082(『世説新語』黜免 より 断腸)

本文

桓公入蜀、至三峡中、部伍中有得猿子者。(1)其母縁岸哀号、行百余里不去。遂跳上船、至便即絶。破視其腹中、(2)腸皆寸寸断。公聞之、怒、命黜其人。

【書き下し文】
桓公(かんこう)、蜀(しょく)に入(い)り、三峡(さんきょう)の中に至るに、部伍(ぶご)の中に猿子(えんし)を得(う)る者有り。(1)其の母、岸に縁(よ)りて哀号(あいごう)し、行くこと百余里(ひゃくより)なるも去らず。遂(つひ)に船に跳(おど)り上(あ)がり、至れば便(すなは)ち即(すなは)ち絶(た)ゆ。其の腹中を破り視(み)るに、(2)腸(はらわた)、皆(みな)寸寸(すんずん)に断(た)えたり。公、之を聞き、怒り、其の人を黜(しりぞ)けんことを命ず。

【現代語訳】
(東晋の将軍である)桓公が蜀の地へ攻め入った際、長江の三峡まで来たところで、部隊の中に猿の子供を捕らえた者がいた。(1)その母猿は、岸伝いに悲しげに叫びながら、(船を)百里あまりも追いかけてきて、離れようとしなかった。そして、とうとう船に飛び移ってきたが、船に着くとすぐに息絶えてしまった。その腹の中を切り開いて見てみると、(2)腸がみな、ずたずたに断ち切れていた。桓公はこの話を聞いて怒り、その(子猿を捕らえた)兵士を追放するように命じた。

【設問】

問1 傍線部(1)「其母縁岸哀号、行百余里不去」という母猿の行動から読み取れる心情として、最も適切なものを次から選べ。

  1. 自分の縄張りを侵されたことに対する、激しい怒りと警戒心。
  2. 子を奪われたことによる、絶望的な悲しみと、子を取り戻そうとする必死の思い。
  3. 人間に子を託し、我が子の将来の幸せを祈る、自己犠牲の心。
  4. 船に乗っている人間たちに、食料を分けてほしいと懇願する気持ち。

問2 傍線部(2)「腸皆寸寸断」という記述が象徴しているものは何か。最も適当なものを次から選べ。

  1. 子を失った母猿の、悲しみのあまり、はらわたがちぎれるほどの精神的な苦痛。
  2. 船に飛び移る際に負った、致命的な身体の外傷。
  3. 長い距離を飲まず食わずで走り続けたことによる、極度の肉体的な疲労。
  4. 子を奪った人間に対する、抑えきれないほどの激しい憎悪。

問3 桓公が兵士を「黜けんことを命ず(追放するように命じた)」のはなぜか。その理由として最も適当なものを次から選べ。

  1. 珍しい猿を、自分の許可なく捕らえた兵士の規律違反を罰するため。
  2. 母猿の深い愛情に心を打たれ、その悲劇を引き起こした兵士の無慈悲な行為を許せなかったから。
  3. 死んだ母猿が、不吉な祟りを軍にもたらすことを恐れたから。
  4. 兵士が持ち場を離れて猿を捕まえたことで、部隊の進軍が遅れたことに腹を立てたから。

問4 この故事から生まれた「断腸の思い」という言葉は、どのような状況で使われるか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 激しい怒りで、我を忘れてしまうほどの状況。
  2. 非常に残念で、悔やんでも悔やみきれない状況。
  3. はらわたがちぎれるほど、つらく悲しい思いをする状況。
  4. 極度の緊張で、胃が痛くなるほどの状況。
【解答・解説】

問1:正解 2

問2:正解 1

問3:正解 2

問4:正解 3

【覚えておきたい知識】

重要単語

背景知識:断腸(だんちょう)の思い

出典は、南北朝時代に編纂された逸話集『世説新語』黜免篇。この母猿の悲しい物語から、「断腸」という言葉は、はらわたがちぎれるほどの、耐え難い悲しみを表す言葉として使われるようになった。特に、親が子を失うような深い悲しみを表現する際に「断腸の思い」という。人間の軽率な行いが、動物の深い愛情を踏みにじり、悲劇を生んだこの話は、読む者の胸を強く打つ逸話として知られる。

レベル:共通テスト標準|更新:2025-07-26|問題番号:082