現代文対策問題 92
本文
その日、俺はまた部長に企画書を突き返された。これで五度目だ。「君の企画には斬新さが足りないんだよ」。そう言われるたびに、胃がきりきりと痛んだ。深夜のオフィスで一人パソコンに向かっていると、自分がひどくちっぽけな存在に思えた。
帰り道、ふらふらと立ち寄ったのは二十四時間営業のラーメン屋だった。カウンターだけの狭い店。客は俺一人だった。ラーメンを注文すると、店主の親父さんが黙って作り始める。湯気の向こうで、その分厚い背中が黙々と動いていた。
出てきたラーメンは、変哲のない醤油ラーメンだった。疲れた体に熱いスープが沁みる。夢中で麺をすすっていると、親父さんが口を開いた。
「兄ちゃん、悩み事かい」
俺は驚いて顔を上げた。そんな顔に出ていただろうか。
「まあ、仕事で少し」
「そうかい」
親父さんはそれ以上何も聞いてこなかった。ただ、俺が食べ終わるのを待ってこう言った。
「うちのラーメンもな、もう三十年同じ味だよ。変えようと思ったこともねえ。でもな、この味がいいって毎日来てくれる客もいるんだ」
会計を済ませて店を出る。外の空気はひどく冷たかった。でも、俺の腹の底はラーメンの熱でまだ温かかった。「斬新さ」だけが全てじゃない。親父さんの言葉を、俺は何度も心の中で繰り返していた。
【設問1】傍線部「うちのラーメンもな、もう三十年同じ味だよ。変えようと思ったこともねえ」という店主の言葉の裏には、どのような自負が隠されているか。最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 新しい味を開発する才能がないことを認める、諦めの気持ち。
- 流行に左右されず、自分が信じる味を守り続けることへの静かな誇り。
- 昔ながらの常連客だけを相手に商売を続ける、頑固な経営方針。
- 時代の変化についていけず、ただ昔の成功体験に固執している態度。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 「諦め」というネガティブな感情ではありません。むしろ、積極的な選択です。
- 2. 店主は三十年間、味を「変えようと思ったこともねえ」と言い切ります。これは単なる怠慢ではなく、自分の作るラーメンの味に絶対的な自信と誇りを持っていることの表れです。続く「この味がいいって毎日来てくれる客もいる」という言葉が、その自信を裏付けています。流行を追うのではなく、自分が完成させ信じた道を貫く。そこに職人としての彼の静かで揺るぎないプライドがあるのです。
- 3. 「常連客だけを相手に」と、新規の客を拒絶しているわけではありません。
- 4. 「成功体験に固執」しているのではなく、今もその味で客を満足させている現役の職人です。
【設問2】店主の言葉を聞いた後の「俺」の心境の変化として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 自分の企画の斬新さが足りないのは努力不足だと反省し、明日からまた頑張ろうと決意した。
- ラーメン屋の店主のように、自分も会社を辞めて独立したいという気持ちが芽生えた。
- 部長の言う「斬新さ」だけが唯一の価値基準ではないのかもしれないと気づき、少し救われた気持ちになった。
- 結局、自分には店主のような揺るぎない信念がないのだと、改めて自分の不甲斐なさを痛感した。
【正解と解説】
正解 → 3
- 1. 「努力不足」という自己批判の方向には向かっていません。
- 2. 「独立したい」とまで考えるのは飛躍しすぎです。
- 3. 「俺」は部長から「斬新さが足りない」と繰り返し言われ、その価値観に追い詰められていました。しかし、ラーメン屋の店主の言葉は、それとは全く異なる価値基準(=変わらないことの価値)を示してくれます。この出会いによって、彼は「斬新さ」という絶対だと思っていた物差しを相対化することができ、心が軽くなったのです。最後の「斬新さだけが全てじゃない」という彼の内省が、その心の変化を明確に示しています。
- 4. 「不甲斐なさを痛感」するのではなく、むしろ店主の言葉に励まされています。