073(『史記』李将軍列伝 より 桃李不言)
本文
太史公曰、伝曰、「其身正、不令而行。其身不正、雖令不従。」此言責之上也。(1)彼李将軍、悛悛如鄙人、口不能道辞。及死之日、天下知与不知、皆為尽哀。彼其忠実心誠、信於士大夫也。諺曰、「桃李不言、下自成蹊。」此言雖小、可以諭大。
余睹李将軍、恂恂如鄙人。然其所射、亦奇矣。…(中略)…(2)広、廉、頗、牧、斉名。然広非隊伍、陥敵、あまりに多し。…(中略)…広之戦、匈奴畏之、あまりに多し。…(中略)…(3)然、竟不得封、何也。豈、所謂「不善於辞令」者邪。非也。…(中略)…然、其最後、自裁。悲夫。
【書き下し文】
太史公(たいしこう)曰く、伝に曰く、「其の身正しければ、令(れい)せずして行はる。其の身正しからざれば、令すと雖(いへど)も従はず。」と。此の言は上(かみ)を責むるなり。(1)彼の李将軍(りしょうぐん)は、悛悛(しゅんしゅん)として鄙人(ひじん)の如(ごと)く、口に辞を道(い)ふこと能(あた)はず。死するの日に及び、天下の知ると知らざると、皆為(ため)に哀(かな)しみを尽くせり。彼の其の忠実にして心誠(まこと)なる、士大夫(したいふ)に信ぜらるればなり。諺(ことわざ)に曰く、「桃李(とうり)言(ものい)はず、下(した)自(おのづか)ら蹊(こみち)を成す。」と。此の言は小なりと雖も、以て大を諭(さと)す可(べ)し。
余(われ)、李将軍を睹(み)るに、恂恂(じゅんじゅん)として鄙人(ひじん)の如し。然れども其の射る所、亦(ま)た奇なり。…(中略)…(2)広(こう)は、廉頗(れんぱ)・藺相如(りんしょうじょ)・李牧(りぼく)と名を斉(ひと)しうす。然るに広、隊伍(たいご)に非ずんば、敵に陥(おちい)り、あまりに多し。…(中略)…広の戦ひ、匈奴(きょうど)之を畏るること、あまりに多し。…(中略)…(3)然るに、竟(つひ)に封(ほう)ぜらるるを得ざりしは何ぞや。豈(あ)に、所謂(いはゆる)「辞令に善(よ)からず」なる者か。非なり。…(中略)…然るに、其の最後、自裁(じさい)す。悲しいかな。
【現代語訳】
私が見た李将軍は、温厚で実直な人柄で、田舎の人のようであった。しかし、彼の弓の腕前は、また並外れていた。…(中略)…(2)李広は、(戦国時代の名将である)廉頗・藺相如・李牧と名声を等しくするほどの人物だ。しかし、李広は正規の部隊行動でないときには、敵の罠に陥ることが、あまりに多かった。…(中略)…李広の戦いぶりは、匈奴がこれを恐れること、あまりに甚だしかった。…(中略)…(3)それなのに、ついに領地を与えられて諸侯に列せられることがなかったのは、なぜだろうか。まさか、世間で言う「口下手だったから」だろうか。いや、そうではない。…(中略)…それなのに、彼の最期は、自ら命を絶つというものであった。なんと悲しいことか。
【設問】
問1 傍線部(1)「彼李将軍、悛悛如鄙人、口不能道辞」で述べられている李広将軍の人物像として、最も適当なものを次から選べ。
- 飾り気がなく誠実だが、自己表現や弁舌は苦手な人物。
- 田舎出身で教養がなく、人々と話すことを避ける人物。
- 内気で人見知りするが、心の中では人々を深く愛している人物。
- 言葉で人をだますことを嫌い、常に行動で信義を示す人物。
問2 筆者は「桃李不言、下自成蹊」ということわざを引用して、李広将軍の何を説明しようとしているのか。最も適当なものを次から選べ。
- 口下手であっても、多くの戦功を立てれば、人々は自然と評価してくれるということ。
- 口下手であっても、その誠実で徳のある人柄ゆえに、人々が自然と彼を慕い、信頼したということ。
- 桃や李のように、多くの人々に恩恵を与えることで、自然と名声が高まっていくということ。
- 桃や李の実が鳥や獣を引き寄せるように、李広の武勇が敵兵さえも魅了したということ。
