現代文対策問題 49
本文
その日、私は、久しぶりに、母校の大学を訪れていた。目的は、恩師である伊藤先生に会うためだ。先生は、この春で、定年退職されるという。
私が学生だった頃、先生は、いつも難しい顔をして、誰よりも厳しい批評をすることで有名だった。私も、何度も、自分の未熟な論文を、木っ端微塵にされた経験がある。正直に言えば、少し、苦手な先生だった。しかし、不思議なことに、卒業してから、折に触れて思い出すのは、いつも、先生のあの厳しい言葉だった。
研究室のドアをノックすると、「開いているよ」という、昔と変わらない、少し不機嫌そうな声が聞こえた。先生は、相変わらず、本の山に埋もれるようにして座っていた。「先生、ご無沙汰しております」。私がそう言うと、先生は、分厚い眼鏡の奥から、私をじろりと見た。「……おお、君か。卒業して、もう十年になるか」。
私たちは、しばらく、思い出話に花を咲かせた。やがて、私が「先生の、あの時のご指導がなければ、今の自分はありません」と頭を下げると、先生は、初めて、照れたような、優しい顔で笑った。「そうか。それなら、教師冥利に尽きるというもんだ」。その笑顔を見た瞬間、私は、ようやく、先生の厳しさが、深い愛情の裏返しであったことに、気づいた。厳しさとは、相手の可能性を、誰よりも信じるということなのかもしれない。
【設問1】傍線部①「少し、苦手な先生だった」とあるが、それはなぜか。その理由の説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 先生が、えこひいきの激しい性格で、自分だけが冷遇されていると感じていたから。
- 先生の授業が、あまりに退屈で、内容を全く理解することができなかったから。
- 先生が、自分の書いた論文を、容赦なく、そして徹底的に批判したから。
- 先生が、学生とのコミュニケーションを一切取ろうとしない、冷淡な人物だったから。
【正解と解説】
正解 → 3
- 1. 「えこひいき」や「自分だけが冷遇」といった記述はありません。先生は誰に対しても厳しかったようです。
- 2. 授業が「退屈だった」という記述はありません。苦手意識の原因は、授業そのものではなく、個人的な指導にあります。
- 3. 「いつも難しい顔をして、誰よりも厳しい批評をすることで有名だった」「私も、何度も、自分の未熟な論文を、木っ端微塵にされた経験がある」という記述が、この選択肢の内容を直接的に裏付けています。自分の努力の結晶である論文を、手ひどく批判された経験が、苦手意識の源泉となっていたのです。
- 4. 卒業生である「私」が訪ねてきて、思い出話をするなど、コミュニケーションを「一切取ろうとしない」わけではありません。
【設問2】傍線部②先生が「初めて、照れたような、優しい顔で笑った」のはなぜか。その理由の説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- かつて厳しく指導した教え子が、今では立派な社会人になった姿を見て、感慨深くなったから。
- 自分の指導方針が、卒業生から高く評価されたことで、教師としての自信を、改めて深めることができたから。
- 自分の厳しさが、愛情の裏返しであったことを、ようやく教え子に理解してもらえたことへの、安堵と喜びから。
- 自分の厳しい指導が、実は愛情から来るものだったと教え子に伝えられ、長年の誤解が解けたことへの、満足感から。
【正解と解説】
正解 → 3
- 1. 「感慨深くなった」のは事実でしょうが、笑顔の直接の理由は、「私」の感謝の言葉に対する反応です。
- 2. 「自信を深める」という自己肯定的な側面よりは、教え子との関係性における感情の動きと捉えるべきです。
- 3. 先生は、自分の厳しい指導が、学生のためを思っての行為(愛情)であることを自覚していたはずです。しかし、その真意が学生に伝わっているかは分かりませんでした。「私」からの感謝の言葉(あの時のご指導がなければ…)は、その真意が、時を経て、ようやく相手に伝わったことを意味します。そのことへの「安堵」と、教え子の成長を嬉しく思う「喜び」が、普段の厳しい表情を崩し、「照れたような、優しい」笑顔にさせたのです。
- 4. 先生自身が「自分の厳しさが愛情だった」と伝えたわけではありません。「私」が感謝を伝えた結果、先生が笑顔になったのです。因果関係が逆です。
【設問3】本文の結末で、「私」が至った「厳しさ」に対する新たな理解として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 相手に嫌われることを恐れず、欠点を指摘することこそが、真の友情の証であるということ。
- 厳しい指導とは、結局のところ、指導者の自己満足を満たすための、一方的な行為に過ぎないということ。
- 厳しさとは、相手の成長の可能性を心から信じているからこそできる、深い愛情の一つの表現形式であるということ。
- 厳しい言葉で相手を追い詰めることで、その人の潜在能力を、最大限に引き出すことができるということ。
【正解と解説】
正解 → 3
- 1. 「友情の証」というよりは、教師と教え子という関係性における、教育的な愛情の話です。
- 2. 「自己満足」「一方的な行為」という、否定的な結論には至っていません。むしろ、その価値を再発見しています。
- 3. 「私は、ようやく、先生の厳しさが、深い愛情の裏返しであったことに、気づいた」「厳しさとは、相手の可能性を、誰よりも信じるということなのかもしれない」という最後の二文が、この選択肢の内容を要約しています。単なる批判ではなく、相手の成長(可能性)を信じるという「愛情」が根底にあるからこそ、厳しくなれるのだ、という、より本質的な理解に至っています。
- 4. 「追い詰める」というネガティブな方法論ではなく、根底にある「愛情」や「信頼」といった、精神的な側面に気づいたのです。
【設問4】本文の内容と合致するものを、次の中から一つ選べ。
- 伊藤先生は、学生からの人気が高く、いつも穏やかな笑顔を絶やさないことで有名だった。
- 「私」は、卒業後も、定期的に伊藤先生の研究室を訪れ、交流を続けていた。
- 伊藤先生は、「私」からの感謝の言葉に対し、いつもの厳しい表情を崩さなかった。
- 「私」は、学生時代に苦手だと感じていた先生の言葉を、卒業後、何度も思い出していた。
【正解と解説】
正解 → 4
- 1. 「いつも難しい顔をして、誰よりも厳しい批評をすることで有名だった」とあり、「人気が高く」「穏やかな笑顔」とは正反対です。間違いです。
- 2. 「卒業して、もう十年になるか」という会話や、「ご無沙汰しております」という挨拶から、訪れたのは久しぶりであることがわかります。間違いです。
- 3. 「初めて、照れたような、優しい顔で笑った」とあり、表情を崩しています。間違いです。
- 4. 「不思議なことに、卒業してから、折に触れて思い出すのは、いつも、先生のあの厳しい言葉だった」という記述と、内容が合致します。
語句説明:
恩師(おんし):教えを受け、特に恩義のある先生。
木っ端微塵(こっぱみじん):物が、非常に細かく砕け散るさま。ここでは、徹底的に、再起不能なほどに、という意味の比喩。
折に触れて(おりにふれて):機会があるごとに。何かにつけて。
教師冥利(きょうしみょうり):教師という立場にあることによって得られる、この上ない幸せや、やりがい。