪之間、不以千里称也。
馬之千里者、一食或尽粟一石。食馬者、不知其能千里而食也。是馬也、雖有千里之能、食不飽、力不足、才美不外見。且欲与常馬等、不可得。(2)安求其能千里也。
策之不以其道、食之不能尽其材、鳴之而不能通其意。執策而臨之曰、「天下無良馬。」嗚呼、(3)其真無馬邪、其真不知馬也。
【書き下し文】
世に伯楽(はくらく)有りて、然(しか)る後に千里(せんり)の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常に有らず。故に名馬(めいば)有りたりと雖(いへど)も、(1)祇(た)だ奴隷人(どれいじん)の手に辱(はずかし)められ、槽櫪(そうれき)の間に駢死(へいし)し、千里を以(もっ)て称せられざるなり。
馬の千里なる者は、一食(いっしょく)に或(ある)いは粟(ぞく)一石(いっせき)を尽くす。馬を食(やしな)ふ者、其の能(よ)く千里なるを知りて食はざるなり。是(こ)の馬や、千里の能有りたりと雖も、食飽(あ)かざれば、力足らず、才の美、外に見(あらは)れず。且(か)つ常馬(じょうば)と等しからんと欲するも、得べからず。(2)安(いづ)くんぞ其の能く千里なるを求めんや。
之を策(むちう)つに其の道を以てせず、之を食ふに其の材を尽くさしむること能(あた)はず、之に鳴けども其の意に通ずること能はず。策を執(と)りて之に臨(のぞ)みて曰く、「天下に良馬無し。」と。嗚呼(ああ)、(3)其れ真(まこと)に馬無きか、其れ真に馬を知らざるか。
【現代語訳】
一日に千里を駆ける馬は、一回の食事で粟を一石も食べ尽くすことがある。しかし、馬を飼う者は、その馬が千里を駆ける能力があることを知らずに(普通の馬と同じ量しか)食べさせない。この馬は、たとえ千里を駆ける能力があっても、十分に食べられなければ、力が足りず、その優れた才能や美しい姿が外に現れることはない。それどころか、普通の馬と同じように走ることさえ、できなくなるだろう。(2)どうしてその馬に千里を駆ける能力を求めることができようか(いや、できはしない)。
(凡庸な馬主は)千里の馬を、その能力を引き出す方法で鞭打つことなく、その才能を完全に発揮させるほど十分に食べさせることもなく、馬が(苦しんで)鳴いてもその気持ちを理解することができない。それなのに、鞭を手にして馬の前に立って言う、「天下に優れた馬など一頭もいない。」と。ああ、(3)本当に優れた馬がいないのだろうか、それとも(彼らが)本当に馬の価値を理解していないだけなのだろうか(いや、後者なのだ)。
【設問】
問1 傍線部(1)「祇辱於奴隷人之手」とあるが、なぜ名馬が「辱められる」のか。その理由として最も適当なものを次から選べ。
- 本来の優れた才能を誰にも見抜かれず、平凡な馬として扱われるから。
- 他の平凡な馬たちから、その優れた才能を妬まれていじめられるから。
- 気性が荒いために、馬丁たちから虐待を受けてしまうから。
- 高価で売れるために、人買いの手に渡ってしまうから。
問2 傍線部(2)「安求其能千里也」という句に込められた筆者の気持ちとして、最も適当なものを次から選べ。
- 才能ある馬が正当に評価されない世の中への、強い憤り。
- 十分な食事も与えられずに本来の力を発揮できない名馬への、深い同情。
- 名馬の才能を見抜けない飼い主の愚かさへの、痛烈な批判。
- 才能を活かせないのは馬自身の責任ではなく、飼い主の責任だという指摘。
問3 傍線部(3)「其真無馬邪、其真不知馬也」は、反語の形をとっている。筆者が本当に言いたいことは何か。最も適当なものを次から選べ。
- 世の中には、才能のある者とない者の両方がいる。
- 世の中には、才能のある者はいるが、それを見抜ける人物がいない。
- 世の中には、才能のある者も、それを見抜ける人物もいない。
