現代文対策問題 97
本文
その日、俺は初めて嘘をついた。病気の母に付き添うため学校を早退すると、先生に言ったのだ。本当は、母は元気だった。俺が行きたかったのは、今日で取り壊される町の古い映画館、銀映座だった。
銀映座は俺が物心ついた頃には、もうほとんど客のいない寂れた映画館だった。でも、俺はそこが好きだった。ビロードの剥げた椅子、甘いキャラメルの匂い、そしてフィルムが回るカタカタというかすかな音。全てが俺を日常から遠い場所へ連れて行ってくれる魔法のようだった。
最後の上映は名もないモノクロの外国映画だった。観客は俺の他に、数人の老人だけ。俺はいつもの一番後ろの席に座った。映画の内容はよく分からなかった。ただ、スクリーンの中で雨に濡れる街角や、煙草をふかす男の姿がひどく美しく見えた。
映画が終わり明かりがつくと、俺はしばらく席を立てなかった。一つの場所がこの世界から永遠に失われる。その事実がずしりと重くのしかかってきた。俺の秘密の隠れ家がなくなってしまう。
俺は誰に見せるでもない拍手を一つだけ送った。ぱん、と乾いた音ががらんとした館内に響いた。ありがとう、さようなら。俺の子供時代の一部が、今確かに終わったのだ。外に出ると、空は映画のスクリーンのように真っ白だった。
【設問1】傍線部「俺は誰に見せるでもない拍手を一つだけ送った」という行動に込められた主人公の気持ちとして、最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 素晴らしい映画を見せてくれたことへの、監督や俳優への賞賛。
- 自分と同じように映画館の最後を見届けにきた他の観客との連帯感。
- 自分の大切な居場所であり続けた映画館そのものへの感謝と別れの気持ち。
- 学校を休んでまでここに来た自分の行動を、自分自身で称える自己満足の気持ち。
【正解と解説】
正解 → 3
- 1. 映画の「内容はよく分からなかった」とあり、映画そのものへの評価ではありません。
- 2. 「他の観客」は意識されていません。「誰に見せるでもない」とあるように、これは極めて個人的な行為です。
- 3. 拍手は通常、作り手や演者への賞賛を示す行為です。しかし、この場面では観客はほとんどおらず、映画も終わっています。そのがらんとした空間で送られるたった一つの拍手は、この映画館という「場所」そのものに向けられたものです。ここは彼にとって「秘密の隠れ家」でした。その場所がなくなる最後の瞬間に、彼なりの最大限の感謝と敬意、そして別れの挨拶をこの行為に込めたのです。
- 4. 「自己満足」という言葉では片付けられない、もっと切実で純粋な気持ちです。
【設問2】主人公が、学校を早退するために「嘘をついた」という事実が、この物語においてどのような効果をもたらしているか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 主人公が目的のためなら手段を選ばない利己的な性格であることを示している。
- 主人公の行動が後ろめたいものであることを示し、物語全体に緊張感を与えている。
- 主人公にとって、映画館の最後を見届けることが日常のルールを破ってでも成し遂げたい切実な願いであったことを強調している。
- 主人公が普段から嘘をつき慣れている不良少年であることを暗示している。
【正解と解説】
正解 → 3
- 1. 「利己的」というよりは、むしろ個人的で純粋な動機から行動しています。
- 2. 「緊張感」を与えるというよりは、彼の決意の強さを示す効果があります。
- 3. 「初めて嘘をついた」という告白から、彼が普段は真面目な生徒であることがうかがえます。そんな彼があえて嘘をついてまで映画館へ向かった。この事実は、彼にとってこの映画館がただの娯楽施設ではなく、どうしてもその最後を自分の目で見届けなければならない、かけがえのない大切な場所であったことを何よりも雄弁に物語っています。
- 4. 「初めて」とあるので「嘘をつき慣れている」という解釈は間違いです。