070(『呂氏春秋』察今 より 刻舟求剣)
本文
楚人有渉江者。其剣自舟中墜於水。(1)遽刻其舟、曰、「是吾剣之所従墜。」舟止、従其所刻者、入水求之。(2)舟已行矣、而剣不行。求剣若此、不亦惑乎。
以古法為其国、与此同。時已徙矣、而法不徙。以此為治、豈不難哉。
【書き下し文】
楚人(そひと)に江(かう)を渉(わた)る者有り。其(そ)の剣(けん)、舟中(しゅうちゅう)より水に墜(お)つ。(1)遽(にはか)に其の舟に刻(きざ)みて曰く、「是(こ)れ吾(わ)が剣の従(よ)りて墜ちし所なり。」と。舟止(とど)まるに、其の刻みし所の者より、水に入りて之を求む。(2)舟は已(すで)に行(ゆ)けども、剣は行かず。剣を求むること此(かく)の若(ごと)きは、亦(ま)た惑(まど)へるに非(あら)ずや。
古法(こほう)を以(もっ)て其の国を為(をさ)むるは、此(これ)と同じ。時は已に徙(うつ)れども、法は徙らず。此を以て治むるは、豈(あ)に難(かた)からずや。
【現代語訳】
古い法律で国を治めようとするのは、これと同じことである。時代はもう移り変わってしまったのに、法律は変わらない。このようなやり方で国を治めるのは、なんと難しいことではないか。
【設問】
問1 傍線部(1)「遽刻其舟、曰、『是吾剣之所従墜』」という男の行動の根底にある、誤った思い込みは何か。最も適当なものを次から選べ。
- 舟に印をつければ、剣がその場所まで流れてくると考えた。
- 舟と剣は、水の中でも同じように動くと考えた。
- 舟に刻んだ印が、剣の落ちた場所を指し示し続けると考えた。
- 舟の神様に印を捧げれば、失くした剣を見つけてくれると考えた。
問2 傍線部(2)「舟已行矣、而剣不行」が指摘している、この男の失敗の根本的な原因は何か。最も適当なものを次から選べ。
- 状況が変化したにもかかわらず、変化しないもの(印)に固執したこと。
- 剣を落としたという不運な状況に、冷静さを失ってしまったこと。
- 舟の速さと川の流れの速さを、計算に入れていなかったこと。
- 他人の助けを借りず、自分一人の力で解決しようとしたこと。
問3 筆者は、この「刻舟求剣」の男の愚かさを、何になぞらえているか。本文の最後の二文から判断して、最も適当なものを次から選べ。
- 過去の栄光にすがり、現実から目をそむける老人の姿。
- 時代の変化に対応せず、古い法律や制度に固執する為政者の姿。
- 一つの学問に固執し、他の分野の知識を学ぼうとしない学者の姿。
- 新しい技術の登場を無視し、昔ながらのやり方を変えない職人の姿。
問4 この寓話から生まれた「刻舟求剣」という言葉は、どのような態度の愚かさを指摘する際に使われるか。最も適当なものを次から選べ。
- 物事の表面だけを見て、その本質を見抜けない態度。
- 一度決めたことを、状況が変わっても頑固に変えようとしない態度。
- 時代の変化についていけず、古い考えに固執して融通がきかない態度。
- 自分の失敗を認めず、無意味な努力を延々と続けてしまう態度。
【解答・解説】
問1:正解 3
- 男は、舟が動いているという事実を忘れ、舟に刻んだ印が、剣が水底に沈んでいる「絶対的な位置」を示してくれると誤解した。動いている舟(=相対的な基準)を、動かない地面(=絶対的な基準)と同じように考えてしまったのが、彼の思い込みである。
問2:正解 1
- 剣が落ちたその瞬間においては、舟の印と剣の位置は一致していた。しかしその後、「舟は行く」が「剣は行かず」という状況の変化が起こった。男の失敗の原因は、この「変化」を認識できず、変化前の古い情報(印)に固執してしまったことにある。
問3:正解 2
- 筆者は「以古法為其国、与此同(古い法律で国を治めるのは、これと同じだ)」と明確に述べている。剣を「法」、舟を「時(時代)」にたとえ、時代という舟は進んでいくのに、古い法律という剣は過去に取り残されたままだ、と批判している。これは為政者に対する警告である。
問4:正解 3
- 「刻舟求剣」の故事は、時の移り変わりに気づかず、古い考えや方法に固執することの愚かさを象徴している。時代の流れという根本的な変化を無視して、過去の基準で物事を判断しようとする、頑固で融通のきかない態度の比喩として使われる。選択肢2も近いが、この故事の核心は「時代の変化」という要素なので、3がより本質的である。
【覚えておきたい知識】
重要句法
- A之所従B (AのBするゆゑんのところ):「AがBした場所・理由」。本文では「剣の従りて墜ちし所(剣が落ちた場所)」。
- 不亦A乎 (またAならずや):「なんとAではないか」。強い詠嘆・反語。
- 豈不A哉 (あにAならずや):「なんとAではないか」。強い詠嘆・反語。
重要単語
- 渉(わた)る:川などを渡る。
- 遽(にはか)に:あわてて、急に。
- 刻(きざ)む:彫る、印をつける。
- 惑(まど)へり:道理に暗い、愚かである。
- 古法(こほう):古い法律や制度。
- 徙(うつ)る:移り変わる。
背景知識:刻舟求剣(こくしゅうきゅうけん)
出典は『呂氏春秋』察今篇。「察今」とは「今を観察する」の意で、時代の変化をよく見て政治を行うべきだと説く篇。この話は、状況が変化したことを理解せず、古いやり方に固執する愚かさを風刺した寓話である。ここから「刻舟求剣」は、時勢の移り変わりに気づかず、頑固で融通がきかないことのたとえとして使われるようになった。法家の思想に通じる、現実主義・時代適応の重要性を示している。