現代文対策問題 62

本文

駅前の商店街に、一軒だけ残った古いレコード屋があった。店主の佐伯さんは、もう七十近いだろうか。いつもカウンターで、難しい顔をしてジャズのレコードを聴いている。僕が店を訪れるのは、別に音楽が好きだからというわけではなかった。ただ、佐伯さんがコーヒーを淹れる時の、豆を挽く音と、その香りが好きだったのだ。

その日、僕が店に入ると、珍しく佐伯さんの方から話しかけてきた。
「兄ちゃん、いつも来るけど、何も買っていかんな」
僕は少し気まずくなって「すみません、聴くだけで」と頭をかいた。
「いや、別に構わんよ。ここは、もう、わしの趣味みたいなもんだからな」
佐伯さんはそう言うと、一杯のコーヒーを僕の前に差し出した。いつもは、彼が自分用に淹れているのを、僕はただ眺めているだけだった。
「え、でも」
「いいから、飲みなさい。今日は、なんだか、誰かと話したい気分なんだ」
差し出されたコーヒーは、少し苦くて、でも、とても深い味がした。
昔はな、この店も、人で、ごった返していたんだぞ。みんな、ここで、新しい音楽と出会って、目を輝かせていた」
佐伯さんは、店の奥の、今はもう誰も探さないレコードが詰まった棚を、懐かしそうに眺めた。僕は、彼の言葉を聞きながら、コーヒーをゆっくりと味わった。この苦い液体の向こうに、僕の知らない、この店の、賑やかな時間が、幻のように、浮かんで見えた。


【設問1】傍線部「昔はな、この店も、人で、ごった返していたんだぞ」という佐伯さんのセリフには、どのような気持ちが込められているか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 時代の変化に取り残された、自分の店への、不満と、焦り。
  2. 今の若い客が、音楽の価値を理解しないことへの、苛立ちと、軽蔑。
  3. かつての店の繁栄を、懐かしむと同時に、その賑わいが失われたことへの、一抹の寂しさ。
  4. 自分の店の歴史を、若者に自慢し、権威を示したいという、自己顕示欲。
【正解と解説】

正解 → 3

  • 1. 「不満」や「焦り」といった、攻撃的な感情よりは、もっと静かな感慨が感じられます。
  • 2. 若者である「僕」にコーヒーを差し出しており、「軽蔑」しているとは考えにくいです。
  • 3. 「ごった返していた」という言葉で、過去の活気を生き生きと語る一方、「懐かしそうに眺めた」という描写からは、その時代がもう戻らないことへの寂しさが伝わってきます。このセリ-フは、単なる自慢ではなく、過ぎ去った時間への愛惜の念が込められています。
  • 4. 「権威を示したい」という高圧的な態度ではなく、「誰かと話したい気分」という、もっと人恋しい気持ちから出た言葉です。

【設問2】佐伯さんが、僕にコーヒーを差し出した、一番の理由として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 僕を、常連客として認め、感謝の気持ちを示したかったから。
  2. 自分の淹れたコーヒーの味を、誰かに評価してもらいたかったから。
  3. いつも黙って音楽を聴いている僕に、話しかけるきっかけが欲しかったから。
  4. 店の経営が苦しく、コーヒーを売ることで、少しでも足しにしたかったから。
【正解と解説】

正解 → 3

  • 1. 「常連客」ではありますが、何も買わない僕への「感謝」が一番の理由とは考えにくいです。
  • 2. 「評価」を求めているというよりは、コミュニケーションを求めています。
  • 3. 佐伯さんは「今日は、なんだか、誰かと話したい気分なんだ」と、自らの心情を吐露しています。いつも静かに訪れる僕の存在は、彼にとって、孤独を分かち合う相手として、ふさわしく思えたのでしょう。コーヒーは、その静かな関係に、一歩踏み込むための、彼なりの不器用な口実だったのです。
  • 4. 「わしの趣味みたいなもんだ」と言っており、商売気はあまり感じられません。

レベル:大学入学共通テスト対策|問題番号:62