現代文対策問題 86

本文

現代社会において「リスク」という言葉を聞かない日はありません。経済活動から日々の健康管理に至るまで、私たちはあらゆる場面でリスクを計算し、それをできるだけ回避、あるいは管理することを求められています。保険や投資、食品の安全基準など、私たちの社会は未来の不確実性を予測し、制御するために、きわめて精密なシステムを作り上げてきました。

このリスク管理の考え方は、私たちに多くの安全と安心をもたらしました。しかし、その徹底は同時に、ある種の息苦しさも生み出していないでしょうか。失敗の可能性をゼロに近づけようとする社会は、必然的に人々の行動に強い制約を課します。新しいことへの挑戦や未知の領域への冒険は、予測不可能なリスクを伴うため、敬遠されがちになります。こうして社会全体が過度に防衛的になり、誰もが前例をなぞり、マニュアル通りに行動する、縮み志向に陥ってしまうのです。

そもそも、人が成長する過程には、本質的にリスクがつきものです。子どもが初めて自転車に乗るとき、転ぶというリスクは避けられません。しかし、そのリスクを受け入れ、痛みを経験するからこそ、自転車の乗り方を身体で覚え、新たな自由を手に入れることができるのです。リスクを完全に排除した無菌室のような環境では、人は打たれ弱くなり、予期せぬ困難に対処する力を育むことができません。

人生の豊かさとは、ときに合理的な計算を超えた領域に足を踏み入れる勇気から生まれるのではないでしょうか。恋愛、友情、芸術への情熱――これらはどれも、成功が保証されないリスクに満ちた営みです。しかし人は、傷つくことを恐れずにそのリスクへと飛び込んでいきます。なぜなら、その不確実性のなかにこそ、生きることの本当の手応えと輝きがあることを知っているからです。


【設問1】傍線部①「こうして社会全体が過度に防衛的になり、誰もが前例をなぞり、マニュアル通りに行動する、縮み志向に陥ってしまう」とあるが、筆者はなぜこのような事態が起きると考えているか。

  1. 社会のルールが複雑になりすぎたため、個人で判断するよりも前例に従ったほうが安全だと考える人が増えたから。
  2. 失敗に対して寛容でない社会の風潮が強まり、リスクを冒してまで新しいことに挑戦しようとする意欲が失われたから。
  3. グローバルな競争が激化し、失敗が許されない状況の中で、確実な成功が見込める方法だけが選ばれるようになったから。
  4. 予測不可能なリスクを徹底的に管理し、回避しようとする社会の根本的な考え方が背景にあるから。
【正解と解説】

正解 → 4

  • 1. 「ルールの複雑化」が直接の原因として挙げられているわけではありません。
  • 2. 「失敗に不寛容な風潮」も一因かもしれませんが、筆者がより根本的に問題にしているのは、社会全体の「リスク管理の思想」です。
  • 3. 「グローバルな競争」については、本文で言及されていません。
  • 4. 筆者は第一・第二段落で「リスクをできるだけ回避、あるいは管理する」「失敗の可能性をゼロに近づけようとする」という現代社会の考え方が、「新しいことへの挑戦」や「冒険」を敬遠させ、「縮み志向」につながっていると論じています。この選択肢が、その因果関係を最も的確に捉えています。

【設問2】傍線部②「人生の豊かさとは、ときに合理的な計算を超えた領域に足を踏み入れる勇気から生まれる」とあるが、ここでいう「合理的な計算を超えた領域」の例として、本文中で挙げられているものは次のうちどれか。

  1. 保険や投資など、将来の利益を最大化するための綿密な計画。
  2. 恋愛、友情、芸術への情熱など、成功が保証されない精神的な営み。
  3. 自転車の練習のように、身体的な痛みを伴いながら新たな技能を習得するプロセス。
  4. 前例のない問題に対して、過去のデータから最適な解決策を導き出す人工知能の働き。
【正解と解説】

正解 → 2

  • 1. 「保険や投資」は「合理的な計算」の代表例です。
  • 2. 傍線部の直後で筆者は「恋愛、友情、あるいは芸術への情熱」を例として挙げています。これらは「成功が保証されないリスクに満ちた営み」であり、合理的な損得勘定では測れない領域です。本文の記述と完全に一致します。
  • 3. 「自転車の練習」はリスクを引き受けることの例ですが、この傍線部で直接挙げられている例ではありません。
  • 4. 「人工知能」はまさに合理的な計算の象徴であり、趣旨が逆です。

【設問3】筆者の考えによれば、「リスクを完全に排除した無菌室のような環境」が人間にもたらす最大の問題点は何か。

  1. 挑戦する意欲を失い、現状に満足してしまう精神的な停滞。
  2. 予測できない事態に直面したとき、それに対処し乗り越える力が育たないこと。
  3. 他者との競争に敗れ、社会的に孤立してしまう危険性。
  4. 日々の生活に刺激がなくなり、人生に対する興味を失ってしまうこと。
【正解と解説】

正解 → 2

  • 1. 「精神的な停滞」も問題ですが、筆者がより具体的に指摘しているのは困難への対処能力です。
  • 2. 第三段落の結びで筆者は「リスクを完全に排除した無菌室のような環境では、人は打たれ弱くなり、予期せぬ困難に対処する力を養うことができない」と明言しています。これが筆者の考える最大の問題点です。
  • 3. 「他者との競争」は本文の主要な論点ではありません。
  • 4. 「人生への興味の喪失」も考えられますが、本文で直接指摘されているのは困難に対処する「力」の問題です。

語句説明:
精緻(せいち):きわめて細かく、詳しいこと。
踏襲(とうしゅう):それまでのやり方や方針をそのまま受け継ぐこと。
縮み志向(ちぢみしこう):新しいことへの挑戦を避け、内向きで消極的になろうとする考え方。
無菌室(むきんしつ):細菌がまったくいないように管理された部屋。ここでは、危険が全くない過保護な環境の比喩。

レベル:大学入学共通テスト対策|問題番号:86