現代文対策問題 77
本文
その日の放課後、私は化学準備室の掃除を命じられた。古い薬品の匂いが、ツンと鼻をつく。窓の外では、もう部活動の声が響き始めていた。私と一緒に掃除をすることになったのは、クラスでもほとんど話したことのない大野くんだった。彼はいつも一人で本を読んでいて、何を考えているのかよく分からない人だった。
気まずい沈黙の中、私たちは黙々と床を掃いたり窓を拭いたりした。早く終わらせて帰りたい。その気持ちだけは、きっと同じだっただろう。掃除があらかた終わった時、彼が戸棚の一番上の段に積まれた古いビーカーの山を指差した。
「あれ、下ろさないと」
「え、でも、届かないよ」
彼は何も言わずに実験用の椅子を持ってきた。そしておもむろにその上に立つと、慎重にビーカーの山に手を伸ばした。ぐらり、と椅子が揺れた。彼の手がビーカーに触れた瞬間、バランスを崩し、ビーカーの山がこちらに向かって崩れ落ちてきた。
「危ない!」
彼の叫び声と同時に、私はとっさに彼を突き飛ばし、自分の体で彼をかばうように床に覆いかぶさった。ガシャン、という耳をつんざくような音。ガラスの破片が背中にいくつか突き刺さったのが分かった。痛みよりも驚きが先に立った。大丈夫、と彼の声がすぐ耳元で聞こえた。私はなぜあんな行動をとったのだろう。自分でも分からなかった。
【設問1】傍線部「ぐらり、と椅子が揺れた。彼の手がビーカーに触れた瞬間、バランスを崩し、ビーカーの山がこちらに向かって崩れ落ちてきた」という一連の描写が生み出している効果として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 登場人物のドジな性格をコミカルに描き出し、読者の笑いを誘う効果。
- これから起こる悲劇を予感させ、物語全体の不穏な雰囲気を高める効果。
- 出来事がスローモーションのように詳細に描かれることで、切迫した状況の緊張感を高める効果。
- 化学準備室の危険性を具体的に示すことで、学校での安全管理の重要性を訴える効果。
【正解と解説】
正解 → 3
- 1. 「コミカル」な雰囲気ではありません。むしろ、危険でシリアスな場面です。
- 2. 「悲劇」というほど大げさな出来事ではありません。
- 3. 椅子が「ぐらり」と揺れ、手がビーカーに「触れた瞬間」に「崩れ落ちてきた」という一連の描写は、時間の流れを引き延ばし、一瞬の出来事を鮮明に描き出しています。読者は、まるでその場に居合わせているかのような緊張感と切迫感を味わうことになります。この描写があるからこそ、その後の「私」のとっさの行動がより際立つのです。
- 4. 「安全管理の重要性」を訴える教訓的な文章ではありません。
【設問2】最後の「私は、なぜ、あんな行動をとったのだろう。自分でも、分からなかった」という一文から読み取れる「私」の心理状態として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 自分の衝動的な行動を後悔し、冷静さを失った自分を責めている。
- 自分の勇敢な行動を誇らしく思うと同時に、それを他人に自慢したいと感じている。
- 論理では説明できない自分のとっさの行動に戸惑いながらも、その行動の意味を問い直している。
- 大野くんをかばったことで、彼との間に恋愛感情が芽生えたことに気づき、動揺している。
【正解と解説】
正解 → 3
- 1. 「後悔」や「自分を責めている」というネガティブな感情は読み取れません。むしろ、客観的な自己分析に近い問いです。
- 2. 「誇らしい」とか「自慢したい」といった自己満足の気持ちは見られません。
- 3. 「私」は、これまで大野くんと「ほとんど話したことのない」関係でした。そんな彼を危険を顧みずに身を挺して守った。その行動は彼女自身にとっても予測不可能なものでした。この最後の一文は、頭で考えるよりも先に体が動いたという驚きと、その根源にあるものは何だったのだろうか(それは単なる親切心か、あるいはもっと別の感情か)という、深い自己への問いかけを示しています。
- 4. 「恋愛感情」と断定するのは早計です。彼女自身もまだ自分の気持ちの正体が「分からなかった」のです。