現代文対策問題 55
本文
現代の都市に住む私たちは、かつてないほど「安全」な環境にいるとされている。街角の防犯カメラ、堅牢なマンションのセキュリティ、夜道を煌々と照らす街灯。これらは、物理的な危険から私たちを守ってくれる、頼もしい存在であることは間違いない。しかし、その一方で、私は、過剰なまでの「安全」の追求が、私たちの精神から、ある種の活力を奪っているのではないかと感じるのだ。
かつて、夜道には、文字通りの「暗闇」が存在した。暗闇は、危険を内包する、予測不可能な空間である。しかし、同時に、それは、私たちの五感を研ぎ澄ませ、見えないものを想像させる、豊かな空間でもあった。闇の中に潜むかもしれない何かにおびえながらも、その気配に耳を澄まし、月明かりを頼りに、慎重に歩を進める。そうした経験は、私たちに、世界が常に人間の管理下にあるわけではないという、根源的な事実を教えてくれた。
完全に管理され、隅々まで照らし出された「安全」な空間は、私たちから、そうした世界との緊張感に満ちた対話の機会を奪う。予測不可能なもの、異質なもの、理解できないものが、徹底的に排除された環境。それは、いわば、無菌室のようなものである。無菌室では、病気になるリスクは低いかもしれないが、同時に、予期せぬ出来事に対応するための、免疫力のようなものが育たない。
リスクをゼロにしようとする社会は、一見、理想的に見える。しかし、それは、未知のものと出会う驚きや、困難を乗り越えることで得られる達成感といった、人生の豊かさの源泉をも、枯渇させてしまう危険性を孕んでいる。時には、管理された安全地帯から一歩踏み出し、少しだけ「危険」な、予測不可能な世界と、対峙してみること。それこそが、現代に生きる私たちが、精神的な活力を取り戻すために、必要なのではないだろうか。
【設問1】傍線部①「過剰なまでの「安全」の追求が、私たちの精神から、ある種の活力を奪っている」とあるが、筆者がそのように考えるのはなぜか。その理由の説明として最も適ストなものを、次の中から一つ選べ。
- 防犯カメラなどに常に監視されることで、人々が、息苦しさや、精神的なストレスを感じるようになっているから。
- 危険が排除された環境では、五感を研ぎ澄ませたり、想像力を働かせたりする機会が失われ、心が鈍化してしまうから。
- 物理的な安全が確保された結果、人々が、他者への関心を失い、社会全体の連帯感が、希薄になっているから。
- 安全な社会を維持するためには、多くのコストがかかり、その経済的な負担が、人々の生活を圧迫しているから。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 「監視によるストレス」という側面は、本文では触れられていません。
- 2. 筆者は、「暗闇」を例に挙げ、「私たちの五感を研ぎ澄ませ、見えないものを想像させる、豊かな空間」が、安全の追求によって失われたと述べています。危険や予測不可能性が排除されることで、そうした状況に対応するために感覚を鋭敏にしたり、想像したりする必要がなくなり、結果として精神の「活力」が失われる、という論理です。
- 3. 「他者への関心」や「連帯感」の希薄化が、安全の追求の直接的な結果であるとは述べられていません。
- 4. 「経済的な負担」といった、社会システムの問題は、本文の射程外です。
【設問2】傍線部②「予期せぬ出来事に対応するための、免疫力のようなもの」とあるが、これは、本文の文脈において、どのような能力を指しているか。最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 病原菌やウイルスに対する、身体的な抵抗力。
- 災害や犯罪から、自分の身を守るための、実践的な防災・防犯スキル。
- 自分の思い通りにならない、予測不可能な事態に直面した時に、それを受け入れ、乗り越えていこうとする、精神的な強さや、しなやかさ。
- 社会のルールや、法律を、深く理解し、それに従って、自らの行動を律する、規範意識。
【正解と解説】
正解 → 3
- 1. 「無菌室」は比喩であり、実際に病気に対する身体的な免疫力の話をしているわけではありません。
- 2. 「防災・防犯スキル」という具体的な技術ではなく、もっと内面的で、精神的な能力を指しています。
- 3. 「無菌室」の比喩は、リスクが完全に排除された環境を指します。そうした環境では、困難や「予測不可能な事態」に遭遇する経験が乏しくなります。その結果、いざそうした事態に直面した際に、精神的に脆くなってしまう。筆者は、予測不可能な世界と対峙する経験を通じて培われる、こうした精神的な耐性や適応力(強さ、しなやかさ)を「免疫力」と表現しているのです。
- 4. 「規範意識」は、管理された社会に適応するための能力であり、ここでいう「予測不可能な事態に対応する」能力とは異なります。
【設問3】筆者が、本文で例として挙げている「暗闇」の持つ二面性の説明として、最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 物理的な危険を内包する一方で、人間の想像力を刺激し、五感を研ぎ澄ませるという側面。
- 犯罪の温床となる、社会的な負の側面と、文学や芸術のテーマとなる、文化的な正の側面。
- 科学的な解明を拒む、神秘的な側面と、いずれは照明技術によって克服されるべき、技術的な課題としての側面。
- 都会の人間にとっては恐怖の対象であるが、自然の中で暮らす人間にとっては、安らぎの空間であるという、相対的な側面。
【正解と解説】
正解 → 1
- 1. 第二段落に、「暗闇は、危険を内包する、予測不可能な空間である」という側面と、「同時に、それは、私たちの五感を研ぎ澄ませ、見えないものを想像させる、豊かな空間でもあった」という側面が、明確に対比して述べられています。この記述が、この選択肢の内容と完全に一致します。
- 2. 「文学や芸術のテーマ」といった、文化論的な話はしていません。
- 3. 「克服されるべき技術的な課題」という視点は、むしろ筆者が批判する、安全を追求する側の視点です。
- 4. 「都会の人間」「自然の中で暮らす人間」といった、特定の人間類型に限定した話はしていません。
【設問4】本文全体の趣旨として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 現代社会の行き過ぎた安全志向を批判し、かつての、自然と共存していた、危険だが豊かな社会への回帰を主張している。
- 防犯設備の充実よりも、地域社会の繋がりを再生することこそが、真の安全を実現するための道であると論じている。
- 完全に管理された安全な環境は、人間の精神的な活力を削ぐ可能性があるため、時には、予測不可能なものと向き合うことも重要だと論じている。
- 人生における様々なリスクを、いかにして、科学的な知見に基づいて管理し、最小化していくべきかを、具体的に提案している。
【正解と解説】
正解 → 3
- 1. 「社会への回帰を主張している」とまでは言っていません。「今さら、不便な生活に戻るべきだ、と主張したいわけではない」と断っています。
- 2. 「地域社会の繋がり」といった、具体的な社会政策の提案はしていません。
- 3. 筆者は、行き過ぎた「安全」の追求が、「精神的な活力を奪」うという問題点を指摘し、その解決策として、「時には、管理された安全地帯から一歩踏み出し…予測不可能な世界と、対峙してみること」の重要性を説いています。この選択肢が、本文全体の構成(問題提起→具体例→結論)を的確に要約しています。
- 4. 「リスクを最小化」しようとする姿勢こそ、筆者が警鐘を鳴らしているものです。本文の趣旨とは逆です。
語句説明:
堅牢(けんろう):造りがしっかりしていて、丈夫なこと。
煌々(こうこう):きらきらと、まばゆいほどに、光り輝くさま。
内包(ないほう):内部に、要素や性質として、含み持っていること。
枯渇(こかつ):尽き果きて、なくなること。