079(『唐詩紀事』より 推敲)
本文
島、字浪仙。初赴挙、乗驢。(1)吟詩未成、「鳥宿池中樹、僧推月下門。」句。欲改「推」作「敲」。(2)引手作推敲之勢、未決、不覚衝大尹韓愈。乃具言。愈曰、「『敲』字佳矣。」遂並轡論詩。
【書き下し文】
島(とう)、字(あざな)は浪仙(ろうせん)。初(はじ)めて挙(きょ)に赴(おもむ)くに、驢(ろ)に乗る。(1)詩を吟(ぎん)じて未(いま)だ成らざるに、「鳥は宿る池中(ちちゅう)の樹(き)、僧は推(お)す月下(げっか)の門。」の句を得(う)。「推す」を改めて「敲(たた)く」と作(な)さんと欲す。(2)手を引きて推敲(すいこう)の勢(せい)を作(な)し、未だ決せず、覚えず大尹(たいいん)韓愈(かんゆ)に衝(あた)る。乃(すなは)ち具(つぶ)さに言ふ。愈曰く、「『敲』の字、佳(か)なり。」と。遂(つひ)に轡(たづな)を並べて詩を論ず。
【現代語訳】
問2 傍線部(2)「引手作推敲之勢」とは、賈島がどのような状態にあったことを示しているか。最も適当なものを次から選べ。
- 詩の世界に没頭するあまり、周りが見えなくなり、無意識に詩の情景をジェスチャーで再現している状態。
- 韓愈の行列に気づき、慌てて道を譲ろうと手で合図を送っている状態。
- 難解な詩句の意味が分からず、頭を抱えて悩んでいる状態。
- 自分の詩の出来栄えに満足し、得意げに身振り手振りを交えて口ずさんでいる状態。
問3 韓愈が「『敲』字佳矣」と助言したのはなぜだと考えられるか。その詩的効果の説明として、最も適当なものを次から選べ。
- 「推す」よりも「敲く」の方が、力強い僧侶の姿を表現できるから。
- 「推す」という静かな動作よりも、「敲く」という音を立てる動作の方が、静かな夜の情景を一層引き立てるから。
- 「推す」よりも「敲く」の方が、より珍しい漢字であり、詩に格調を与えるから。
- 「推す」よりも「敲く」の方が、月明かりに照らされた美しい門の様子を鮮やかに描写できるから。
問4 この故事から生まれた「推敲」という言葉は、どのような行為を指すようになったか。最も適当なものを次から選べ。
- 詩や文章の字句を、何度も考え練り直して、より良いものにすること。
- 目上の人に対して、詩作についてのアドバイスを求めること。
- 何かに夢中になるあまり、周りへの配慮を忘れてしまうこと。
- 身分の違う者同士が、芸術を通じて友情を育むこと。
【解答・解説】
問1:正解 1
- 賈島は「挙に赴く」途中であり、驢馬の上で詩を「吟じて」いた。そして「鳥宿池中樹、僧推月下門」という句を思いつき、「推」を「敲」に改めようかと悩んでいた。これらの記述から、彼は詩作の真っ最中であったことがわかる。
問2:正解 1
- 賈島は、「推す」べきか「敲く」べきか決めかね、実際に手でその動作(勢)をしながら考えていた。これは、どちらの言葉が詩の情景としてふさわしいか、深く吟味している様子を示している。その結果、詩作に没頭するあまり、目の前に都の長官の行列が来ていることにさえ「覚えず(気づかなかった)」のである。
問3:正解 2
- 「月下の門」という情景は、非常に静かな夜の場面である。そこに、扉をそっと「推す」という音のしない動作よりも、「コウコウ」と門を「敲く」という音を描写する方が、かえって夜の静寂さが際立つ、という詩的な効果がある。韓愈は、その聴覚的な効果を瞬時に見抜き、「敲」の字を良しとしたと考えられる。
問4:正解 1
- 賈島が「推す」と「敲く」のどちらが良いか、しぐさまでして深く悩み、練り上げたというこの故事から、「推敲」という言葉は、詩や文章を作る際に、字句や表現を何度も何度も練り直し、より適切なものに修正していく創作上の苦心や努力そのものを指すようになった。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 賈島(かとう):中唐の詩人。字は浪仙。韓愈に認められた。
- 挙(きょ):科挙のこと。官吏登用試験。
- 驢(ろ):ろば。
- 吟(ぎん)ず:詩歌を口ずさむ。
- 推(お)す:おす。
- 敲(たた)く:たたく、ノックする。
- 大尹(たいいん):都の長官。京兆尹(けいちょういん)。
- 韓愈(かんゆ):中唐の文人・政治家。唐宋八大家の一人。
- 具(つぶ)さに:詳しく、ことごとく。
- 佳(か)なり:優れている、好ましい。
- 轡(たづな)を並ぶ:馬を並べて進む。身分を超えて親しく交わることのたとえ。
背景知識:推敲(すいこう)
出典は、唐代の逸話を集めた『唐詩紀事』など。詩人の賈島が、自作の詩の一句「僧は推す月下の門」の「推す」という字を「敲く」にしようかと思い悩み、韓愈に相談したところ、「敲く」の方が良いと教えられたという故事。この話から、詩や文章の字句を何度も練り直すことを「推敲」と言うようになった。一つの言葉に徹底的にこだわる詩人の創作態度と、それを受け止めて的確な助言を与える大文豪・韓愈の度量の大きさを示す逸話として知られる。