現代文対策問題 87

 

本文

 

    その日、私はまた母と喧嘩をした。私の進路のことだった。母は私が地元の安定した企業に就職することを望んでいた。私は東京に出て、写真の仕事をしたいと思っていた。話はいつものように平行線をたどった。「あなたのためを思って言ってるのよ」という母の言葉に、私は「もういい」とだけ言って、部屋に閉じこもった。

    ベッドに突っ伏して泣いた。どうして分かってくれないのだろう。私の人生なのに。そんな思いがぐるぐると頭を巡る。しばらくして、階下から包丁がまな板を叩く、小気味のいい音が聞こえてきた。トントン、トントン。母が夕食の準備を始めた音だ。

    その音は、いつもと何も変わらない日常の音だった。私が学校で嫌なことがあった日も、父と母が喧嘩した日も、母はいつもこうして台所に立ち、同じように野菜を刻んでいた。その変わらないリズムを聞いているうちに、私の荒立った気持ちが、不思議と少しずつ鎮まっていくのが分かった。

    母は私の夢を理解してくれないかもしれない。でも、母が私を愛していないわけではない。あのまな板の音は、言葉以上に雄弁にそう語りかけてくるようだった。私は涙を拭いてベッドから起き上がった。そして、階下へ続くドアをゆっくりと開けた。  

 
 

【設問1】傍線部「その音は、いつもと何も変わらない日常の音だった」とあるが、この音が主人公の気持ちを鎮めたのはなぜか。その理由として最も適当なものを次の中から一つ選べ。

 
       
  1. 料理の音が楽しい夕食の時間を連想させ、喧嘩の後の気まずさを忘れさせてくれたから。
  2.    
  3. 規則正しいリズムが心理的な安定をもたらし、高ぶった神経を落ち着かせてくれたから。
  4.    
  5. 口論の後でも、変わらずに自分のために食事を用意してくれる母の揺るぎない愛情を感じたから。
  6.    
  7. 母がもう喧嘩のことを気にしていない様子だったので、自分も気に病む必要はないのだと安心できたから。
  8.  
 
    【正解と解説】    
     

正解 → 3

     
           
  • 1. 「楽しい夕食の時間」を連想しているのではなく、音そのものが持つ意味を考えています。
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  • 2. 「心理的な安定」という効果もあったかもしれませんが、より本質的なのは、その音が誰によってどのような状況で発せられているかという点です。
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  • 3. 主人公と母は激しく対立した直後です。しかし、母はその後もいつも通りに家族のための夕食を作り始めます。その「変わらない」行為は、今回の喧嘩のような一時的な対立を超えた、母の日常的で継続的な家族への愛情の証です。主人公はその音を聞くことで、言葉の上の対立とは別の次元にある母の揺るぎない愛情を再確認し、心を落ち着かせることができたのです。
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  • 4. 母が「気にしていない」わけではありません。むしろ、その思いを抱えながらも母親としての役割を果たしているのです。
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【設問2】この物語の結末、「階下へ続くドアを、ゆっくりと開けた」という主人公の行動から、どのような気持ちの変化が読み取れるか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。

 
       
  1. 自分の意見を改めて母に主張し、徹底的に議論しようという決意。
  2.    
  3. 母の愛情を理解し、自分の夢を諦めて母の望む道に進もうという諦め。
  4.    
  5. 自分の子供っぽい態度を反省し、まずは母に素直に謝ろうという気持ち。
  6.    
  7. 対立は残ったままでも、母の愛情を受け止め、もう一度向き合おうとする歩み寄りの姿勢。
  8.  
 
    【正解と解説】    
     

正解 → 4

     
           
  • 1. 「徹底的に議論しよう」という戦闘的な姿勢は、気持ちが鎮まった後の心境とは合いません。
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  • 2. 「夢を諦めた」とまでは書かれていません。母の愛情を理解したことと、自分の夢を諦めることはイコールではありません。
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  • 3. 「謝ろう」という気持ちも含まれるかもしれませんが、より重要なのは今後の関係性です。
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  • 4. 主人公は母の愛情を再確認しましたが、それによって進路問題が解決したわけではありません。意見の対立は依然として存在するでしょう。しかし、彼女はその対立を乗り越えて母と向き合うことを選びました。ドアを開けるという行為は、感情的に心を閉ざしていた状態から対話の可能性へと自ら一歩踏み出すという、彼女の成熟した姿勢の変化を象徴しています。
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レベル:大学入学共通テスト対策|問題番号:87