064(『韓非子』説難 より 逆鱗)
本文
夫竜之為虫也、可擾狎而騎也。然其喉下有(1)逆鱗径尺。若人有嬰之者、則必殺人。人主亦有逆鱗。(2)説者能無嬰人主之逆鱗、則幾矣。
昔者、弥子瑕有寵於衛君。衛国之法、窃駕君車者、罪刖。弥子瑕母病、人聞、往夜告弥子。弥子矯駕君車以出。君聞之而賢之曰、「孝哉。為母之故、忘其刖罪。」異日、与君遊於果園、食桃而甘、不尽、以其半啖君。君曰、「愛我哉。忘其口之味、以啖寡人。」及弥子瑕色衰愛弛、得罪於君。君曰、「是固嘗矯駕吾車、又嘗啖我以余桃。」(3)故弥子之行、未嘗変於初也。而以前之所以見賢、而後獲罪者、愛憎之変也。故有愛於主、則知当而加親。有憎於主、則智不当見罪而加疏。故諫説之士、不可不察愛憎之主而後説焉。
【書き下し文】
夫(そ)れ竜(りゅう)の虫(むし)たるや、擾狎(じょうこう)して騎(の)る可(べ)きなり。然(しか)れども其(そ)の喉下(こうか)に(1)逆鱗(げきりん)の径尺(けいしゃく)なる有り。若(も)し人の之(これ)に嬰(ふ)るる者有らば、則(すなは)ち必ず人を殺す。人主(じんしゅ)も亦(ま)た逆鱗有り。(2)説者(ぜいしゃ)、能(よ)く人主の逆鱗に嬰るること無くんば、則ち幾(ちか)し。
昔者(むかし)、弥子瑕(びしか)、衛君(えいくん)に寵(ちょう)有り。衛国の法、君車(くんしゃ)を窃(ぬす)み駕(が)する者は、罪(つみ)は刖(げつ)なり。弥子瑕が母病む。人、聞き、往(ゆ)きて夜、弥子に告ぐ。弥子、矯(いつは)りて君車を駕して以て出づ。君、之を聞きて之を賢(けん)として曰く、「孝なるかな。母の為の故に、其の刖罪(げつざい)を忘る。」と。異日(いじつ)、君と果園(かえん)に遊び、桃を食らひて甘(あま)しとし、尽(つ)くさず、其の半(なか)ばを以て君に啖(くら)はす。君曰く、「我を愛するかな。其の口の味を忘れ、以て寡人(かじん)に啖はす。」と。弥子瑕、色衰(おとろ)へ愛弛(ゆる)むに及んで、君に罪を得(う)。君曰く、「是(こ)れ固(もと)より嘗(かつ)て吾(わ)が車を矯駕(きょうが)し、又嘗て我に余桃(よとう)を以て啖はせたり。」と。(3)故に弥子の行ひ、未だ嘗て初めに変ぜざるなり。而(しか)るに前の以て賢とせられ、而して後に罪を獲(う)る所以(ゆゑん)の者は、愛憎の変なり。故に主に愛有らば、則ち知(ち)当(あた)りて親しみを加へらる。主に憎しみ有らば、則ち智当たらずして罪を見(こうむ)りて疏(うと)んぜらる。故に諫説(かんぜい)の士は、愛憎の主を察せざる可からずして後に説く焉(かな)。
【現代語訳】
昔、弥子瑕という者が衛の君主に寵愛されていた。衛の国の法律では、君主の車を盗み乗りした者は、足切りの刑に処されることになっていた。ある時、弥子瑕の母が病気になった。それを聞いた人が、夜に弥子瑕のもとへ行って知らせた。弥子瑕は、君主の命令だと偽って君主の車に乗って出て行った。君主はこれを聞いて、彼を賢明だと褒めて言った、「なんと親孝行なことか。母のためを思うあまり、足切りの刑になることも忘れたのだな。」と。別の日、君主と果樹園で遊んでいた時、桃を食べて甘いと思い、全部は食べずに、その半分を君主に食べさせた。君主は言った、「私を愛してくれているのだなあ。自分が美味しいと思うのも忘れて、私に食べさせてくれるとは。」と。やがて弥子瑕の容色が衰え、君主の寵愛が緩むと、君主の機嫌を損ねて罪を得た。君主は言った、「こいつはもともと、かつて私の車を盗み乗りし、また、私に食べかけの桃を食わせた奴だ。」と。(3)このように、弥子瑕の行動は、最初から何も変わっていないのである。それなのに、以前は賢明だとされた行為が、後になって罪に問われた理由は、君主の愛情が憎しみに変わったからである。だから、君主の愛情があるうちは、知恵が当たり、ますます親しくされる。君主の憎しみを受けるようになると、知恵も外れ、罪を着せられて疎んじられる。したがって、君主を諫め説得しようとする者は、君主の(自分に対する)愛情や憎しみの状態をよく観察してから説得すべきなのである。
【設問】
問1 傍線部(1)の「逆鱗」は、君主の何にたとえられているか。最も適当なものを次から選べ。
- 君主が最も大切にしている宝物や政策。
- 君主が誰にも明かしていない重大な秘密。
- 君主のプライドや劣等感に関わる、決して触れてはならない話題。
- 君主が最も信頼している、腹心の部下。
問2 傍線部(2)「説者能無嬰人主之逆鱗、則幾矣」とはどういうことか。その説明として最も適当なものを次から選べ。
