084(『史記』項羽本紀・高祖本紀 より 項羽と劉邦)
本文
(其の一)
秦始皇帝、遊会稽、渡浙江。(1)梁与籍倶観。籍曰、「彼可取而代也。」梁掩其口曰、「無妄言、族矣。」梁以此奇籍。
(其の二)
高祖常繇咸陽。縦観、(2)観秦皇帝、喟然太息曰、「嗟乎、大丈夫当如此也。」
【書き下し文】
(其の一)
秦の始皇帝(しこうてい)、会稽(かいけい)に遊び、浙江(せっこう)を渡る。(1)(項)梁(りょう)、籍(せき)と倶(とも)に観る。籍曰く、「彼(か)は取りて代はる可(べ)きなり。」と。梁、其の口を掩(おほ)ひて曰く、「妄言(ぼうげん)すること無(な)かれ、族(ぞく)せられん。」と。梁、此(これ)を以て籍を奇(き)とす。
(其の二)
高祖(こうそ)、常に咸陽(かんよう)に繇(えき)す。縦観(しょうかん)し、(2)秦の皇帝を観、喟然(きぜん)として太息(たいそく)して曰く、「嗟乎(ああ)、大丈夫(だいじょうふ)は当(まさ)に此(かく)の如(ごと)くなるべきなり。」と。
【現代語訳】
秦の始皇帝が会稽の地を巡行し、浙江を渡った。(1)(叔父の)項梁が、(甥の)項籍(後の項羽)と一緒にその行列を見物した。項籍は言った、「あいつ(始皇帝)にとって代わってやることは可能だ。」と。項梁は、あわてて項籍の口をふさいで言った、「滅多なことを言うでない、一族皆殺しにされるぞ。」と。しかし、項梁はこの一言によって、項籍を非凡な人物だと思った。
(その二:劉邦の逸話)
高祖(後の劉邦)は、若い頃、都の咸陽で労役についていたことがあった。ある時、行列を組んで見物し、(2)秦の始皇帝の威容を観て、はあと大きくため息をついて言った、「ああ、男たるもの、まさにこのようでなければならないなあ。」と。
【設問】
問1 傍線部(1)と(2)で、項籍(項羽)と高祖(劉邦)は同じ秦の始皇帝の行列を見ている。二人の反応の違いとして、最も対照的な点は何か。次から選べ。
- 項籍は始皇帝個人への反感を、劉邦は始皇帝への憧れを表明している点。
- 項籍は始皇帝の地位を力ずくで奪おうとし、劉邦はそのような存在に「なりたい」と願っている点。
- 項籍は始皇帝の行列の豪華さに、劉邦はその軍事力の強さに注目している点。
- 項籍はすぐにでも行動を起こそうとし、劉邦は将来の機会を待とうとしている点。
問2 項籍の「彼可取而代也」という言葉からうかがえる彼の性格として、最も適当なものを次から選べ。
- 自らの武力に対する絶対的な自信と、既存の権威を恐れない大胆不敵さ。
- 始皇帝の圧政に苦しむ民衆を救おうとする、正義感と指導力。
- 周到な計画を立て、着実に権力を奪取しようとする、冷静な策略家。
- 世の中の仕組みを理解せず、ただ衝動的に発言する、未熟で世間知らずな若者。
問3 高祖(劉邦)の「嗟乎、大丈夫当如此也」という言葉からうかがえる彼の性格として、最も適当なものを次から選べ。
- 皇帝の圧倒的な権力と富を、ただ羨んでいるだけの凡庸さ。
- 偉大な存在を素直に認め、それを自らの目標として見据える、大きな向上心と野心。
- 自分もいつか皇帝のようになれるはずだと夢想する、楽観的で現実離れした性格。
- 皇帝の威厳ある姿を見て、自分には到底及ばないと絶望し、ため息をついている。
問4 歴史家である司馬遷が、この二つの対照的な逸話を並べて記した意図は何か。最も適当なものを次から選べ。
- 項羽は生まれながらの貴族、劉邦は庶民出身であったという、二人の身分の違いを強調するため。