- 世の中には、才能のある者はいないが、それを見抜ける人物はいる。
問4 この文章で、筆者は「伯楽」と「千里の馬」の比喩を用いて、何を訴えようとしているのか。その主旨として最も適当なものを次から選べ。
- 優れた才能を持つ人材は常に世の中にいるが、その才能を見抜き、育てられる優れた為政者や上司がいないために、多くの人材が埋もれてしまっている。
- 優れた才能を持つ人材は、自らの才能を鼻にかけることなく、伯楽のような優れた指導者を探し出して教えを請うべきである。
- 優れた為政者や上司は、部下の才能を伸ばすために、時には厳しい試練を与えなければならない。
- 本当に優れた才能を持つ人材は、伯楽のような指導者がいなくても、自らの力で世に出てくるものである。
【解答・解説】
問1:正解 1
- 「千里の馬」が「辱められる」のは、その飼い主である「奴隷人(凡庸な馬丁)」に、千里を駆ける才能を見抜いてもらえないからである。その結果、特別な食事も与えられず、その才能を発揮する機会もなく、「常馬」として扱われ、「槽櫪の間に駢死」していく。これが名馬にとっての屈辱である。
問2:正解 2, 4
- 「安くんぞ~や」という反語は、強い断定や詠嘆を表す。ここでは、才能があるのに「食飽かず、力足らず」という状況に置かれ、能力を発揮できない名馬に対する筆者の深い同情(2)と、その原因を作っているのは飼い主であるという明確な責任の所在の指摘(4)の両方のニュアンスが含まれる。どちらも正解となりうるが、文脈上、直接的には馬への同情が色濃い。
問3:正解 2
- 「其れ真に馬無きか、其れ真に馬を知らざるか」という二つの問いかけは、反語的に後者を強調している。つまり、「本当に優れた馬(人材)がいないのではない。本当に馬(人材)を理解できる人間(為政者)がいないのだ」というのが、筆者の真意である。冒頭の「千里の馬は常に有れども、伯楽は常に有らず」という主題と呼応している。
問4:正解 1
- この記事は、単なる馬の話ではなく、人間社会、特に政治における人材登用についての寓話(たとえ話)である。「千里の馬」は優れた才能を持つ有能な人材、「伯楽」はその才能を見抜ける賢明な君主や上司、「奴隷人」は人材を理解できない凡庸な君主や上司をたとえている。筆者は、世の中に有能な人材は常にいるのに、それを見出す為政者がいないために、多くの才能が埋もれてしまっている現状を嘆いているのである。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 伯楽(はくらく):馬の良し悪しを見分ける名人。転じて、人の才能を見抜く力のある人物。
- 千里の馬(せんりのうま):一日に千里を駆けるほどの優れた馬。転じて、傑出した才能を持つ人材。
- 祇(た)だ:ただ~だけ。限定。
- 奴隷人(どれいじん):ここでは、身分の低い馬丁。転じて、才能を見抜けない凡庸な人物。
- 槽櫪(そうれき):馬のえさを入れる飼い葉桶。
- 駢死(へいし):馬が並んで死ぬこと。ここでは、凡馬と同様に一生を終えること。
- 粟(ぞく):穀物。馬の飼料。
- 石(せき):古代の容量の単位。
- 策(むちう)つ:鞭で打つ。
- 嗚呼(ああ):感嘆詞。ああ。
背景知識:伯楽と千里の馬
出典は、唐代の文豪・韓愈の「雑説」という文章。この記事は「伯楽一顧」の故事としても知られる。韓愈は、自身の才能がなかなか認められない不遇を嘆き、この記事を通じて、為政者(皇帝や高官)に人材を見抜く眼力(伯楽たること)の重要性を訴えたとされる。有能な人材がその能力を発揮できるかどうかは、優れたリーダーや組織に巡り会えるかどうかにかかっている、という普遍的なテーマは、現代の組織論や人事論にも通じるものがある。