現代文対策問題 54

本文

近代以降の社会は、「便利さ」を、至上の価値として追求してきた。洗濯機や、自動車や、インターネット。私たちの生活は、先人たちの努力によって、間違いなく、便利になった。しかし、私たちは、その「便利さ」と引き換えに、何か大切なものを失ってしまったのではないだろうか。

例えば、昔の人々が、薪を割り、火をおこし、釜で米を炊いていた時代を想像してみよう。それは、現代の炊飯器のスイッチ一つで済む作業に比べれば、途方もなく「不便」な営みである。しかし、その「不便」なプロセスの中には、火のありがたみや、米一粒の重み、そして、労働の後の食事の喜びといった、身体的な実感に根ざした、豊かな経験が内包されていたはずだ。「便利さ」とは、多くの場合、こうしたプロセスを省略し、結果だけを効率的に得るための技術である。

プロセスが省略されることで、私たちは、物事の背景にある物語や、身体的な実感から、切り離されていく。蛇口をひねれば、当たり前のように水が出る。しかし、その水が、どこから、どのような過程を経て、自分の元に届いているのかを、私たちは、ほとんど知らない。結果だけを享受する生活は、私たちを、世界の成り立ちに対する、深い無関心へと導いていく。

もちろん、今さら、不便な生活に戻るべきだ、と主張したいわけではない。重要なのは、「便利さ」の恩恵を享受しつつも、その裏側で、私たちが何を失っているのかを、自覚的になることだ。時には、あえて、手間のかかる料理に挑戦してみたり、電車を使わずに、隣町まで歩いてみたりする。そうした、非効率な行為の中にこそ、私たちは、失われつつある、世界との豊かな関係性を、再発見できるのかもしれない。


【設問1】傍線部①「『便利さ』とは、多くの場合、こうしたプロセスを省略し、結果だけを効率的に得るための技術」とあるが、これによって失われると筆者が考えている「豊かな経験」とは、どのようなものか。最も適当なものを、次の中から一つ選べ。

  1. 苦しい労働を通じて、精神的な強さを鍛えるという、自己修練の経験。
  2. 物事ができあがるまでの過程に、身体で関わることで得られる、実感のこもった体験。
  3. 共同作業を通じて、他者との間に、強い連帯感や、仲間意識を育むという、社会的な経験。
  4. 何もないところから、新しいものを生み出すという、創造的な喜びの経験。
【正解と解説】

正解 → 2

  • 1. 「自己修練」というよりは、もっと日常的な、生活の中での実感について述べられています。
  • 2. 筆者は、釜で米を炊く例を挙げ、「『不便』なプロセスの中には…身体的な実感に根ざした、豊かな経験が内包されていた」と述べています。つまり、「便利さ」によって省略されたプロセス(過程)に身体で関わることで得られる「実感」こそが、失われた豊かな経験の本質です。
  • 3. 「共同作業」や「社会的な経験」については、本文では具体的に触れられていません。
  • 4. 「創造的な喜び」というよりは、すでにあるもの(米や水)との、より深い関係性についての話です。

【設問2】傍線部②「『便利さ』の恩恵を享受しつつも、その裏側で、私たちが何を失っているのかを、自覚的になること」とあるが、筆者が「失っている」と考えているものとして、最も適当なものを、次の中から一つ選べ。

  1. 物事の成り立ちや、その背景にある物語に対する、深い関心と、身体的な実感。
  2. 過去の伝統や、文化的な遺産を、尊重し、後世に伝えていこうとする、保守的な精神。
  3. より快適で、便利な生活を、貪欲に追求し続ける、人間本来の、向上心。
  4. 科学技術の進歩を、無条件に信じ、その恩恵を、素直に受け入れる、楽天的な態度。
【正解と解説】