- 若き日のわずかな言葉のうちに、後に天下を争うことになる二人の英雄の本質的な性格と、その後の運命が既に暗示されていたことを示すため。
- 秦の始皇帝がいかに偉大で、多くの若者たちの目標や打倒の対象となっていたかを示すため。
- 項羽は叔父と、劉邦は一人で始皇帝を見ており、二人が育った家庭環境の違いを描写するため。
【解答・解説】
問1:正解 2
- 項籍の「取りて代はる可し」は、既存の権力者(彼)を排除し、その地位を「奪取する」という、直接的で暴力的な発想を示している。一方、劉邦の「当に此の如くなるべきなり」は、皇帝という存在そのものに感嘆し、自分もいつかそのような偉大な存在に「なりたい」という、憧れと目標設定の発想を示している。この「奪う」と「なる」という発想の違いが、二人の最も対照的な点である。
問2:正解 1
- 天下の支配者である始皇帝を「彼(あいつ)」と呼び、「取って代わることが可能だ」と断言する言葉は、常人にはない並外れた自信と、権威を物ともしない大胆さの表れである。自分の武力さえあれば、皇帝の地位さえも奪えると考えている、彼の性格を端的に示している。
問3:正解 2
- 劉邦の言葉は、単なる羨望や絶望ではない。「嗟乎(ああ)」という深い感嘆に続き、「大丈夫(一人前の男)はこうあるべきだ」と述べている。これは、始皇帝の姿に圧倒されながらも、それを卑下することなく、自らが目指すべき最高の目標として捉える、スケールの大きな野心と向上心の表れである。
問4:正解 2
- 司馬遷は、秦末の動乱期を語るにあたり、後に天下を二分する二人の英雄、項羽と劉邦の若き日の逸話を冒頭近くに配置している。この非常に短い二つのエピソードは、暴力的な天才である項羽と、人間的な魅力と野心を持つ劉邦という、二人の本質的な性格を鮮やかに対比させている。そして、この性格の違いこそが、後の彼らの戦い方や運命を決定づけることになる、ということを読者に強く暗示する、巧みな歴史叙述の手法である。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 秦の始皇帝(しんのしこうてい):史上初めて中国を統一した、秦の初代皇帝。
- 会稽(かいけい):地名。現在の浙江省紹興市あたり。
- 項梁(こうりょう):項羽の叔父。項羽を育て、共に挙兵した。
- 籍(せき):項羽の諱(いみな)。
- 可取而代也(とりてかはるべきなり):取って代わることが可能だ。
- 妄言(ぼうげん):みだりな言葉、あってはならない発言。
- 族(ぞく)せらる:一族皆殺しの刑に処せられる。
- 奇(き)とす:非凡だと思う、並外れていると評価する。
- 高祖(こうそ):漢王朝の初代皇帝となった劉邦のこと。
- 繇(えき)す:労役に従事する。
- 喟然(きぜん):深いため息をつくさま。
- 大丈夫(だいじょうふ):一人前の立派な男。
背景知識:項羽と劉邦
出典は『史記』の「項羽本紀」と「高祖本紀」。秦の始皇帝の死後、天下が乱れる中で頭角を現した二人の英雄が、項羽と劉邦である。項羽は楚の名門将軍の家柄で、圧倒的な武勇を誇る天才肌の武将。一方、劉邦は田舎の役人出身で、人間的な魅力で多くの有能な部下を集めた親分肌の人物。この二つの逸話は、若き日の二人が、同じ始皇帝の行列を見て全く対照的な感想を抱いたことを描き、彼らの本質的な性格の違いと、後の運命を鮮やかに暗示している。歴史家・司馬遷の卓越した人物描写の技術を示す名場面として知られる。