081(『史記』平原君列伝 より 嚢中の錐)
本文
秦之囲邯鄲、趙使平原君求救於楚、約為従。平原君曰、「約従、事無不可、願陳子之蒼頭二十人、可与倶。」得十九人、余無可取者。門下有毛遂者、前自薦於平原君曰、「聞君将約従於楚、約与食客二十人偕。今少一人、願君即以遂備員而行矣。」平原君曰、「先生処勝之門下、幾何年。」遂曰、「三年於此矣。」平原君曰、「(1)夫賢士之処世也、譬若錐之処嚢中、其末立見。今先生処勝之門下三年於此矣、左右未有所称誦、勝未有所聞。是先生無所有也。先生不能、先生留。」毛遂曰、「臣乃今日請処嚢中耳。使遂蚤得処嚢中、乃穎脱而出、非特其末見而已。」(2)平原君遂与行。
至楚、与楚王言、日出而言、日中不決。毛遂按剣歴階而上、曰、「従之事、両言而決耳。今日出而言、日中不決、何也。」楚王怒、叱之。毛遂按剣而前曰、「王之所以叱遂者、以楚国之衆也。(3)今十歩之内、王不得恃楚国之衆也。王之命懸於遂手。」楚王遂与共定従。
【書き下し文】
秦の邯鄲(かんたん)を囲むや、趙、平原君(へいげんくん)をして楚に救ひを求めしめ、従(しょう)を為(な)さんと約す。平原君曰く、「従を約するは、事、可ならざるは無し、願はくは子の蒼頭(そうとう)二十人、与(とも)に倶(とも)にす可(べ)きを陳(つら)ねよ。」と。十九人を得るも、余(よ)は取る可き者無し。門下(もんか)に毛遂(もうすい)なる者有り、前(すす)み自ら平原君に薦(すす)めて曰く、「聞くならく、君、将(まさ)に楚に於て従を約し、食客(しょっかく)二十人と偕(とも)にせんと約す、と。今、一人を少(か)く。願はくは君、即(すなは)ち遂を以て員に備(そな)へて行かん。」と。平原君曰く、「先生、勝(しょう)の門下に処(を)ること、幾何(いくばく)の年ぞ。」と。遂曰く、「三年にして此(ここ)に在り。」と。平原君曰く、「(1)夫(そ)れ賢士(けんし)の世に処るや、譬(たと)へば錐(きり)の嚢中(のうちゅう)に処るが若(ごと)し、其の末(すゑ)立ちどころに見(あらは)る。今、先生、勝の門下に処ること三年にして此に在り、左右、称誦(しょうしょう)する所無く、勝、未だ聞く所有らず。是(こ)れ先生、有る所無きなり。先生は能(あた)はず、先生は留(とど)まれ。」と。毛遂曰く、「臣は乃(すなは)ち今日、嚢中に処らんことを請ふのみ。遂をして蚤(はや)く嚢中に処るを得しめば、乃ち穎脱(えいだつ)して出で、特(ひと)り其の末の見るのみに非(あら)ざらん。」と。(2)平原君、遂(つひ)に与(とも)に行かしむ。
楚に至り、楚王と言ふ。日出(い)でて言ひ、日中(にっちゅう)なるも決せず。毛遂、剣に按(あん)じて階(きざはし)を歴(へ)て上り、曰く、「従の事は、両言(りょうげん)にして決すべきのみ。今、日出でて言ひ、日中なるも決せざるは、何ぞや。」と。楚王怒りて、之を叱(しか)る。毛遂、剣に按じて前みて曰く、「王の遂を叱る所以の者は、楚国の衆(おほ)きを以てなり。(3)今、十歩の内に、王は楚国の衆きを恃(たの)むを得ざるなり。王の命は遂の手に懸(か)かれり。」と。楚王、遂に与(とも)に共(とも)に従を定む。
【現代語訳】
楚に着き、楚王と交渉した。日の出から話し始めたが、正午になっても決まらない。毛遂は剣の柄に手をかけ、階段を一段一段踏みしめて壇上に上がり、言った、「合従のことは、一言二言で決まるべきことです。今、日の出から話し始めて、正午になっても決まらないとは、どういうことですか。」と。楚王は怒り、彼を叱りつけた。毛遂は剣に手をかけたまま進み出て言った、「王が私を叱りつけられるのは、楚の国が大国であることを頼みにしているからでしょう。(3)今、この十歩の距離の中では、王は楚の国の兵力を頼みにすることはできません。王の命は、この私の手にかかっているのです。」と。楚王は、とうとう(平原君と)共に合従の同盟を定めた。
【設問】
問1 傍線部(1)「夫賢士之処世也、譬若錐之処嚢中、其末立見」という平原君の言葉は、「賢士(優れた人物)」のどのような性質を述べたものか。最も適当なものを次から選べ。
- 優れた才能は、隠そうとしても自然と外に現れ、人々の知るところとなるという性質。
- 優れた才能を持つ者は、袋の中の錐のように、集団の中で異質な存在として孤立しがちであるという性質。
- 優れた才能を持つ者は、袋の中の錐のように、時として他人を傷つけてしまう危険な性質。
- 優れた才能は、袋の中の錐のように、好機を得て初めてその鋭さを発揮できるという性質。
