078(『孟子』公孫丑上 より 惻隠の心)

本文

(孟子曰、)「人皆有不忍人之心。先王有不忍人之心、斯有不忍人之政矣。…(中略)…
所以謂人皆有不忍人之心者、(1)今人乍見孺子将入於井、皆有怵惕惻隠之心。非所以内交於孺子之父母也、非所以要誉於郷党朋友也、非悪其声而然也。
由是観之、無惻隠之心、非人也。無羞悪之心、非人也。無辞譲之心、非人也。無是非之心、非人也。
(2)惻隠之心、仁之端也。羞悪之心、義之端也。辞譲之心、礼之端也。是非之心、智之端也。人之有是四端也、猶其有四体也。有是四端而自謂不能者、自賊者也。謂其君不能者、賊其君者也。凡有四端於我者、知皆拡而充之矣。(3)若火之始然、泉之始達。苟能充之、足以保四海。苟不充之、不足以事父母。」

【書き下し文】
(孟子曰く、)「人(ひと)は皆(みな)人に忍(しの)びざるの心有り。先王(せんのう)、人に忍びざるの心有りて、斯(ここ)に人に忍びざるの政(まつりごと)有り。…(中略)…
人の皆人に忍びざるの心有りと謂(い)ふ所以(ゆゑん)の者は、(1)今、人、乍(たちま)ち孺子(じゅし)の将(まさ)に井(せい)に入(い)らんとするを見れば、皆怵惕(じゅくてき)惻隠(そくいん)の心有り。孺子の父母に内交(ないこう)せんが為(ため)に非(あら)ざるなり、郷党(きょうとう)朋友(ほうゆう)に誉(ほまれ)を要(もと)めんが為に非ざるなり、其の声を悪(にく)んで然(しか)るに非ざるなり。
是(これ)に由(よ)りて之を観(み)れば、惻隠の心無きは、人に非(あら)ざるなり。羞悪(しゅうお)の心無きは、人に非ざるなり。辞譲(じじょう)の心無きは、人に非ざるなり。是非(ぜひ)の心無きは、人に非ざるなり。
(2)惻隠の心は、仁(じん)の端(たん)なり。羞悪の心は、義(ぎ)の端なり。辞譲の心は、礼(れい)の端なり。是非の心は、智(ち)の端なり。人の是(こ)の四端(したん)有るは、猶(な)ほ其の四体(したい)有るがごときなり。是の四端有りて自ら能(あた)はずと謂ふ者は、自ら賊(そこな)ふ者なり。其の君能はずと謂ふ者は、其の君を賊ふ者なり。凡(およ)そ我に四端有る者は、皆拡(ひろ)げて之を充(み)たすことを知る。(3)火の始めて然(も)え、泉の始めて達(たっ)するが若(ごと)し。苟(いやしく)も能く之を充たさば、以て四海(しかい)を保(やす)んずるに足る。苟も之を充たさずんば、以て父母に事(つか)ふるに足らず。」と。

【現代語訳】
(孟子は言った、)「人は誰でも、他人の不幸を見過ごしにできない心を持っている。古代の聖王たちは、この見過ごしにできない心を持っていたから、人々を見過ごしにできない(思いやりのある)政治を行うことができたのだ。…(中略)…
なぜ、人は誰でも他人の不幸を見過ごしにできない心を持っていると言えるのか。それは、(1)今、仮に人が、幼子が井戸に落ちそうになっているのを突然見かけたら、誰でもはっと驚き、可哀想に思う心を持つからだ。それは、その子の親と親しくなろうとするためではないし、村人や友人に良い評判を得ようとするためでもないし、(助けなかった場合に非難されるという)悪い評判を嫌ってそうするわけでもない。
このことから考えてみると、哀れに思う心がない者は、人間ではない。悪を恥じ憎む心がない者は、人間ではない。譲り合う心がない者は、人間ではない。善悪を判断する心がない者は、人間ではない。
(2)この哀れに思う心は、「仁」の芽生えである。悪を恥じ憎む心は、「義」の芽生えである。譲り合う心は、「礼」の芽生えである。善悪を判断する心は、「智」の芽生えである。人がこの四つの芽生えを持っているのは、ちょうど手足の四肢を持っているのと同じようなものだ。この四つの芽生えを持っているのに、自分には徳を実践できないと言う者は、自分自身を損なう者である。自分の君主にはできないと言う者は、その君主を損なう者である。およそ、自分の中にこの四つの芽生えを持っている者は、皆それを押し広げて満たすべきだと知っている。(3)それは、ちょうど火が燃え始め、泉が湧き出し始めたようなものだ。もしこの芽生えを十分に満たすことができるなら、天下を安泰にさせるのに十分である。もしこれを満たすことができなければ、自分の父母に仕えることさえもできないだろう。」と。

