現代文対策問題 82
本文
私たちが日々何気なく使っている「言葉」は、単に物事を指し示すための道具ではありません。それは、私たちの思考そのものを形作る“鋳型”のような役割を果たしています。私たちは言葉を使って思考し、使える言葉の範囲が思考の範囲を規定すると言っても過言ではありません。例えば、「虹は七色である」という言葉を持つ文化圏の人々は、空にかかる光の帯を七つの色の集合として認識します。
しかし、この言葉が持つ強力な規定力は、ときに私たちの自由を奪います。既存の言葉の枠組みは、私たちに安定した世界像を与えてくれる一方で、その枠からはみ出すような新しい感覚や、まだはっきり形にならない感情を捉えることを難しくするのです。まだ名前が付いていない、言葉にならない心のざわめき。それは、既存の言葉の網の目をすり抜けてしまい、意識されないまま消えていくのです。
詩人や作家といった言葉の職人たちの本当の仕事は、まさにここにあります。彼らは、既存の言葉ではすくいきれない世界の姿や心の微妙な動きを、新しい言葉の組み合わせや比喩を駆使して、何とかすくい上げようと懸命に挑戦します。彼らの生み出した新しい表現は、私たちの思考の鋳型を少しずつ広げ、今まで見えていなかった世界を見えるようにしてくれます。
言葉が思考を形作る。しかし同時に、思考もまた言葉を生み出すのです。この両者の緊張関係の中に身を置くこと——つまり、既存の言葉の恩恵を受けつつ、その限界を自覚し、常に言葉を新しくしようと努めること。その創造的な営みこそが、私たちを思考の硬直や陳腐化から救い出し、より豊かに世界を生きるための鍵となるのではないでしょうか。
【設問1】傍線部①「まだ名前が付いていない、言葉にならない心のざわめき。それは、既存の言葉の網の目をすり抜けてしまい、意識されないまま消えていく」とはどういうことか。
- 複雑な感情は、言葉で表現しようとすると、本質が失われてしまうということ。
- 言葉にならない個人的な感情は、他者と共有できない孤独なものであるということ。
- ふさわしい言葉がない事柄は、意識の上で明確な形を取ることができず、捉えられないまま消えてしまうということ。
- 社会的にふさわしくないとされる感情は、言葉にすることが禁じられ、抑圧されてしまうということ。
【正解と解説】
正解 → 3
- 1. 「本質が失われる」のではなく、言葉がなければ「意識されずに消えていく」、つまり、思考として成立しない点が重要です。
- 2. 「他者と共有できない」というコミュニケーションの問題ではなく、まず個人が自分の感情を「認識できるかどうか」という内面の問題です。
- 3. 筆者は「言葉がなければ思考が形作られない」と主張しています。ふさわしい言葉がなければ、その感情や感覚が意識の上で明確にならず、消えてしまう、ということです。
- 4. 「社会的な抑圧」という話題は本文では述べられていません。
【設問2】傍線部②「言葉が思考を形作る。しかし同時に、思考もまた言葉を生み出すのです」とあるが、「思考が言葉を生み出す」具体例として本文中から最も適切な箇所はどこか。
- 「虹は七色である」という言葉を持つ文化圏の人が、光の帯を七色として認識すること。
- 既存の言葉の枠組みが、私たちに安定した世界像を与えてくれること。
- 詩人や作家が、既存の言葉では表しきれない感覚を、新しい表現で描こうとすること。
- 言葉の限界を自覚し、常に言葉を新しくしようとすること。
【正解と解説】
正解 → 3
- 1. これは「言葉が思考を形作る」側の例です。
- 2. これも「言葉の規定力」に関する内容です。
- 3. 「思考が言葉を生み出す」とは、既存の言葉では表現できない感覚や思いを、新たな言葉や比喩として創造する営みです。詩人や作家が「新しい表現を生み出す」姿がこれに該当します。
- 4. これは実践姿勢についての述懐であり、具体例とは言えません。
【設問3】本文の主張として最も適切なものを次の中から一つ選びなさい。
- 私たちは言葉の不完全さを克服し、テレパシーのような直接的なコミュニケーション手段を開発すべきである。
- 言葉は思考を規定する強い力を持つからこそ、私たちはその限界を意識し、常に創造的に言葉を更新していくべきである。
- 豊かな思考力を養うには、幼い頃から多くの語彙を暗記させることが最も重要である。
- 詩人のような特別な才能がない人は、既存の言葉を正しく使うことに専念すべきである。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. テレパシーのような非現実的な話はしていません。言葉とどう向き合うかを論じています。
- 2. 筆者は、言葉が「思考を形作る」と同時に「私たちを不自由にもする」ことを指摘し、そのうえで「限界を意識し、言葉を更新し続けるべき」と主張しています。
- 3. 「語彙の暗記」といった量の問題ではなく、言葉の創造性や姿勢が問題です。
- 4. 詩人の例は挙げていますが、創造的な態度は誰にでも開かれているという示唆があります。
語句説明:
鋳型(いがた):溶かした金属を流し込んで器物を作る型。転じて、人の思考や行動を決める枠組み。
未分化(みぶんか):まだはっきり分かれていない状態。
名状しがたい(めいじょうしがたい):言葉で表現することが難しい。
陳腐化(ちんぷか):古くさくなってありふれたものになること。