現代文対策問題 47
本文
その日、私は、真新しい一冊の日記帳を買った。これまで、日記というものを書いたことは一度もなかった。自分の日常など、書き留めておくほどの価値もないと思っていたし、何より、三日坊主で終わるのが目に見えていたからだ。
しかし、四十歳を目前にして、私は、ふと、自分の生きてきた軌跡が、あまりにも朧げであることに気づいた。楽しかったことも、悲しかったことも、時間の流れの中で、その輪郭を失い、ただ、ぼんやりとした記憶の霞になっている。このままでは、私は、自分自身が誰であったかさえ、忘れてしまうのではないか。そんな、静かな恐怖が、私の背中を押した。
私は、その夜、初めて日記を開いた。何を書けばいいのか、分からない。私は、ただ、その日の出来事を、箇条書きで、淡々と書き連ねてみた。「晴れ。午前中、会議。昼食、コンビニのサンドイッチ」。何とも、味気ない記録だ。こんなものを書き続けて、意味があるのだろうか。
一週間ほど、そんな単調な記録を続けた頃、私は、ある変化に気づいた。日記に書くことを、無意識のうちに、探しながら一日を過ごしているのだ。「ああ、夕焼けが綺麗だ。このことを、今夜、書こう」。これまで、ただ通り過ぎていただけの、ありふれた日常の風景が、少しだけ、色鮮やかに見え始めた。日記を書くという行為は、未来の自分のためだけではない。それは、現在の自分の目を、世界に対して、もう一度、開かせるための、ささやかな儀式なのかもしれない。
【設問1】傍線部①「そんな、静かな恐怖が、私の背中を押した」とあるが、この「静かな恐怖」の内容の説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 自分の人生が、他人と比べて、あまりにも平凡で、つまらないものであると痛感したことへの絶望。
- 日々の出来事や、それに伴う感情が、記憶から薄れていき、自分自身の存在感が希薄になっていくことへの不安。
- 加齢によって、記憶力が著しく低下していくことへの、医学的な恐怖と、将来への備えの必要性。
- 自分の死後、自分のことを覚えていてくれる人が、誰もいなくなってしまうのではないかという、根源的な孤独感。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 他人と比較した「絶望」ではなく、自分自身の内面における記憶の喪失が問題です。
- 2. 「自分の生きてきた軌跡が、あまりにも朧げである」「時間の流れの中で、その輪郭を失い」「自分自身が誰であったかさえ、忘れてしまうのではないか」という記述が、この選択肢の内容を直接的に裏付けています。日々の経験が記憶として定着せず、結果として自己同一性(自分自身の存在感)が「希薄になっていく」ことへの「不安」、それが「静かな恐怖」の正体です。
- 3. 「医学的な恐怖」というよりは、もっと情緒的、哲学的な不安です。
- 4. 死後の他者からの記憶ではなく、生きている現在の自分自身の、自己認識の問題です。
【設問2】傍線部②「これまで、ただ通り過ぎていただけの、ありふれた日常の風景」が、「少しだけ、色鮮やかに見え始めた」のはなぜか。その理由の説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 日記をつけ始めたことで、時間に余裕が生まれ、周囲を注意深く観察できるようになったから。
- 日記に書くという目的ができたことで、日常の中に、記録すべき特別な瞬間を、意識的に探すようになったから。
- 文章を書く訓練を積んだことで、物事をより詩的に、美しく捉えることができるようになったから。
- 平凡な日常の中にも、実は、多くのドラマチックな出来事が隠されていることに、ようやく気づいたから。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 日記を書くことで、むしろ時間は使っており、「余裕が生まれた」わけではありません。
- 2. 「日記に書くことを、無意識のうちに、探しながら一日を過ごしているのだ」という記述が、この選択肢の直接的な根拠です。「夕焼けが綺麗だ。このことを、今夜、書こう」という思考は、まさに「記録すべき特別な瞬間を、意識的に探す」行為です。この、世界に対する意識の向け方が変わったことで、これまで見過ごしていた風景が、意味を持って「色鮮やかに」見え始めたのです。
- 3. 「詩的に、美しく捉える」ようになったというよりは、まず、日常の出来事に「気づく」ようになった、という段階です。
- 4. 「ドラマチックな出来事」ではなく、「夕焼けが綺麗だ」というような、「ありふれた日常の風景」に価値を見出すようになったのです。
【設問3】本文の結末で、「私」が気づいた「日記を書くという行為」の本当の意味として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 過去の出来事を記録し、未来の自分への教訓として残すための、実用的な作業。
- 日々の生活の中に、小さな美しさや意味を発見するための、現在の自分を豊かにする営み。
- 自分の悩みを文章として吐き出すことで、ストレスを解消するための、精神的な浄化作用。
- 自分の人生を、後世の人が読むための、壮大な物語として、構成していくための、創造的な活動。 ol>
- 1. 当初は「未来の自分のため」と考えていましたが、それだけではない、と気づきます。
- 2. 「それは、現在の自分の目を、世界に対して、もう一度、開かせるための、ささやかな儀式なのかもしれない」という最後の文が、この選択肢の内容を要約しています。日記は、過去を記録するだけでなく、書くことを意識することで「現在」の認識を研ぎ澄ませ、「ありふれた日常」の中に「色鮮やか」な価値を「発見する」ための営みである、という気づきです。
- 3. 「ストレス解消」が主たる目的ではありません。もっと積極的な、世界との関わり方の変化です。
- 4. 「後世の人が読むため」「壮大な物語」といった、他者を意識した大げさなものではなく、あくまで個人的で「ささやかな儀式」です。
- 「私」は、日記を書き始める前、自分の日常には記録する価値がないと思っていた。
- 「私」が最初に書き始めた日記は、その日の出来事を淡々と記録する、味気ないものだった。
- 「私」は、日記を書き始めてすぐに、その楽しさに夢中になり、毎日、長文の日記を書くようになった。
- 「私」は、日記を書くようになってから、以前は見過ごしていた日常の風景に、注意を払うようになった。
- 1. 「自分の日常など、書き留めておくほどの価値もないと思っていた」とあり、合致します。
- 2. 「箇条書きで、淡々と書き連ねてみた」「何とも、味気ない記録だ」とあり、合致します。
- 3. 「楽しさに夢中になり」「長文の日記を書くようになった」という記述は本文にありません。むしろ、気づきは静かで、ささやかなものとして描かれています。これが明確な間違いです。
- 4. 「これまで、ただ通り過ぎていただけの、ありふれた日常の風景が、少しだけ、色鮮やかに見え始めた」とあり、合致します。
【正解と解説】
正解 → 2
【設問4】本文の内容と合致しないものを、次の中から一つ選べ。
【正解と解説】
正解 → 3
語句説明:
三日坊主(みっかぼうず):非常に飽きっぽく、長続きしないこと。また、その人。
軌跡(きせき):人や物事がたどってきた跡。
朧げ(おぼろげ):はっきりしないさま。ぼんやりしているさま。
儀式(ぎしき):ここでは、ある精神的な目的のために行われる、改まった、特別な行為のこと。