現代文対策問題 60

本文

私たちは、一般に、知識を、外部から取り込み、頭の中に蓄積していくものだと考えている。しかし、本当に深いレベルでの「知」とは、そのような、静的なものではない。それは、むしろ、自らの身体を通して、世界と関わる中で、動的に生成されるものではないだろうか。

例えば、自転車の乗り方を、どれだけ、書物で学んでも、実際に乗れるようにはならない。私たちは、何度も転び、身体でバランスの取り方を覚えることで、初めて、「自転車に乗れる」という知を獲得する。この知は、言葉で説明するのは難しいが、一度、身体に刻み込まれると、容易には失われない。このような、身体に根ざした知のことを、「身体知」と呼ぶことができる。

近代知は、このような身体知を、しばしば、軽視してきた。客観的で、普遍的で、言語化できる知識こそが、真の知であり、身体に依存する、主観的で、暗黙的な知は、一段、低いものだと見なされてきたのだ。しかし、本当にそうだろうか。熟練の職人が持つ、言葉では説明しきれない「勘」や、芸術家が、作品を生み出す際の、身体的な直感。こうした、身体知こそが、実は、私たちの文化や、社会の、最も創造的な部分を、支えているのではないか。

頭だけで理解した知識は、借り物のように、脆い。しかし、身体を通して得た知は、その人自身の一部となり、生きる力となる。私たちは、頭でっかちな知識偏重のあり方を見直し、身体という、最も身近で、豊かな知の源泉に、もう一度、信頼を寄せるべき時が来ているのかもしれない。


【設問1】傍線部①「近代知は、このような身体知を、しばしば、軽視してきた」とあるが、それはなぜか。その理由として、筆者が考えていることを、次の中から一つ選べ。

  1. 身体知は、個人差が大きく、全ての人に共通する方法で、教育することが難しいから。
  2. 身体知は、客観的に測定したり、言語化したりすることが難しく、主観的なものだと見なされてきたから。
  3. 身体知は、主に、肉体労働の現場で必要とされるものであり、知的労働者にとっては、不要なものだと考えられてきたから。
  4. 身体知を、過度に重視すると、非科学的な精神論に陥る危険性があり、近代的な合理精神と、相容れないから。
【正解と解説】

正解 → 2

  • 1. 「教育の難しさ」については、本文では言及されていません。
  • 2. 筆者は、近代知が、「客観的で、普遍的で、言語化できる知識こそが、真の知」だと見なしてきた、と述べています。その対極にある「身体に依存する、主観的で、暗黙的な知(=身体知)」は、この価値観の中では、「一段、低いもの」と見なされます。この、近代知の持つ価値基準が、身体知を軽視してきた理由であると、筆者は分析しています。
  • 3. 筆者は、職人や芸術家の例を挙げており、身体知を「肉体労働」に限定していません。
  • 4. 「非科学的な精神論」といった批判は、本文中にはありません。

【設問2】傍線部②「私たちは、頭でっかちな知識偏重のあり方を見直し」とあるが、筆者が批判している「頭でっかちな知識偏重のあり方」とは、どのようなものか。最も適当なものを、次の中から一つ選べ。

  1. 様々な分野の知識を、広く、浅く、身につけようとする、教養主義的な態度。
  2. 理論や、書物から得た知識ばかりを重視し、実践や、身体的な経験を、軽んじる態度。
  3. 自分の専門分野の知識に固執し、他の分野の知識を、受け入れようとしない、排他的な態度。
  4. 知識を、ひたすら記憶することだけを目的とし、その意味や、応用を考えようとしない、受動的な学習態度。
【正解と解説】

正解 → 2

  • 1. 知識の「広さ」や「浅さ」が問題なのではなく、知識の「種類」(頭の知識か、身体の知か)が問題とされています。
  • 2. 筆者は、「書物で学」ぶ知識(頭でっかちな知識)と、「実際に乗れる」「身体で覚える」知(身体知)を対比させています。そして、前者に偏り、後者を軽視するあり方を「知識偏重」として批判しています。この選択肢が、筆者の批判する態度を最も的確に説明しています。
  • 3. 「専門分野への固執」や「排他的な態度」については、本文では触れられていません。
  • 4. 「受動的な学習態度」も問題の一つかもしれませんが、筆者がより根本的に問題視しているのは、身体性を欠いた知識のあり方そのものです。

【設問3】筆者が本文で挙げている「身体知」の例として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 歴史の年号を、語呂合わせで、数多く記憶している。
  2. 自転車の構造や、力学的な原理について、詳しく説明できる。
  3. 何度も練習することで、補助輪なしで、自転車に乗れるようになる。
  4. 交通法規を、正確に理解し、安全に、自転車を運転する。
【正解と解説】

正解 → 3

  • 1. 「記憶」は、頭で覚える知識であり、身体知ではありません。
  • 2. 「説明できる」のは、言語化された知識であり、身体知の「言葉で説明するのは難しい」という性質とは異なります。
  • 3. 本文中で、「私たちは、何度も転び、身体でバランスの取り方を覚えることで、初めて、『自転車に乗れる』という知を獲得する」と、身体知の典型例として挙げられています。
  • 4. 「交通法規を理解」するのは、頭の知識です。

【設問4】本文全体の趣旨として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 現代社会では、知的労働の価値が、過大に評価されすぎており、肉体労働の尊さを、見直すべきである。
  2. 真の知識とは、書物から得られるものではなく、自然との触れ合いや、身体的な実践を通じてのみ、得られるものである。
  3. 私たちは、言語化できる知識に偏重する近代知のあり方を見直し、身体的な経験に根ざした「身体知」の価値を、再評価すべきである。
  4. 専門家になるためには、理論的な学習と、実践的な訓練を、バランスよく組み合わせることが、不可欠である。
【正解と解説】

正解 → 3

  • 1. 「知的労働」と「肉体労働」の対立という、社会的なテーマではありません。知のあり方についての、より普遍的な考察です。
  • 2. 筆者は、頭の知識を完全に否定しているわけではありません。「軽視してきた」近代知の偏りを是正すべき、という主張です。
  • 3. 筆者は、「近代知」が「身体知を、しばしば、軽視してきた」という問題点を指摘し、最終的に、「身体という…豊かな知の源泉に、もう一度、信頼を寄せるべき」と主張しています。この、「言語化できる知識への偏重」を批判し、「身体知の再評価」を促す、という流れが、本文全体の趣旨を最も的確に要約しています。
  • 4. 「バランスよく組み合わせる」という結論も間違いではありませんが、本文の主眼は、これまで軽視されてきた「身体知」の価値を、改めて強調することにあります。3の方が、筆者の問題意識をより強く反映しています。

語句説明:
静的(せいてき):動きがなく、静かなさま。⇔動的。
動的(どうてき):動きがあり、いきいきしているさま。⇔静的。
暗黙知(あんもくち):経験的に使っているが、言葉では、なかなか説明できない知識。身体知と、ほぼ同義で使われることが多い。
偏重(へんちょう):ある特定の物事だけを、極端に重視すること。

レベル:大学入学共通テスト対策|問題番号:60