077(『列子』湯問篇 より 愚公山を移す)
本文
太行・王屋二山、方七百里、高万仞。本在冀州之南、河陽之北。北山愚公者、年且九十、面山而居。(1)懲山北之塞、出入之迂也。聚室而謀曰、「吾与汝畢力平険、指通豫南、達於漢陰、可乎。」雑然相許。
其妻献疑曰、「以君之力、曾不能損魁父之丘。如太行・王屋何。且焉置土石。」雑曰、「投諸渤海之尾、隠土之北。」遂率子孫荷担者三夫、叩石墾壌、箕畚運於渤海之尾。
河曲智叟、笑而止之曰、「甚矣、汝之不恵。以残年余力、曾不能毀山之一毛。其如土石何。」北山愚公長息曰、「汝心之固、固不可徹、曾不若孀妻弱子。(2)雖我之死、有子存焉。子又生孫、孫又生子。子又有子、子又有孫。子子孫孫、無窮匱也。而山不加増。何苦而不平。」河曲智叟亡以応。
操蛇之神聞之、懼其不已也、告之于帝。帝感其誠、命誇娥氏二子負二山、一厝朔東、一厝雍南。
【書き下し文】
太行(たいこう)・王屋(おうおく)の二山(にさん)、方(ほう)七百里、高さ万仞(ばんじん)。本(もと)、冀州(きしゅう)の南、河陽(かよう)の北に在り。北山(ほくさん)の愚公(ぐこう)なる者、年(よはひ)将(まさ)に九十ならんとし、山に面して居(を)り。(1)山北の塞(ふさ)がり、出入(しゅつにゅう)の迂(う)なるに懲(くる)しむ。室(しつ)を聚(あつ)めて謀(はか)りて曰く、「吾(われ)、汝(なんぢ)と力を畢(つく)して険(けん)を平(たひ)らげ、豫南(よなん)に指通(しつう)し、漢陰(かんいん)に達せば、可(か)ならんか。」と。雑然(ざつぜん)として相(あひ)許(ゆる)す。
其の妻、疑ひを献じて曰く、「君の力を以て、曾(かつ)て魁父(かいほ)の丘を損(そん)すること能(あた)はず。太行・王屋を如何(いかん)せん。且(か)つ土石を焉(いづく)にか置かん。」と。雑(こもごも)曰く、「諸(これ)を渤海(ぼっかい)の尾(び)、隠土(いんど)の北に投ぜん。」と。遂に子孫の担(にな)ふを荷(か)する者三夫(さんぷ)を率(ひき)ゐ、石を叩き壌(つち)を墾(たがや)し、箕畚(きふん)して渤海の尾に運ぶ。
河曲(かきょく)の智叟(ちそう)、笑ひて之を止めて曰く、「甚(はなは)だしきかな、汝の恵(けい)ならざること。残年(ざんねん)余力(よりょく)を以て、曾て山の一毛(いちもう)を毀(やぶ)ること能はず。其の土石を如何せん。」と。北山愚公、長息(ちょうそく)して曰く、「汝の心の固(かたくな)なる、固(もと)より徹(とほ)す可からず、曾て孀妻(そうさい)弱子(じゃくし)に若(し)かず。(2)我の死すと雖も、子存(そん)する有り。子又孫を生み、孫又子を生む。子に又子有り、子に又孫有り。子子孫孫(ししそんそん)、窮匱(きゅうき)すること無し。而(しか)るに山は増すを加へず。何ぞ平(たひ)らかならざるを苦しまん。」と。河曲の智叟、以て応(こた)ふる亡(な)し。
蛇を操(あやつ)るの神、之を聞き、其の已(や)まざらんことを懼(おそ)れ、之を帝(てい)に告ぐ。帝、其の誠に感じ、誇娥氏(かかし)の二子に命じて二山を負(お)はしめ、一を朔東(さくとう)に厝(お)き、一を雍南(ようなん)に厝く。
【現代語訳】
しかし、彼の妻が疑いの言葉を述べた、「あなたの力では、以前、魁父という小さな丘さえ崩せなかったではありませんか。あの太行山や王屋山をどうしようというのです。それに、掘り出した土や石はどこへ捨てるのですか。」と。皆は口々に言った、「それを渤海の果て、隠土の北に捨てよう。」と。こうして、愚公は子や孫で荷物を運べる者三人を引き連れ、石を砕き土を掘り起こし、もっこで渤海の果てまで運んだ。
河のほとりに住む智叟(物知りじいさん)が、これを笑って止めさせようと言った、「ひどいものだな、君の物分かりの悪さは。その残り少ない寿命と力では、山の一本の草木さえ損なうこともできまい。ましてや、その大量の土石をどうしようというのか。」と。北山の愚公は、深いため息をついて言った、「あなたの心は頑固で、道理を全く理解していない。まるで後家さんや小さな子供にも及ばない。(2)たとえ私が死んでも、私には子がいる。子はまた孫を生み、孫はまた子を生む。その子にはまた子が生まれ、その子にはまた孫が生まれる。子孫は無限に続いていく。しかし、山はこれ以上大きくはならない。山が平らにならないことを、どうして心配する必要があろうか(いや、心配ない)。」と。河曲の智叟は、何も言い返すことができなかった。
(山に宿る)蛇を操る神がこの話を聞き、愚公の意志が決して止まらないことを恐れ、天帝に報告した。天帝は愚公の誠意に感動し、大力で知られる誇娥氏の二人の息子に命じて二つの山を背負わせ、一つを朔方の東に、もう一つを雍州の南に置かせた。
