評論文対策問題 026(本文2倍・選択肢10個)

本文(抜粋)

私たちはしばしば、「感じたこと」に意味を与えようとする。
たとえば、寒気を感じたとき、それを「風邪をひいたのだろう」と判断する。
また、ある音楽を聴いて懐かしさを覚えたとき、それを「昔の記憶と結びついた」と説明する。
こうした意味づけは、感覚そのものを理解する手がかりになる一方で、感じたことと意味づけたことの間には微妙なズレが生じる。
なぜなら、意味を与えるという行為には、言葉や論理、既存の枠組みが必要だからである。
しかし、感覚というものは、言葉になる前の曖昧さや多義性を持っている。
にもかかわらず、私たちはそれを「こういう意味だ」と一義的に整理しようとする傾向がある。
それは、安心感をもたらすかもしれないが、同時に感覚本来の複雑さや豊かさを削ぎ落としてしまうことにもなりうる。
したがって、私たちは「感じたこと」と「それに与えた意味」のあいだに、常に距離があるという前提で、自らの理解を問い直す必要がある。

【問題】

筆者の主張に最も合致するものを選べ。

  1. 感覚は明確な言語で定義できるため、意味のズレは生じない。
  2. 感じたことを意味づけすることで、曖昧さはすべて取り除かれる。
  3. 意味を与えることで、感覚の本来の豊かさが深まる。
  4. 意味を与えることと感じることは、本質的に同じ営みである。
  5. 感覚に意味を与えることは、感覚そのものの性質を変える行為である。
  6. 意味づけによって感覚が整理されることで、感覚の価値はより正確になる。
  7. 言葉や論理による意味づけは、感覚の豊かさを狭めてしまうことがある。
  8. 意味づけの習慣は、人間の理性を高める自然な進化の一部である。
  9. 意味の明確化は、感覚の混乱を防ぐ唯一の方法である。
  10. 感じたことに意味を与えるには、他人の意見に頼ることが最も有効である。
【正解と解説】

正解:7(と5)

選択肢を見抜くテクニック:

語句説明:
多義性:ひとつの感覚や言葉が、複数の意味やニュアンスを含んでいること。

レベル:共通テスト対策(長文対応)|更新:2025-07-23|問題番号:026