評論文対策問題 038(本文2倍・選択肢10個+英訳)
本文(抜粋)
人は言葉によって思いを伝えるが、すべての思いが言葉にできるわけではない。
特に、深い悲しみや喪失を抱える人に対して、言葉はかえって届かないことがある。
「頑張って」「元気出して」――そうした励ましの言葉でさえ、相手には距離や無理解として受け取られてしまうことがある。
そのようなときに必要なのは、「何かを言うこと」ではなく、「ただ、そこにいること」かもしれない。
沈黙は、ともすれば無関心や回避と誤解されがちだが、関係性によっては最も強い形の共感や承認にもなりうる。
相手の気持ちに無理に介入せず、寄り添うように存在する――それは、言葉以上のコミュニケーションになりうる。
もちろん、沈黙が常に良いとは限らない。重要なのは、「なぜ言わないのか」「何を共有しようとしているのか」という沈黙の内側を感じ取ることだ。
沈黙は言葉よりも曖昧だが、その分、関係性や空気感を映す繊細な表現でもある。
「何も言わないこと」で伝わるものがある――その可能性に、私たちはもっと敏感であるべきなのかもしれない。
【問題】
筆者の主張に最も合致するものを選べ。
- 沈黙は常に消極的な態度を示すものであり、回避として捉えるべきである。
- 言葉による励ましは、どのような場面でも有効である。
- 共感とは、相手の感情を言葉にして伝えることで成立する。
- 沈黙は誤解を招くだけで、意味を持つことはない。
- 沈黙は無関心を意味するため、積極的な対話を妨げる。
- 言葉以上に沈黙が深い共感や承認になる場合がある。
- 悲しみを抱えた相手には、明確な励ましを繰り返すことが重要である。
- 沈黙には曖昧さがあるため、他人との関係では避けるべきである。
- 共感を伝えるには、常に言葉で説明する必要がある。
- 沈黙が効果的であるかどうかは、関係性や状況によって異なる。
【正解と解説】
正解:6(と10)
- 選択肢1:× 沈黙は「共感や承認にもなりうる」とされている。
- 選択肢2:× 励ましの言葉が逆効果になる場合もあると明言されている。
- 選択肢3:× 言葉だけでは伝わらない共感があるという主張。
- 選択肢4:× 沈黙にも意味があり、その「内側を感じ取る」べきと述べられている。
- 選択肢5:× 無関心とは限らず、「最も強い共感」になることもある。
- 選択肢6:◎ 「ただそこにいること」や「言葉以上の共感」=本文主張の核心。
- 選択肢7:× 繰り返しの励ましがかえって距離感を生む可能性が指摘されている。
- 選択肢8:× 曖昧さを持ちながらも「繊細な表現」として肯定されている。
- 選択肢9:× 言葉だけでなく「沈黙」という方法も重視されている。
- 選択肢10:◎ 状況・関係性によって沈黙の意味が変わる点が本文で強調されている。
語句説明:
承認:相手の存在や感情を、そのままの形で肯定的に受け入れること。
【本文の英訳】
While people use words to express themselves, not all emotions can be put into language. Especially in moments of deep sorrow or loss, words may fail to reach someone. Even well-meaning phrases like “Hang in there” or “Cheer up” can feel distant or insensitive. At such times, it may be more meaningful simply to be present, without saying anything. Silence is often misunderstood as indifference, but depending on the relationship, it can be the strongest form of empathy or validation. Being quietly present—without trying to fix or explain—can communicate more than any words. Of course, silence is not always the answer. The key is to sense what the silence intends: why nothing is said, and what might be shared in that silence. Though ambiguous, silence reflects subtle aspects of connection. Sometimes, “saying nothing” can say everything—and we should be more attuned to that possibility.