062(『列子』天瑞篇 より 杞憂)

本文

杞国有人、憂(1)天崩地陥、身亡所寄、廃寝食者。又有憂彼之憂者、暁之曰、「天、積気耳。亡処亡気。子奚患焉。」其人曰、「天果積気、日月星宿、不当墜耶。」暁者曰、「日月星宿、亦積気中之有光耀者。只使墜、亦不能有所中傷。」其人曰、「奈地壊何。」暁者曰、「地、積塊耳。充塞四虚、亡処亡塊。子歩驟於上、終日不倦、(2)奚患其壊。」其人舎然大喜。暁者亦舎然大喜。
長廬子聞之笑曰、「虹蜺也、雲霧也、風雨也、四時也、此積気之成乎天者。山岳也、河海也、金石也、火木也、此積形之成乎地者。(3)知其積気、知其積塊、奚謂不壊。夫天地、空中之一細物、有中之最巨者。難終難窮、此固然矣。憂其壊、誠為大遠。言其不壊、亦為非也。」

【書き下し文】
杞国(きこく)に人有り、(1)天崩(くづ)れ地陥(お)ち、身の寄(よ)する所亡(な)からんことを憂(うれ)へ、寝食(しんしょく)を廃(はい)する者有り。又(ま)た彼の憂へを憂ふる者有りて、之(これ)を暁(さと)して曰く、「天は、積気(せっき)なるのみ。処(ところ)として気亡きは亡し。子、奚(なん)ぞ焉(これ)を患(うれ)へん。」と。其の人曰く、「天、果たして積気ならば、日月星宿(じつげつせいしゅく)、当(まさ)に墜(お)つべきに非(あら)ずや。」と。暁す者曰く、「日月星宿も、亦(ま)た積気の中の光耀(こうよう)有る者なり。只(たと)ひ墜つるを使(し)むとも、亦(ま)た中傷(ちゅうしょう)する所有る能(あた)はず。」と。其の人曰く、「地の壊(こは)るるを奈何(いかん)せん。」と。暁す者曰く、「地は、積塊(せっかい)なるのみ。四虚(しきょ)に充塞(じゅうそく)し、処として塊亡きは亡し。子、上を歩驟(ほしゅう)するに、終日(しゅうじつ)倦(う)まず。(2)奚ぞ其の壊るるを患へん。」と。其の人、舎然(しゃぜん)として大いに喜ぶ。暁す者も亦、舎然として大いに喜ぶ。
長廬子(ちょうろし)之を聞きて笑ひて曰く、「虹蜺(こうげい)や、雲霧(うんむ)や、風雨(ふうう)や、四時(しいじ)や、此れ積気の天に成る者なり。山岳(さんがく)や、河海(かかい)や、金石(きんせき)や、火木(かぼく)や、此れ積形の地に成る者なり。(3)其の積気なるを知り、其の積塊なるを知らば、奚ぞ壊れずと謂(い)はん。夫(そ)れ天地は、空中の一細物(いちさいぶつ)にして、有(ゆう)の中の最も巨(おほ)いなる者なり。終(お)へ難(がた)く窮(きは)め難きは、此れ固(もと)より然り。其の壊るるを憂ふるは、誠に大遠(たいえん)なり。其の壊れずと言ふも、亦(ま)た非(ひ)為(な)り。」と。