問3 傍線部(3)「然、竟不得封、何也」という筆者の問いの背景にある、李広将軍に対する評価はどのようなものか。最も適当なものを次から選べ。
- 戦の天才だが、人柄に問題があったため、正当に評価されなかったという評価。
- 不運が続いたせいで、彼の持つ本来の実力を発揮できずに終わったという評価。
- 数々の武功を立て、人々から深く敬愛されるなど、諸侯に封ぜられるに足る人物だったはずだという評価。
- 口下手で自己アピールができなかったために、大きな功績を立てる機会を逃してしまったという評価。
問4 この文章全体における、司馬遷の李広将軍に対する視点として、最もよく表れているものを次から選べ。
- その悲劇的な運命を嘆きつつも、彼の人間的な徳の高さを称賛し、後世に伝えようとする温かい視点。
- 彼の軍事的才能を認めつつも、諸侯になれなかった現実を冷徹に分析する客観的な視点。
- 彼の誠実な人柄を評価しつつも、世渡りの下手さを批判する教訓的な視点。
- 彼が不遇のまま死んだのは全て天命であるとみなし、運命の非情さを強調する宿命論的な視点。
【解答・解説】
問1:正解 1
- 「悛悛として鄙人の如く」は、真面目で素朴な人柄を、「口に辞を道ふこと能はず」は口下手であることを示している。したがって、内面は誠実だが、それをうまく言葉で表現するのは苦手な人物像が最も適当である。
問2:正解 2
- 「桃李不言」は、李広将軍が「口不能道辞(口下手)」であることに対応している。桃や李が何も言わなくても、その素晴らしい実や花のために人々が集まり、下に道ができるように、李広も口数は少なくとも、その「忠実心誠」な人徳によって、人々が自然と彼を慕い、信頼を寄せたのだ、というたとえである。
問3:正解 3
- 筆者は李広の武勇を「匈奴畏之」と述べ、その人徳を「天下皆為尽哀」と称賛し、その名声を「廉頗・李牧と名を斉しうす」と戦国の名将に匹敵すると評価している。これほどの実績と人徳を兼ね備えた人物が、なぜ諸侯になれなかったのか、という疑問であり、その背景には「彼は当然、諸侯になるべき人物だった」という高い評価がある。
問4:正解 1
- 司馬遷は、李広の不遇の死を「悲しいかな」と悼む一方で、「桃李不言」の故事を引いて彼の人徳を高く評価している。これは、世俗的な成功(封ぜられること)とは別の次元で、李広の人間的な価値を認め、その真価を後世に伝えようとする歴史家としての温かい眼差しを示している。単なる分析や批判、宿命論にとどまらない、人間への深い共感が感じられる。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 太史公(たいしこう):司馬遷のこと。『史記』の著者。
- 李広(りこう):前漢の武帝に仕えた将軍。弓の名手として知られ、匈奴から「飛将軍」と恐れられた。
- 悛悛(しゅんしゅん):誠実なさま。
- 鄙人(ひじん):田舎の人。素朴な人のたとえ。
- 道(い)ふ:言う。述べる。
- 士大夫(したいふ):官吏、武士階級の人々。
- 桃李(とうり):桃とすもも。徳のある人物のたとえ。
- 蹊(こみち):自然にできた小道。
- 封(ほう)ぜらる:領地を与えられ、諸侯に取り立てられる。
- 自裁(じさい):自ら命を絶つこと。自決。
背景知識:桃李言わざれども、下自ら蹊を成す
出典は『史記』李将軍列伝の最後にある、司馬遷による評。李広は、数々の武功を立て、兵士や民衆から深く敬愛されたにもかかわらず、不運が続き、ついに諸侯に封ぜられることなく、悲劇的な最期を遂げた。司馬遷は、そんな彼の生涯を振り返り、世俗的な成功は得られなくとも、その徳の高さは本物であったと称賛した。この「桃李言わざれども、下自ら蹊を成す」という言葉は、徳のある人のもとには、その人を慕って自然と人が集まってくることのたとえとして、広く使われるようになった。