現代文対策問題 86

 

本文

 

    その日、俺は高校の入学式以来、初めて制服のネクタイを自分で締めようとしていた。鏡の前で、ああでもないこうでもないと格闘していると、部屋のドアが開き、親父が入ってきた。

    「何やってる」
    「いや、これ、結び方が分からなくて」
    俺が照れくさそうに言うと、親父は何も言わずに俺の後ろに立った。そして、ごつごつした指先で不器用に俺のネクタイに触れた。普段、ろくに会話もない。こんなに近くに親父を感じるのは、いつ以来だろうか。鏡越しに目が合うと、お互い少し気まずく目をそらした。

    「いいか、こうやってこっちに回してな」
    親父は、ぼそぼそと何かを説明しながらネクタイを結んでいく。その声は、いつも俺を叱りつける時の声とは全く違う、穏やかな声だった。

    「ほら、できたぞ。男はな、こういうのを一つずつ覚えていくんだ
    鏡の中の俺は、少しだけ大人びて見えた。親父は俺の肩をぽんと一度だけ叩くと、すぐに部屋を出ていった。その背中は、いつもより少しだけ小さく見えた。俺はしばらくの間、まっすぐに結ばれたネクタイをただじっと見つめていた。  

 
 

【設問1】傍線部「ほら、できたぞ。男はな、こういうのを一つずつ覚えていくんだ」という親父の言葉に含まれている気持ちとして、最も適当なものを次の中から一つ選べ。

 
       
  1. 息子がいまだにネクタイも結べないことへの、呆れた気持ちと叱責。
  2.    
  3. 自分が若い頃に苦労して覚えた技術を、息子に自慢したいという気持ち。
  4.    
  5. 不器用ながらも息子に社会で生きていくための作法を伝えようとする、父親としての愛情。
  6.    
  7. 息子との間にできた気まずい空気を、ごまかすために思いついたその場しのぎの言葉。
  8.  
 
    【正解と解説】    
     

正解 → 3

     
           
  • 1. 「叱責」しているような厳しい口調ではありません。むしろ、その声は「穏やか」でした。
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  • 2. 「自慢」というよりは、息子へのメッセージとしての意味合いが強いです。
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  • 3. ネクタイの結び方は、大人になる過程で学ぶ社会的な作法の一つです。口下手な父親がその結び方を教えるという行為は、単なる技術指導を超えて、息子がこれから大人の世界へ入っていくことへのエールを送るという意味を持っています。「男はな」という言葉には、多くを語らない父親なりの息子への愛情と導きの気持ちが込められています。
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  • 4. 「その場しのぎ」の言葉にしては、彼の行動と言葉は一貫しています。
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【設問2】この出来事を通して、「俺」の親父に対する見方は、どのように変化したと考えられるか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。

 
       
  1. これまで、怖いだけだと思っていた親父の不器用な優しさに触れ、少しだけその距離が縮まったように感じた。
  2.    
  3. 親父の意外な器用さに驚き、これからはもっと色々なことを教わりたいと思うようになった。
  4.    
  5. 親父が急に年老いてしまったように感じ、これからは自分が一家を支えなければならないと決意した。
  6.    
  7. 親父に干渉されたことをうっとうしいと感じ、ますます父親との間に壁を作るようになった。
  8.  
 
    【正解と解説】    
     

正解 → 1

     
           
  • 1. 主人公は、普段父親と「ろくに会話もない」関係でした。しかし、ネクタイという小さなきっかけを通じて、父親の「穏やかな声」を聞き、その不器用な手つきに触れます。この出来事は、ただ叱るだけではない、父親の人間的な側面を彼に感じさせました。「その背中は、いつもより、少しだけ、小さく見えた」という描写は、絶対的な存在であった父親を、より身近な一人の人間として捉え直した、彼の視点の変化を示唆しています。
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  • 2. 「器用」ではなく、むしろ「不器用」な手つきとして描かれています。
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  • 3. 「一家を支えなければ」と決意するほど大きな心境の変化ではありません。もっとささやかな、関係性の変化です。
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  • 4. 「うっとうしい」と感じているのではなく、むしろその行為を静かに受け入れています。
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レベル:大学入学共通テスト対策|問題番号:86