正解 → 1

  • 1. 第三段落に、「プロセスが省略されることで、私たちは、物事の背景にある物語や、身体的な実感から、切り離されていく」「結果だけを享受する生活は、私たちを、世界の成り立ちに対する、深い無関心へと導いていく」とあります。この記述が、この選択肢の内容と完全に一致します。
  • 2. 「伝統」や「保守」といった言葉は使われておらず、論点が少しずれます。
  • 3. むしろ、便利さを追求する「向上心」が行き過ぎている、と筆者は考えています。
  • 4. 筆者は、科学技術を「無条件に信じ」「素直に受け入れる」のではなく、その裏側を自覚すべきだと主張しています。

【設問3】本文の趣旨を踏まえた上で、筆者が最終的に提案している生き方として、最も適当なものを、次の中から一つ選べ。

  1. 現代文明の利便性を完全に捨て去り、自給自足の、自然と共生する生活へと回帰する。
  2. 生活の全てを、効率と、利便性の最大化という観点から、徹底的に見直し、再構築する。
  3. 便利な生活を基本としながらも、時には、意識的に、手間や、非効率な行為を取り入れることで、失われた感覚を取り戻そうと試みる。
  4. 科学技術の進歩がもたらす問題点を、積極的に告発し、社会全体で、そのあり方を見直すための、社会運動を起こす。
【正解と解説】

正解 → 3

  • 1. 「今さら、不便な生活に戻るべきだ、と主張したいわけではない」と明確に否定しています。
  • 2. 「効率と、利便性の最大化」は、筆者が警鐘を鳴らしている生き方であり、本文の趣旨と正反対です。
  • 3. 筆者は、便利な生活の恩恵は享受しつつ、「時には、あえて、手間のかかる料理に挑戦してみたり…する」ことを提案しています。これは、日常の中に意識的に「非効率」を取り入れることで、失われた感覚とのバランスを取ろうとする生き方を示しており、この選択肢が筆者の提案と完全に一致します。
  • 4. 「社会運動」といった、政治的な行動を呼びかけているわけではありません。あくまで、個人の生活の中での実践を促しています。

【設問4】本文全体の論旨として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 「便利さ」の追求は、人間から、労働の喜びや、身体的な実感を奪い、世界への無関心をもたらす危険性を孕んでいる。
  2. 現代の便利な生活は、多くの犠牲の上に成り立っており、私たちは、そのことへの感謝を、決して忘れてはならない。
  3. 私たちは、過去の不便な生活の知恵を、もっと学び、現代の生活の中に、積極的に取り入れていくべきである。
  4. 技術の進歩は、必ずしも、人間の幸福に結びつくわけではなく、むしろ、人間を、本来のあり方から、遠ざけてしまう。
【正解と解説】

正解 → 1

  • 1. 筆者は、「便利さ」が、「身体的な実感に根ざした、豊かな経験」を奪い、その結果、「世界の成り立ちに対する、深い無関心へと導いていく」と論じています。この、便利さがもたらす負の側面(危険性)を指摘したこの選択肢が、本文全体の論旨を最も的確に要約しています。
  • 2. 「犠牲」や「感謝」といったテーマは、本文では中心的に扱われていません。
  • 3. 「過去の不便な生活の知恵を学ぶ」というよりは、現代の生活の中で、意識的に「非効率」な時間を作ることの重要性を説いています。
  • 4. 「技術の進歩」全般を否定しているわけではなく、「便利さ」という特定の価値観が行き過ぎることへの警鐘を鳴らしています。1の方が、より本文の論旨に忠実です。

語句説明:
至上(しじょう):この上なく、最高のものであること。
営み(いとなみ):仕事。働き。生活。ここでは、日々の暮らしの行為。
享受(きょうじゅ):受け取って、自分のものとすること。ここでは、利益や恩恵を受け、楽しむこと。
自覚的(じかくてき):自分自身の立場や、状態、能力などを、はっきりと認識しているさま。

レベル:大学入学共通テスト対策|問題番号:54