080(『春秋左氏伝』より 唇亡びて歯寒し)

本文

晋侯、復た道を虞に仮りて以て虢を伐つ。宮之奇諌めて曰く、「虢は、虞之表也。虢亡びなば、虞必て之に従はん。…(中略)…諺に曰く、『輔車相依り、(1)唇亡びて歯寒し。』其れ虞・虢の謂ひか。」公曰く、「晋は、吾が宗也。豈に害を我に加へんや。」対へて曰く、「…(中略)…親、何ぞ必ずしも恃む可けんや。」公、聴かず。宮之奇、其の族を率ゐて去る。
冬十二月、晋、虢を滅す。師還り、虞に舎す。(2)遂に虞を襲ひて之を取る。虞公を執へ、其の宝馬を献ぜしむ。…(中略)…
初め、晋、道を虞に仮らんとし、荀息曰く、「願はくは垂棘の璧と屈産の馬とを以て、道を虞に仮らんことを請ふ。」公曰く、「是れ吾が宝なり。」荀息曰く、「(3)これを取って外府に置くようなものです。これを取って内府に入れるようなものです。」公、之を許す。

【書き下し文】
晋侯(しんこう)、復(ま)た道を虞(ぐ)に仮(か)りて以(もっ)て虢(かく)を伐(う)つ。宮之奇(きゅうしき)諌(いさ)めて曰く、「虢は、虞の表(おもて)なり。虢亡びなば、虞必ず之に従はん。…(中略)…諺(ことわざ)に曰く、『輔車(ほしゃ)は相(あひ)依(よ)り、(1)唇(くちびる)亡びて歯寒(はさむ)し。』と。其れ虞・虢の謂(い)ひか。」と。公(こう)曰く、「晋は、吾(わ)が宗(そう)なり。豈(あ)に害を我に加へんや。」と。対(こた)へて曰く、「…(中略)…親、何ぞ必ずしも恃(たの)む可(べ)けんや。」と。公、聴かず。宮之奇、其の族を率(ひき)ゐて去る。
冬十二月、晋、虢を滅ぼす。師(し)還(かへ)り、虞に舎(やど)る。(2)遂(つひ)に虞を襲ひて之を取る。虞公を執(とら)へ、其の宝馬(ほうば)を献ぜしむ。…(中略)…
初め、晋、道を虞に仮らんとし、荀息(じゅんそく)曰く、「願はくは垂棘(すいきょく)の璧(へき)と屈産(くつさん)の馬とを以て、道を虞に仮らんことを請はん。」と。公曰く、「是(こ)れ吾が宝なり。」と。荀息曰く、「(3)之を取って外府に置き、之を取って内府に入るるがごときのみ。」と。公、之を許す。

【現代語訳】
晋の君主が、再び虞の国に道を借りて、虢の国を討伐しようとした。虞の家臣である宮之奇が諌めて言った、「虢は、虞にとってのいわば表面(盾)です。虢が滅びれば、虞も必ずその後を追うことになるでしょう。…(中略)…ことわざに『頬骨と歯茎は互いに支えあい、(1)唇がなくなれば歯が寒くなる。』とありますが、これはまさしく虞と虢の関係を言っているのです。」と。しかし虞の君主は言った、「晋は、我が国と同じ祖先を持つ同族の国だ。どうして我が国に害を加えることがあろうか。」と。宮之奇は答えて言った、「…(中略)…同族だからといって、どうして全面的に信頼できましょうか。」と。君主は聞き入れなかった。宮之奇は、一族を引き連れて国を去った。
その年の冬十二月、晋は虢を滅ぼした。その軍は帰り道に、虞に駐留した。(2)そして、そのまま虞を襲ってこれを占領した。虞の君主を捕らえ、彼に(賄賂として渡した)宝と馬を献上させた。…(中略)…
そもそも、晋が虞に道を借りようとした時、家臣の荀息が言った、「どうか垂棘産の璧と屈産の馬とを(虞公への賄賂として)用いて、道を借りる許可を願いましょう。」と。晋の君主は言った、「それは私の宝物だ。」と。荀息は言った、「(3)(宝は虞に渡っても虢を滅ぼせばすぐ我が物になりますから)宝を(家の)外の蔵に預けておき、後で(家の)内の蔵に取り込むようなものです。」と。君主はこれを許可した。

【設問】

問1 傍線部(1)「唇亡びて歯寒し」とは、虞と虢の関係を何にたとえたものか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 一方が滅びれば、もう一方もただでは済まない、密接な利害関係。
  2. 普段は仲が悪いが、共通の敵が現れると協力する、一時的な同盟関係。
  3. どちらかが欠けても、もう一方がその役割を補うことができる、相互補完の関係。
  4. 互いに相手の弱みを握り合い、牽制しあっている、緊張関係。

問2 虞の君主が、宮之奇の的確な忠告を聞き入れなかった最大の理由は何か。最も適当なものを次から選べ。

  1. 晋が同族の国であるという血縁関係を過信し、裏切られるはずがないと思い込んでいたから。
  2. 晋から贈られた宝物や名馬に目がくらみ、正しい判断力を失っていたから。
  3. 長年のライバルであった虢が滅びることを、ひそかに望んでいたから。
  4. 宮之奇の意見が、自国の軍事力を軽んじた、臆病なものに聞こえたから。

問3 傍線部(2)「遂に虞を襲ひて之を取る」という結末は、誰のどのような予測が正しかったことを証明したか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 【人物】宮之奇 - 【予測】晋は虢を滅ぼした後、必ず虞をも滅ぼすだろう。
  2. 【人物】虞の君主 - 【予測】晋は同族の国なので、虢を滅ぼしても虞には手を出さないだろう。
  3. 【人物】荀息 - 【予測】虞の君主は宝に目がくらみ、晋に道を貸すだろう。
  4. 【人物】晋の君主 - 【予測】宮之奇は、いずれ国を捨てて逃げ出すだろう。

問4 傍線部(3)「之を取って外府に置き、之を取って内府に入るるがごときのみ」という荀息の言葉は、晋のどのような計画を示唆しているか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 宝を一時的に虞に預けるだけで、虢を滅ぼした後には、その宝も虞の国も全て奪い返すという計画。
  2. 虞から借りた道を通って虢を滅ぼした後、そのお礼として宝を正式に虞に贈呈するという計画。
  3. 宝を担保として虞に預け、もし虢を滅ぼせなかった場合は、その宝を虞のものにするという計画。
  4. 虞と虢の両方に宝をちらつかせ、互いに争わせ、その隙に両国を滅ぼすという計画。
【解答・解説】

問1:正解 1

問2:正解 1, 2

問3:正解 1

問4:正解 1

【覚えておきたい知識】

重要単語

背景知識:唇亡びて歯寒し(くちびるほろびてはさむし)

出典は『春秋左氏伝』。隣接し、互いに支えあっている二つのものが、一方が滅びると、もう一方も立ち行かなくなることのたとえ。この故事では、虞と虢がその関係にあたる。虞の君主は、目先の利益(晋からの賄賂)と甘い見通し(同族だから大丈夫)によって、この重要な戦略的関係を見誤り、隣国の虢を見殺しにした結果、自国も滅ぼされてしまった。利害を共にする者同士の、協力関係の重要性を説く教訓として用いられる。

レベル:共通テスト標準|更新:2025-07-26|問題番号:080