【設問】

問1 傍線部(1)で孟子が「孺子の井に入らんとする」という極端な例を挙げたのはなぜか。その意図として最も適当なものを次から選べ。

  1. いかなる人間でも、打算や計算を抜きにした、本能的で純粋な善意を持っていることを証明するため。
  2. 親は、自分の子供から一瞬たりとも目を離してはならないという教訓を、具体的に示すため。
  3. 危機的な状況においては、普段は臆病な人間でも、勇敢な行動をとることができると主張するため。
  4. 社会的な名誉や評判が、人間の行動にどれほど大きな影響を与えるかを明らかにするため。

問2 傍線部(2)で述べられている「四端」の説明として、最も適当なものを次から選べ。

  1. 人が生まれつき持っている四つの感情であり、それ自体に善悪はない。
  2. 人が後天的な学習によって身につけるべき、四つの基本的な道徳。
  3. 人が生まれながらにして持つ、仁・義・礼・智という四つの徳の「芽生え」。
  4. 君子だけが生まれつき備えている、四つの特別な能力。

問3 傍線部(3)「若火之始然、泉之始達」は、「四端」のどのような性質をたとえたものか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 最初は小さくても、育てれば燃え盛る火や尽きない泉のように、大きく成長する可能性を秘めているという性質。
  2. 一度燃え始めると消すのが難しい火や、湧き出すと止められない泉のように、抑えがたい本能であるという性質。
  3. 人々に暖かさや潤いを与える火や泉のように、社会にとって不可欠なものであるという性質。
  4. 扱い方を間違えると大火事や洪水を引き起こす火や泉のように、危険な側面も持っているという性質。

問4 この文章全体における孟子の主張の根幹をなす考え方は何か。次の中から選べ。

  1. 人間は本来、善なる心を持って生まれてきており、それを育てることが重要である。(性善説)
  2. 人間は本来、悪なる心を持って生まれてきているので、教育によって矯正すべきである。(性悪説)
  3. 人間の本性に善悪はなく、後天的な環境によってどちらにもなりうる。(性白紙説)
  4. 人間の善悪は、その時々の状況に応じて変化する、流動的なものである。(性流動説)
【解答・解説】

問1:正解 1

問2:正解 3

問3:正解 1

問4:正解 1

【覚えておきたい知識】

重要単語

背景知識:性善説(せいぜんせつ)と四端(したん)

出典は『孟子』公孫丑上篇。孟子思想の根幹をなす「性善説」を最も明確に論じた部分である。性善説とは、人間は生まれながらにして善なる本性を持っている、という考え方である。孟子はその証拠として、誰の心にもある「惻隠之心(哀れみの心)」を挙げ、これを「仁」の芽生え()とした。そして同様に、悪を恥じる「羞悪之心」を「義」の端、譲り合う「辞譲之心」を「礼」の端、善悪を判断する「是非之心」を「智」の端とし、これら「四端」を誰もが持っていると主張した。そして、この四つの芽生えを大切に育て、大きく発展させていくことこそが、学問であり、修養であると説いた。

レベル:共通テスト発展|更新:2025-07-26|問題番号:078