問2 傍線部(2)「平原君遂与行」とあるが、平原君が毛遂の同行を最終的に許したのはなぜか。毛遂の返答から判断して、最も適当なものを次から選べ。
- 三年も仕えているという毛遂の熱意に、心を動かされたから。
- 「穎脱して出づ」という毛遂の自信に満ちた切り返しに、非凡なものを感じたから。
- 他に誰も希望者がおらず、仕方なく人数合わせとして認めたから。
- 毛遂の言葉が、自分の最初の発言に対する見事な反論になっていたので、感心したから。
問3 傍線部(3)「今十歩之内、王不得恃楚国之衆也」と毛遂が言ったのはなぜか。その理由として最も適当なものを次から選べ。
- 楚の兵士たちは、この十歩の距離には入ってこないと約束されているから。
- 十歩という至近距離では、たとえ楚の大軍がいても、楚王を暗殺から守ることは間に合わないから。
- 楚王の護衛兵は、毛遂の気迫に圧倒されて、十歩以内に近づくことができないから。
- 楚の兵士たちは、王の危機を見ても助けようとしないほど、忠誠心が低いから。
問4 この故事からうかがえる、毛遂の人物像として最も適当なものを次から選べ。
- 自分の才能に絶対の自信を持ち、好機と見るや、大胆な行動で自ら道を切り開く人物。
- 長年、主君に仕えることで信頼を勝ち取り、着実に自分の地位を築いていく実直な人物。
- 弁舌は立つが、いざという時の度胸がなく、交渉の場で活躍できない人物。
- 主君の威光をかさに着て、相手を威圧することで目的を果たそうとする人物。
【解答・解説】
問1:正解 1
- 「錐を嚢中(袋の中)に処る」と、その鋭い先端はすぐに袋を突き破って「末が見える」ように、本当に優れた人物の才能は、隠れていても自然と周囲に知れ渡るものだ、というのが平原君の考えである。
問2:正解 2
- 平原君の「錐の末が見える」という比喩に対し、毛遂は「もし早く袋に入れてくれたなら、穂先ごと突き出ていた(穎脱)」と、さらに上手な比喩で切り返した。これは、自分には機会さえ与えられれば、期待以上の働きをするだけの傑出した才能がある、という並外れた自信の表れである。平原君は、この堂々とした態度と機知に富んだ返答に、ただ者ではない何かを感じ取り、同行を許したと考えられる。
問3:正解 2
- 毛遂は剣の柄に手をかけ、楚王ににじり寄っている。これは、いつでも王を斬り殺せるという脅しである。たとえ周りに楚の大軍が控えていても、この至近距離では、毛遂が行動を起こすのを防ぐことは物理的に不可能である。「楚国の衆きを恃むを得ざるなり」とは、大軍もこの状況では役に立たないぞ、という脅し文句である。
問4:正解 1
- 毛遂は、当初選ばれなかったにもかかわらず、自ら進み出て(自薦)、平原君に見事な弁舌で応じ、同行の機会を勝ち取った。さらに、膠着した交渉の場では、命の危険を顧みず、大胆な行動で楚王に直接決断を迫り、目的を達成した。これらの行動は、自分の才能への強い自信と、好機を逃さず果敢に行動する実行力を兼ね備えた人物像を示している。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 平原君(へいげんくん):戦国四君の一人。趙の公子。多くの食客を抱えていた。名は勝。
- 従(しょう):合従策のこと。秦に対抗するための同盟。
- 食客(しょっかく):客分として主人にかくまわれている人。才能を認められれば、様々な役目を担った。
- 毛遂(もうすい):平原君の食客。
- 幾何(いくばく):どれくらい。
- 錐(きり):穴をあける道具。
- 嚢中(のうちゅう):袋の中。
- 称誦(しょうしょう):ほめたたえること。
- 穎脱(えいだつ):錐の穂先が袋から完全に抜け出ること。ずば抜けた才能が現れることのたとえ。
- 両言(りょうげん):一言二言。わずかな言葉。
背景知識:嚢中の錐(のうちゅうのきり)・毛遂自薦(もうすいじせん)
出典は『史記』平原君虞卿列伝。この故事からは、二つの有名な言葉が生まれた。一つは「嚢中の錐」。袋の中の錐が自然と突き出るように、優れた人物の才能は、隠れていても必ず世に現れることのたとえ。もう一つは「毛遂自薦」。毛遂が自ら名乗り出て機会を掴んだことから、自分から進んでその役目を引き受けること、自らを推薦することのたとえとして使われる。有能な人物が、機会を待つだけでなく、自ら行動を起こして道を切り開くことの重要性を示す逸話である。