【現代語訳】
杞の国に、(1)天が崩れ落ち、地が陥没して、自分の身を置くところが無くなってしまうのではないかと心配し、夜も眠れず食事もできないでいる男がいた。また、その男の心配を心配する人がいて、彼をさとそうと言った、「天というのは、ただ気が積もってできているだけだ。どこへ行っても気のない所はない。あなたはどうしてそんなことを心配するのか。」と。心配性の男は言った、「もし天が本当に気の集まりなら、太陽や月や星は、当然落ちてくるのではないか。」と。さとす人が言った、「太陽や月や星も、気の集まりの中で光り輝いているものにすぎない。たとえ落ちてきたとしても、誰かを傷つけることなどできはしない。」と。心配性の男は言った、「では、地が壊れたらどうするのだ。」と。さとす人が言った、「地というのは、ただ土くれが集まってできているだけだ。宇宙の隅々まで満ちており、どこへ行っても土くれのない所はない。あなたは一日中その上を歩き回っても疲れないではないか。(2)どうしてその地が壊れるなどと心配するのか。」と。心配性の男は、すっきりと安心した様子で大いに喜んだ。さとそうとした男もまた、すっきりとして大いに喜んだ。
長廬子がこの話を聞いて、笑って言った、「虹や、雲や霧や、風や雨や、四季の移り変わりは、気の集まりが天において形を成したものである。山や、川や海や、金属や石や、火や木は、形の集まりが地において姿を成したものである。(3)それらが気の集まり、土くれの集まりだと知っているのなら、どうして『壊れない』などと言えようか。そもそも天地というものは、広大な宇宙の中の一つの小さな物にすぎず、存在する物の中では最も巨大なものである。その終わりや究極を知ることが難しいのは、もとより当然のことだ。それが壊れるのではないかと心配するのは、確かに行き過ぎた考えだ。しかし、だからと言って『絶対に壊れない』と断言するのも、また間違いである。」と。

【設問】

問1 傍線部(1)にある杞国の人の憂いは、どのような性質のものか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 自分の力では到底対処できず、考えれば考えるほど不安が募る、根源的な心配。
  2. 過去の失敗経験からくる、同じ過ちを繰り返すことへの具体的な恐怖。
  3. 自分の健康や家族の将来など、誰しもが抱く現実的な悩み。
  4. 他人から笑われることを恐れ、自分の行動を過度に抑制してしまう社会的な不安。

問2 傍線部(2)「奚患其壊」とあるが、「暁す者」が「地は壊れない」と主張する論理の根拠として、最も適当なものを次から選べ。

  1. 天地は神が作った完璧なものだから。
  2. 地はどこまでも続く土の塊で、我々がその上で問題なく生活している事実があるから。
  3. 地の歴史を考えれば、これまで一度も壊れたことがないから。
  4. もし地が壊れたら、天も一緒に壊れてしまうから。

問3 傍線部(3)「知其積気、知其積塊、奚謂不壊」という長廬子の言葉は、誰のどのような考えを批判するものか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 「天地が壊れる」と心配する杞国人の、非現実的な悲観論。
  2. 「天地は絶対に壊れない」と断言して杞国人を安心させた「暁す者」の、根拠の薄い楽観論。
  3. 天地の成り立ちについて議論すること自体を、無意味だと考える世間の人々。
  4. 宇宙の真理を知ろうとせず、目先の生活にしか関心のない杞国人。

問4 この話全体を通じて、作者が最も言いたいことは何か。次の中から選べ。

  1. 物事を知らないことは不安の元なので、科学的な知識を学ぶことが重要である。
  2. 心配事があるときは、一人で悩まずに他人に相談することが大切である。
  3. 過度に心配することも、根拠なく「絶対に大丈夫」と断言することも、どちらも真理から外れた極端な考え方である。
  4. 宇宙の真理は人間には決して理解できないので、考えるだけ無駄である。
【解答・解説】

問1:正解 1

問2:正解 2

問3:正解 2

問4:正解 3

【覚えておきたい知識】

重要句法

重要単語

背景知識:杞憂(きゆう)

出典は道家の書物『列子』天瑞篇。杞の国の人が天地崩壊を心配したというこの故事から、「杞憂」という言葉が生まれた。現代では「取り越し苦労」「無用な心配」という意味で使われる。この物語は、単に心配性を笑うだけでなく、後半の長廬子の言葉によって、「絶対安全」と思い込むことの危うさも指摘しており、物事を両極端に考えず、あるがままに受け入れるという道家思想の深い洞察を示している。

レベル:共通テスト標準~発展|更新:2025-07-26|問題番号:062