【設問】
問1 傍線部(1)「懲山北之塞、出入之迂也」とあるが、愚公が山を平らにしようと思い立った動機は何か。最も適当なものを次から選べ。
- 山の向こう側にある豊かな土地を手に入れたいという、領土的な野心。
- 山に住む神を鎮め、村の平和を祈願するという、宗教的な熱意。
- 出入りの際の不便さを解消し、生活を便利にしたいという、実用的な目的。
- 不可能を可能にすることで、自分の名前を後世に残したいという、個人的な名誉心。
問2 智叟が愚公の計画を「不恵(物分かりが悪い)」と笑ったのはなぜか。最も適当なものを次から選べ。
- 愚公の計画が、自然の秩序を破壊する、神をも恐れぬ行為だと考えたから。
- 愚公の寿命と力を考えれば、山を平らにするなど、常識的に見て絶対に不可能だと判断したから。
- 山を動かすなどという前代未聞の計画に、家族を巻き込むことを無責任だと感じたから。
- 掘った土をはるか遠くの渤海まで運ぶという、非効率な方法に呆れたから。
問3 傍線部(2)の愚公の反論の根底にある考え方と、智叟の考え方の対比として、最も適当なものを次から選べ。
- 【愚公】世代を超えた無限の時間を視野に入れる - 【智叟】個人の一生という限られた時間で判断する
- 【愚公】精神力の偉大さを信じる - 【智叟】物理的な力の限界を重視する
- 【愚公】子孫の繁栄を第一に考える - 【智叟】自分自身の安楽な老後を望む
- 【愚公】人間の力を過信する - 【智叟】自然の力に畏敬の念を抱く
問4 この物語が最終的に「帝感其誠(天帝がその誠意に感動した)」という結末を迎えることで、作者が強調しようとしたことは何か。最も適当なものを次から選べ。
- 人事を尽くして天命を待てば、必ず道は開けるということ。
- どんなに困難なことでも、強い意志を持って続ければ、やがては天も味方するということ。
- 人間の誠意ある行動は、神々の世界にまで影響を与える力があるということ。
- 非現実的な計画でも、家族が一致団結すれば実現可能であるということ。
【解答・解説】
問1:正解 3
- 愚公が山を動かそうとした理由は、「山北の塞がり、出入の迂なるに懲しむ(家の北が山で塞がれ、出入りに遠回りするのに苦しんだ)」と明確に書かれている。日々の生活の不便さを解消したいという、非常に現実的で実用的な動機である。
問2:正解 2
- 智叟は「残年余力(残り少ない寿命と力)」で「山の一毛を毀ること能はず(山の一本の草木も損なえない)」と述べている。これは、一人の人間の限られた寿命と能力という常識的な物差しで計画を判断し、不可能だと決めつけていることを示している。
問3:正解 1
- 智叟は、愚公「一人」の「残年余力」という、一代限りの視点で物事を判断している。それに対し、愚公は「我の死すと雖も、子存し、子又孫を生み…」と、自分の代で終わらない、子々孫々へと続く無限の時間の流れの中で計画を捉えている。この時間感覚の違いが、二人の結論の根本的な違いを生んでいる。
問4:正解 2
- この物語の結末は、愚公たちが自力で山を動かしたのではなく、その「已まざらんことを懼れ(決してやめない意志)」と「誠」に天帝が感動し、山を動かした、という点にある。これは、人間が揺るぎない決意と誠意を持って物事に取り組み続ければ、人知を超えた力(天)さえも動かし、不可能を可能にする、という強いメッセージを伝えている。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 愚公(ぐこう):愚かな老人、の意。主人公の名。
- 懲(くる)しむ:苦しむ、悩む。
- 迂(う)なり:遠回りである。
- 畢(つく)す:すべて出し尽くす。
- 曾(かつ)て~ず:今までに一度も~したことがない。
- 智叟(ちそう):物知りな老人、の意。愚公を笑う人物の名。
- 恵(けい):賢い、知恵がある。ここでは「不恵」で「物分かりが悪い」。
- 窮匱(きゅうき):尽き果てること。
- 何苦~ (なんぞ~をくるしまん):「どうして~を心配する必要があろうか」。反語。
- 厝(お)く:置く。
背景知識:愚公山を移す(ぐこうやまをうつす)
出典は道家の書物『列子』湯問篇。一見、愚かに見える行為でも、絶え間ない努力を続ければ、ついには偉大な事業を成し遂げることができる、という教え。目先の利害や常識にとらわれる「智叟(賢者)」よりも、揺るぎない意志を持つ「愚公(愚者)」の方が、最終的に事を成すという、道家的な価値観の転倒が示されている。この故事から、「愚公山を移す」という言葉は、何事も根気よく続ければ、必ず成し遂げられることのたとえとして使われる。毛沢東が演説で引用したことでも有名。