現代文対策問題 65
本文
私たちは旅先で美しい山々を眺めるとき、それを一枚の絵画のように「風景」として鑑賞する。しかし、このように対象を一定の距離を置いた美的なものとして捉える視点は、人類にとって普遍的なものではない。むしろ、それは近代という時代が創出した、極めて特殊な世界との関わり方にほかならない。
たとえば、近代以前の農耕社会に生きる人々にとって、山は鑑賞の対象である以前に、まず生活の場であった。木を切り出し、獣を狩り、ときには神々が宿る場所として信仰の対象ともなっていた。彼らは山を「風景」として外側から眺めていたのではなく、山の一部として、その内側で、山と共に生きていたのである。
このような自然との一体的な関係が変容する契機となったのが、鉄道や自動車といった近代的な交通機関の発明である。高速で移動する乗り物の「窓」は、私たちを外の世界から物理的に切り離し、流れる景色を、まるで映画のスクリーンのように、安全な内側から一方的に「眺める」体験を生み出した。この「窓」という装置こそが、近代的な「風景」という概念を成立させた根源的な要素であると言っても過言ではない。
「風景」の発見は、私たちに世界を美的な対象として楽しむという新たな豊かさをもたらした。しかし、その一方で、私たちは世界との直接的かつ身体的なつながりを失ってしまったのではないか。世界を美しく「眺める」ことには長けるようになったものの、その世界のなかで悩み、格闘し、共に生きていくという、かつての人々が有していた自然との関係性を、私たちは忘れてしまったのかもしれない。
【設問1】傍線部①「山の一部として、その内側で、山と共に生きていた」とあるが、これは、近代以前の人々の、自然に対する、どのような関わり方を示しているか。最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 自然を、科学的な分析の対象と見なし、その法則を、客観的に、解明しようとする、探究的な関わり方。
- 自然を、自らの生活や、信仰と、分かちがたく結びついた、一体的な存在として、捉える、実践的な関わり方。
- 自然の美しさを、芸術作品のテーマとして、捉え、それを、ありのままに、再現しようとする、エステティックな関わり方。
- 自然を、人間の利益のために、自由に、開発し、利用することができる、資源と見なす、支配的な関わり方。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 「科学的な分析」や「客観的」な態度は、むしろ対象と距離を置く近代的な視点である。
- 2. 筆者は、近代以前の人々にとって、山が「生活の場」であり「信仰の対象」であったことを述べている。これは、自然が人間の実践的な生活や精神的な営みと分かちがたく結びついた存在であったことを意味しており、この選択肢が最も適切である。
- 3. 自然を距離を置いて「美的な対象」として鑑賞するのは、筆者の言う近代的な「風景」の捉え方に該当する。
- 4. 自然を支配的に扱う立場ではなく、むしろ自然と共生する姿勢が強調されている。
【設問2】傍線部②「私たちは、世界との、直接的で、身体的な繋がりを、失ってしまった」とあるが、筆者がそのように考える理由として、最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 都市での生活が中心となったことで、多くの人々が自然と触れ合う機会を失ったから。
- 科学技術の進歩によって自然の脅威が克服され、人々が自然に対する畏敬の念を忘れてしまったから。
- 乗り物の「窓」などを通じて、世界を安全な場所から切り離された「風景」として眺めることに慣れてしまったから。
- 環境問題が深刻化したことで、人々が自然に対して罪悪感を抱き、素直に向き合えなくなったから。
【正解と解説】
正解 → 3
- 1. 都市生活も一因ではあるが、筆者が強調するのは世界の「捉え方」の変化である。
- 2. 畏敬の念の喪失は結果の一つと考えられるが、筆者はその原因として身体的な断絶を挙げている。
- 3. 筆者は、近代的な交通機関の「窓」によって、私たちが世界を安全な内側から一方的に「眺める」ようになったと述べており、これが「身体的な繋がり」を失わせたとする考えと一致する。
- 4. 環境問題や罪悪感については、本文に記述がない。
【設問3】筆者の考えによれば、「風景」という概念の成立に、最も大きく寄与したものは何か。次の中から一つ選べ。
- 自然の美しさを、ありのままに、描き出すことを可能にした、写実的な絵画技術。
- 世界中の絶景を、居ながらにして、見ることができる、写真や映像の技術。
- 人間を外部の世界から切り離し、安全な内側から景色を眺めることを可能にした、乗り物の「窓」。
- 遠くの景色を、まるで目の前にあるかのように見ることができる、望遠鏡などの光学的装置。
【正解と解説】
正解 → 3
- 1. 絵画も一因ではあるが、筆者は「窓」をより本質的な装置として強調している。
- 2. 写真や映像は「風景」の享受を拡張したが、成立の直接的契機とはされていない。
- 3. 本文には「この『窓』という装置こそが、近代的な『風景』という概念を、成立させた」と明言されており、この選択肢が最も妥当である。
- 4. 望遠鏡については本文に記述がない。
【設問4】本文の要旨として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 近代以降、私たちは自然を「風景」として鑑賞する豊かさを得たが、その一方で自然との身体的な一体感を失った。
- 近代的な交通機関の発達は、私たちの生活を便利にしたが、深刻な環境破壊を引き起こしてしまった。
- 真の芸術とは、対象を客観的に距離を置いて眺めるのではなく、対象と一体化することによって初めて生まれる。
- 私たちは、近代文明の恩恵を一度手放し、自然と共に生きていた近代以前の素朴な生活に立ち返るべきである。
【正解と解説】
正解 → 1
- 1. 筆者は「風景」という概念の登場による新たな豊かさと、それによって失われた自然との直接的な関係の両面を描いており、この選択肢はその内容を的確に要約している。
- 2. 環境破壊についての記述は本文にない。
- 3. 芸術論に限定した議論ではなく、世界との関わり方全般に関する考察である。
- 4. 筆者は近代以前の姿勢を肯定的に捉えてはいるが、「立ち返るべき」といった価値判断までは述べていない。
語句説明:
普遍的(ふへんてき):すべてに当てはまる、共通の性質をもつこと。
変容(へんよう):姿や性質が変化すること。
過言(かごん):事実以上に大げさに言うこと。
習熟(しゅうじゅく):物事に十分慣れて、上達すること。