065(『荘子』人間世 より 無用の用)
本文
匠石之斉、至于曲轅、見櫟社樹。其大蔽数千牛、絜之百囲、其高臨山十仞、而後有枝。其可以為舟者、旁十数。観者如市、匠伯不顧、遂行不輟。
弟子厭観之、走及匠石、曰、「自吾執斧斤以随夫子、(1)未嘗見材如此其美也。先生不肯視、行不輟、何也。」曰、「已。勿言之矣。(2)散木也。以為舟則沈、以為棺槨則速腐、以為器則速毀、以為門戸則液樠、以為柱則蠹。是不材之木也。無所可用。故能若是之寿。」
匠石帰、櫟社樹見夢曰、「女将悪乎比予。若将比予於文木邪。夫柤梨橘柚、果実熟則剥、剥則辱。大枝折、小枝泄。此以其能苦其生者也。故不終其天年而中道夭。…(3)予求無所可用、久矣。幾死、乃今得之。為予大用。使予也而有用、且得有此大也邪。」
【書き下し文】
匠石(しょうせき)、斉(せい)に之(ゆ)き、曲轅(きょくえん)に至り、櫟社樹(れきしゃじゅ)を見る。其の大いさ数千の牛を蔽(おほ)ひ、之を絜(はか)れば百囲(ひゃくい)、其の高さは山に臨(のぞ)みて十仞(じゅうじん)、而(しか)る後に枝有り。其の以て舟と為(な)す可(べ)き者、旁(かたは)らに十数あり。観る者市の如(ごと)きも、匠伯(しょうはく)顧(かへりみ)ず、遂(つひ)に行きて輟(や)めず。
弟子(ていし)、之を観て厭(あ)き、走りて匠石に及びて、曰く、「吾(われ)、斧斤(ふきん)を執(と)りて夫子(ふうし)に随(したが)ひしより、(1)未(いま)だ嘗(かつ)て材の此(かく)の如(ごと)く其れ美なるを見ざるなり。先生、視(み)るを肯(がへん)ぜず、行きて輟めざるは、何ぞや。」と。曰く、「已(や)んぬ。之を言ふ勿(なか)れ。(2)散木(さんぼく)なり。以て舟と為(な)さば則ち沈み、以て棺槨(かんかく)と為さば則ち速(すみ)やかに腐り、以て器と為さば則ち速やかに毀(こぼ)れ、以て門戸(もんこ)と為さば則ち液樠(えきまん)し、以て柱と為さば則ち蠹(むしば)まれん。是(こ)れ不材(ふざい)の木なり。用ふべき所無し。故に能(よ)く是(かく)の若(ごと)く寿(いのちなが)し。」と。
匠石帰る。櫟社樹、夢に見(あら)はれて曰く、「女(なんぢ)、将(まさ)に予(われ)を悪(いづく)にか比(ひ)せんとするか。若(なんぢ)、将に予を文木(ぶんぼく)に比せんとするか。夫(そ)の柤梨橘柚(そりきつゆう)は、果実熟すれば則ち剥(はが)され、剥さるれば則ち辱(はずかし)めらる。大枝(たいし)は折られ、小枝(しょうし)は泄(ひ)かる。此れ其の能(のう)を以て其の生を苦しむる者なり。故に其の天年を終へずして中道にして夭(わかじに)す。…(3)予、用ゐらるる所無きを求むること、久し。幾(ほとん)ど死せんとして、乃(すなは)ち今之を得たり。予の大用と為す。予をして有用ならしめば、且(まさ)に此の大なるを有(たも)つを得んや。」と。
【現代語訳】
弟子は、その木を飽きるほどじっくり見てから、走って石に追いついて言った、「私が斧を持って親方のお供をするようになってから、(1)いまだかつてこれほど立派な木材を見たことがありません。親方は見ようともせず、歩みを止められませんでしたが、どうしてですか。」と。石は言った、「もうよい。その話はするな。(2)あれは役立たずの木だ。あれで舟を作れば沈むし、棺桶を作ればすぐに腐るし、器を作ればすぐに壊れるし、門扉を作ればヤニだらけになるし、柱にすれば虫に食われる。何の役にも立たない木だ。だから、あんなに長生きできたのだ。」と。
石が家に帰ると、あのクヌギの神木が夢に現れて言った、「お前は私を何と比べようというのか。美しい模様のある(役に立つ)木と比べようとするのか。あのカリン、ナシ、タチバナ、ユズなどの木は、果実が熟すと皮をむかれ、むかれれば辱められる。大きな枝は折られ、小さな枝は引きちぎられる。これは、その有用な能力によって、自らの生を苦しめている者たちだ。だから天寿を全うできずに途中で若死にする。…(3)私は、何の役にも立たない存在になることを、長い間求めてきたのだ。何度も(役に立つと見なされて)殺されそうになったが、今ようやくそれを手に入れた。それが私にとっては、大いなる有用さなのだ。もし私が(お前たちの言う)役に立つ木であったなら、そもそもこれほど大きく成長することができただろうか、いや、できなかっただろう。」と。
【設問】
問1 傍線部(1)「未嘗見材如此其美也」とあるが、弟子がこの木を「美しい材」だと考えたのはなぜか。最も適当なものを次から選べ。
- 木全体の形が、均整のとれた美しい姿をしていたから。
- 神木として祀られており、神々しい雰囲気をまとっていたから。
- 巨大で、たくさんの舟が作れるほどの木材が取れそうに見えたから。
