現代文対策問題 54

本文

私が勤める駅前の書店に、その老婦人は毎週決まって土曜日の午後にやってきた。上品なスーツを着こなし、いつも背筋をすっと伸ばしている。そして、他の棚には目もくれず、児童書のコーナーへ向かい、そこで長い時間を過ごすのだ。

彼女は、毎週必ず、絵本を一冊だけ買っていった。子供や孫にプレゼントするのだろうと、私は最初、思っていた。しかし、ある日、レジで「いつもありがとうございます。お孫さん、喜ばれるでしょう」と声をかけると、彼女は少し寂しそうに微笑んで「いいえ、私には子供も孫もいないのよ」と答えた。

それ以来、私は彼女のことがますます気になった。誰に読み聞かせるでもない絵本を、なぜ毎週買い続けるのだろう。その謎が解けたのは、雪の降る寒い日だった。

その日、彼女は珍しく、買った絵本をレジ袋に入れず、そのまま抱えるようにして持っていた。そして、私にこう言ったのだ。
「私ね、昔、幼稚園の先生をしていたの。もう、ずっと昔のことだけど」
彼女は、絵本の表紙に描かれたクマの絵を、優しい指先でそっとなぞった。
こうして新しい絵本を読むとね、昔の教え子たちの顔が、一人ひとり、浮かんでくるのよ。あの子は、この絵本が好きだった、とかね。私にとって、あの子たちが、一番の宝物だから
老婦人はそう言うと、深く一礼して、雪の降る街へと消えていった。窓の外で、雪はしんしんと降り積もり、世界の音をすべて吸い取っていくようだった。けれど、私の心の中には、彼女の言葉が、小さな灯火のように、温かく残っていた。


【設問1】老婦人が、毎週、絵本を買い続ける理由として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. かつて、自分が書いた、無名の絵本が、書店に、置かれていないか、確認するため。
  2. 退職した、今でも、絵本を通じて、教育への、情熱を、持ち続けようとしているため。
  3. 絵本を読むという、行為を通じて、かつての、教師時代の、大切な、思い出と、教え子たちとの、絆を、再確認するため。
  4. 孤独な、老後の、寂しさを、紛らわす、ための、唯一の、趣味として、絵本を、収集しているため。
【正解と解説】

正解 → 3

  • 1. 自分で書いた絵本を探しているという記述は、本文にはありません。
  • 2. 「教育への情熱」というよりは、もっと個人的で、過去を慈しむ気持ちが中心です。
  • 3. 彼女は「新しい絵本を読むとね、昔の教え子たちの顔が、一人ひとり、浮かんでくるのよ」と語っています。この言葉から、彼女にとって絵本は、単なる書籍ではなく、教師として過ごした、かけがえのない日々や、教え子たちとの記憶を呼び覚ますための、鍵のような存在であることがわかります。絵本を買うという行為は、彼女が「一番の宝物」と語る、過去とのつながりを、確かめるための、大切な儀式なのです。
  • 4. 「寂しさを紛らわす」という、消極的な、理由だけではありません。むしろ、教え子を思い出すという、温かく、積極的な、目的があります。

【設問2】傍線部「私にとって、あの子たちが、一番の宝物だから」という言葉を聞いた後の、「私」の心情の変化の説明として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 老婦人の、意外な、過去を知り、彼女に、対する、好奇心が、ますます、強くなった。
  2. 老婦人の、謎めいた、行動の、理由が、分かり、腑に落ちると同時に、彼女の、深い、愛情に、心を、打たれた。
  3. 自分も、老婦人のように、何か、生涯を、かけて、大切に、思えるものを、見つけたいと、強く、思うようになった。
  4. 教師という、仕事の、素晴らしさに、感動し、自分の、現在の、仕事と、比べて、少し、虚しさを、感じた。
【正解と解説】

正解 → 2

  • 1. 「好奇心」という、言葉だけでは、最後の「温かく残っていた」という、心の状態を、説明できません。
  • 2. これまで「私」にとって、老婦人の、行動は、不思議な「謎」でした。その答えが、彼女の、口から、直接、語られたことで、まず、長年の、疑問が、氷解します。そして、その理由が、単なる、自己満足ではなく、元教え子たちへの、深く、変わらない、愛情に、基づくものであることを、知り、「私」の心に、温かい、感動が、広がります。最後の「小さな灯火のように、温かく残っていた」という、比喩は、この、感動を、的確に、表現しています。
  • 3. 自分の、将来に、思いを馳せるのではなく、この瞬間は、老婦人の、言葉の、余韻に、浸っています。
  • 4. 自分の、仕事と「比べて虚しさを感じた」という、ネガティブな、感情は、本文からは、読み取れません。

レベル:大学入学共通テスト対策|問題番号:54