現代文対策問題 70
本文
私たちは一般に、「見る」という行為を受動的だと捉えがちである。外界の光景が網膜に映り、そのまま脳に伝わる──まるでカメラが風景をフィルムに焼き付けるかのように、目は世界をありのまま写し取っていると考える。しかし、認知科学の知見はこの単純な見方を覆す。
実際には、「見る」こと自体が極めて能動的かつ創造的な営みである。脳は目から入る膨大かつ断片的な光情報をただ受け取るのではない。過去の経験や知識、現在の関心や期待に基づき、その情報から意味あるパターンを積極的に「選択」「解釈」し、「再構成」しているのだ。つまり私たちは現実をそのまま見ているのではなく、脳が構築した一種の「仮説」を見ているにすぎない。
このことは「注意」の働きを考えるとさらに明らかになる。同じ部屋にいても、探し物によって目に入るものはまったく異なる。鍵を探す人には鍵が見えやすく、本を探す人には本が見えやすい──「見ている」ようで実際には多くを「見落としている」。私たちの注意はまるでサーチライトのように、特定の対象を照らし出し、それ以外の広大な領域を暗闇に放置するのである。
この「見る」行為の能動性を自覚することは極めて重要だ。なぜなら、それによって私たちが自明だと思い込んでいる事実が、実は主観的解釈の産物かもしれないという謙虚な視点を得られるからである。自分には見えていない世界が他者には見えているかもしれない──その可能性を認めることこそが、真の対話と相互理解への第一歩となるのではないだろうか。
【設問1】傍線部①「つまり私たちは現実をそのまま見ているのではなく、脳が構築した一種の『仮説』を見ているにすぎない」とあるが、これはどういう意味か。最も適当なものを次から一つ選べ。
- 私たちの視覚は錯覚を起こしやすく、現実を正確に捉えることができない不完全な器官であるということ。
- 私たちが認識している世界は客観的な現実そのものではなく、知識や関心に基づき脳が能動的に構築したものであるということ。
- 世界は本質的に実体を持たない幻想であり、私たちの意識がそれを生み出しているということ。
- 現代社会ではメディアが作り上げた虚構のイメージに惑わされ、真実を見失いがちであるということ。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 視覚の欠陥を論じているわけではなく、脳の能動的処理について述べている。
- 2. 脳が経験・知識・関心に基づいて情報を選択・解釈・再構成する営みを指しており、この選択肢が内容を正確に言い換えている。
- 3. 幻想論や観念論にまで踏み込んでおらず、あくまで認知メカニズムの説明にとどまる。
- 4. メディアの影響は本文の主題ではない。
【設問2】傍線部②「この『見る』行為の能動性を自覚することは極めて重要だ」と筆者が述べるのはなぜか。最も適当なものを次から一つ選べ。
- 自分の見方が絶対ではないと理解することで、他者の異なる視点に寛容になれるから。
- 注意力を鍛えることで重要情報を多く見つけ出し、社会で有利になれるから。
- 自分の見方を意図的に変えれば世界を都合よく解釈できるから。
- 視覚以外の感覚を重視するようになるから。
【正解と解説】
正解 → 1
- 1. 自分の認識が主観的仮説に過ぎないことを自覚することで、他者の見方を尊重し、対話と相互理解への一歩となる。
- 2. 有利さを求める競争的視点ではなく、謙虚な理解の態度を説いている。
- 3. 世界を「都合よく」解釈する自己中心的態度ではない。
- 4. 他の感覚重視へは言及していない。
【設問3】本文で述べられている「見る」という行為の説明として最も適当なものを次から一つ選べ。
- 外界の情報をそのまま受け取る鏡のような受動的行為。
- 注意というサーチライトを用いて意味を選び取る主体的解釈行為。
- 網膜に映った像を忠実に脳へ伝達するカメラのような記録行為。
- 感情や偏見を排除して事実のみを抽出する科学的観察行為。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 鏡のように映す「受動的行為」は素朴な見方として否定されている。
- 2. 「注意」をサーチライトに例え、情報を選択・解釈する主体的行為であると説明されており、これが最適である。
- 3. カメラ比喩は否定的に用いられている。
- 4. 感情や偏見の排除は不可能であり、本文が述べる能動的創造性と矛盾する。
【設問4】本文の趣旨に基づき、筆者が「対話」や「相互理解」の前提として最も重要だと考えることは何か。
- 互いの主張の矛盾を徹底的に指摘し合うこと。
- 自分の意見が唯一の正解と信じて相手を説得すること。
- 自分の見えている世界がすべてではなく、他者には異なる世界が見えている可能性を認めること。
- 多くの客観的データを集め事実に基づいて議論すること。
【正解と解説】
正解 → 3
- 1. 論理の指摘よりも前提としての態度の問題を強調している。
- 2. 独善的説得ではなく他者理解への開かれた姿勢を説いている。
- 3. 「自分には見えていない世界が他者に見えているかもしれない」という自覚が対話の出発点であると述べている。
- 4. データ重視は重要だが、どのように「見る」かという主観性の問題がより根源的であると論じている。
語句説明:
受動的(じゅどうてき):他からの働きかけを受けるだけで自ら動かないさま。
能動的(のうどうてき):自ら進んで他に働きかけるさま。
自明(じめい):説明や証明が不要で明らかなこと。
謙虚(けんきょ):控えめでつつましく、他者の意見を素直に受け入れる態度。