- 木目が非常に細かく、希少な高級材として高く売れそうだったから。
問2 傍線部(2)「散木也」に対する棟梁の評価として、本文に書かれていないものを次から選べ。
- 舟にすると沈む。
- 棺桶にすると腐る。
- 柱にすると虫に食われる。
- 燃やすと煙がたくさん出る。
問3 傍線部(3)「予求無所可用、久矣」という木の言葉に込められた考え方として、最も適当なものを次から選べ。
- 役に立つ能力を持つことは、かえって自らの身を危険にさらし、寿命を縮める原因となる。
- 長生きするためには、人目につかないようにひっそりと暮らすのが最も良い方法である。
- 何の役にも立たないと見せかけて油断させ、いざという時に真の能力を発揮するべきだ。
- 人からどのように評価されようとも、自分自身が定めた目標に向かって努力し続けるべきだ。
問4 この物語が示す「無用の用」という考え方を、最もよく説明しているものを次の中から一つ選べ。
- 今は役に立たないものでも、いつか必ず役に立つ時が来るので、大切にすべきだという考え。
- 一見すると何の役にも立たないように見えるものが、実はそれゆえに災いを免れ、本来の天寿を全うするという、より大きな有用性を持つという考え。
- 世の中の役に立つことだけが価値なのではなく、ただそこに存在するだけでも十分に価値があるという考え。
- 物の価値は、それを使う人間によって決まるので、役に立つか立たないかは一概には言えないという考え。
【解答・解説】
問1:正解 3
- 弟子は、大工としての視点から木を見ている。彼が「美しい材」と評価したのは、「其大蔽数千牛、絜之百囲」「其可以為舟者、旁十数」といった記述からわかるように、その圧倒的な大きさと、そこから取れるであろう木材の量に感心したからである。
問2:正解 4
- 棟梁の石は、この木が「散木(役立たずの木)」である理由として、「舟にすると沈む」「棺桶にすると腐る」「器にすると壊れる」「門扉にするとヤニが出る」「柱にすると虫に食われる」と具体的に列挙している。選択肢4の「燃やすと煙がたくさん出る」という内容は本文に書かれていない。
問3:正解 1
- 木は、果実のなる木が「其の能を以て其の生を苦しむる」と述べている。これは、役に立つ能力(果実がなる)があるせいで、人間に利用され、枝を折られるなどして天寿を全うできない、という意味である。そこから、自らは「用ゐらるる所無き(役に立たないこと)」を求めることで、長生きするという目的を果たした、と語っている。
問4:正解 2
- 「無用の用」とは、人間社会の基準での「用(=実用性)」がない(=無用)であることが、かえって災難から身を守り、天寿を全うするという本来の目的を果たすための「用(=有用性)」になっている、という逆説的な考え方である。選択肢2がこの「無用」と「大用」の関係を最も正確に説明している。選択肢3や4も荘子の思想に近い部分はあるが、この物語の核心である「無用であるからこそ大用をなす」という逆説の論理を捉えているのは2である。
【覚えておきたい知識】
重要句法
- 未嘗不~(いまだかつて~ずんばあらず):「今まで~しなかったことはない」。強い肯定。本文の「未嘗見~ず」は「今まで見たことがない」という否定。
- 勿言之矣 (これをいふなかれ):「そのことを言うな」。禁止。
- 無所~ (~ところなし):「~するところのものがない」。
- 使A動詞 (Aをして~しむ):「Aに~させる」。使役形。本文では「使予也而有用」。
重要単語
- 匠石(しょうせき):大工の石(せき)さん、というほどの意。
- 櫟社樹(れきしゃじゅ):土地神を祀る神木であるクヌギの木。
- 囲(い):両腕を広げて抱える長さ。太さの単位。
- 仞(じん):古代の長さの単位。七尺または八尺。
- 輟(や)む:やめる、中止する。
- 厭(あ)く:満足する、飽きるほど十分に見る。
- 散木(さんぼく):役に立たない木。
- 不材(ふざい):役に立たないこと。才能がないこと。
- 文木(ぶんぼく):木目が美しい、役に立つ木材。
- 天年(てんねん):天から与えられた寿命。
背景知識:無用の用(むようのよう)
出典は『荘子』人間世篇。荘子は、人為的な価値観や常識に縛られず、自然のままに生きること(無為自然)を理想とした道家の思想家。この「無用の用」という考え方は、その思想の根幹をなすものの一つである。人間社会の基準で「役に立つ」とされるものは、かえってその能力ゆえに利用され、傷つけられ、本来の生命を全うできない。一方で、「役に立たない」と見なされるものは、誰からも干渉されずに、ありのままの生命を全うできる。常識的な価値観を転倒させ、物事の本質を問い直す、荘子らしい逆説的な思考が示されている。