- 説得の成否は、君主の逆鱗にさえ触れなければ、ほぼ成功したも同然であるということ。
- 説得を成功させるためには、君主の逆鱗に触れるくらいの覚悟が必要であるということ。
- 説得する者は、君主には逆鱗があることをよく理解しておく必要があるということ。
- 説得の名人ならば、君主の逆鱗に触れても巧みにかわすことができるということ。
問3 傍線部(3)「弥子之行、未嘗変於初也。而以前之所以見賢、而後獲罪者、愛憎之変也」で筆者が主張していることは何か。最も適当なものを次から選べ。
- 人の行いの善悪は、見る人の主観的な感情によって全く逆の評価を受けることがあるということ。
- 君主の寵愛は移ろいやすいものなので、それに頼るべきではないということ。
- 弥子瑕は、君主の寵愛を失った後も、以前と同じように誠実に行動し続けたということ。
- 一度罪を得てしまうと、過去の善行まで全て否定されてしまう不条理があるということ。
問4 筆者がこの文章で「説者(説得を試みる者)」に伝えたい最も重要な心構えは何か。次の中から選べ。
- 論理の正しさだけでなく、君主の心理状態や自分への好悪を注意深く見極める必要がある。
- 君主の寵愛を得ることこそが、説得を成功させるための最も確実な方法である。
- 君主の機嫌に左右されず、常に変わらぬ態度で正しいと信じることを説くべきである。
- 君主の逆鱗という危険を冒してでも、国のために諫言することが臣下の務めである。
【解答・解説】
問1:正解 3
- 「逆鱗」とは、竜の急所であり、触れられると激しく怒り狂う場所である。これを君主にたとえているのだから、君主の心の奥にある、指摘されたり触れられたりすると激怒するような、プライドやコンプレックスに関わる部分を指す。
問2:正解 1
- 「幾し」は「(成功に)近い」という意味。つまり、説得の最大の難関は、君主の感情を害し、怒りを買う「逆鱗」に触れてしまうことである。逆に言えば、その最大の危険さえ回避できれば、説得が成功する可能性は非常に高くなる、ということを示している。
問3:正解 1
- 弥子瑕の「君の車に乗る」「食べかけの桃をあげる」という行動自体は、最初から最後まで変わっていない。しかし、君主の感情が「愛」から「憎」に変わったことで、同じ行動が「孝行・愛情」から「僭越・無礼」へと、評価が180度転換してしまった。このことから、行動の評価は客観的なものではなく、評価者の主観(特に愛憎)に大きく左右される、という厳しい現実を指摘している。
問4:正解 1
- 筆者は「逆鱗」のたとえで君主の感情の危険性を説き、後半の弥子瑕の例で君主の「愛憎」がいかに評価を左右するかを具体的に示した。そして結論として「諫説の士は、愛憎の主を察せざる可からずして後に説く(君主の愛憎の状態をよく観察してから説得すべきだ)」と述べている。これは、説得内容の論理的正しさだけでは不十分で、相手の心理状態を深く洞察することが極めて重要である、という現実的な忠告である。
【覚えておきたい知識】
重要句法
- 所以(ゆゑん):「~の理由、~の方法」。
- 未嘗不~(いまだかつて~ずんばあらず):「今まで~しなかったことはない」。強い肯定。本文の「未嘗変」は「変ぜず」なので「今まで変わらなかった」となる。
- 不可不~(~ざるべからず):「~しないわけにはいかない」「~すべきである」。強い義務・必要。
重要単語
- 擾狎(じょうこう):なれ親しむ。
- 嬰(ふ)る:触れる。
- 説者(ぜいしゃ):君主などに意見を説いてまわる人。遊説家。
- 幾(ちか)し:近い。ここでは成功に近い、の意。
- 寵(ちょう):君主などからの特別な愛情。
- 刖(げつ):古代中国の刑罰の一つ。足切り刑。
- 矯(いつは)る:偽る。
- 啖(くら)はす:食べさせる。
- 愛弛(あいゆる)む:愛情がゆるむ、薄れる。
背景知識:逆鱗に触れる(げきりんにふれる)
出典は『韓非子』説難篇。「説難」とは「説得することの難しさ」を意味する。法家思想の代表である韓非子は、君主が絶対的な権力を持つ以上、臣下が君主を説得する行為は極めて危険を伴うと考えていた。この話は、その危険性を竜の「逆鱗」にたとえて説明したものである。ここから、目上の人を激しく怒らせてしまうことを「逆鱗に触れる」と言うようになった。後半の弥子瑕の話は、寵愛が憎悪に変わることを「余桃の罪」として知られる。