現代文対策問題 46
本文
その日、私は、都会の喧騒を離れ、一人、山間の小さな美術館を訪れていた。目的は、一枚の絵画。私が、十年以上、心の支えとしてきた、とある画家の、風景画だ。
ようやく辿り着いた美術館は、訪れる人もまばらで、静寂に包まれていた。絵は、展示室の、一番奥の壁に、ぽつんと掛けられていた。描かれているのは、何の変哲もない、田舎の小道だ。しかし、その絵の前に立つと、私は、いつも、不思議な感覚に襲われる。絵の中に、すうっと、吸い込まれていくような。そして、絵の中の小道を、私自身が歩いているような、そんな錯覚に陥るのだ。
その日も、私は、しばらく、その絵の前に佇んでいた。仕事の悩みも、人間関係の疲れも、この絵の前にいる時だけは、不思議と、心が軽くなる。画家の名前も、この絵の正式な題名も、私は知らない。知りたいとも、思わない。
ふと、背後で、小さな咳払いが聞こえた。振り返ると、杖をついた老婦人が、私と同じように、その絵をじっと見つめていた。「あなたも、この道が、お好きですか」。彼女は、私に、優しく微笑みかけた。「ええ、ずっと」と答えると、彼女は言った。「私もなの。辛いことがあると、いつも、この道に、逃げてくるのよ」。私たちは、それ以上、何も語らなかった。しかし、同じ絵を愛する者同士、言葉にはならない、温かい共感が、確かに、その空間に流れていた。
【設問1】傍線部①「絵の中に、すうっと、吸い込まれていくような」感覚に、「私」が襲われるのはなぜか。その理由の説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- その絵が、三次元的に見える特殊な技法で描かれており、鑑賞者に錯覚を与える効果を持っているから。
- その絵の世界観に深く没入し、現実の自分を忘れ、絵の中の登場人物と一体化するような感覚を覚えるから。
- その絵に描かれた風景が、自分の心の奥底にある原風景と合致し、強い親近感と安心感を覚えるから。
- その絵が持つ、不思議な催眠効果によって、意識が朦朧とし、正常な判断力を失ってしまうから。
【正解と解説】
正解 → 3
- 1. 「特殊な技法」といった、技術的な分析はしていません。あくまで感覚的な話です。
- 2. 絵の中に、特定の「登場人物」は描かれていません。描かれているのは「田舎の小道」です。
- 3. 「私」が、十年以上もこの絵を「心の支え」としてきたのは、この絵が、彼女にとって特別な意味を持つからです。「吸い込まれていく」「私自身が歩いているような」という感覚は、単なる鑑賞を超えて、絵の風景が自分の内面世界(原風景)と深く結びついていることを示唆します。そこにいると「心が軽くなる」のも、故郷に帰った時のような「安心感」を得られるからでしょう。
- 4. 「催催効果」「正常な判断力を失う」といった、オカルト的な解釈は行き過ぎです。
【設問2】傍線部②「私たちは、それ以上、何も語らなかった」とあるが、それはなぜか。その理由の説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 互いに深い事情を抱えており、それ以上、相手のプライバシーに踏み込むべきではないと、配慮したから。
- この絵に対する、それぞれの個人的な思いを、言葉で説明することの野暮ったさを、互いに理解していたから。
- 初めて会った相手と、これ以上、何を話していいか分からず、気まずい沈黙が流れてしまったから。
- 美術館の静かな雰囲気を壊さないように、大声でのおしゃべりは慎むべきだという、公共のマナー意識が働いたから。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 「プライバシーへの配慮」もゼロではありませんが、もっと積極的な理由が考えられます。
- 2. 「私」にとって、この絵は「心の支え」であり、老婦人にとっても「辛いことがあると、いつも、この道に、逃げてくる」という特別な存在です。二人がこの絵から何を感じ、どんな思いを託しているかは、極めて個人的で、繊細なものです。それを言葉で説明しようとすると、その大切な思いが、陳腐で、ありきたりなものになってしまう(野暮になる)かもしれません。互いが、この絵を深く愛しているからこそ、言葉を交わさずとも、その思いは通じ合っており、それ以上、言葉は不要だと感じたのです。
- 3. 「気まずい沈黙」ではなく、「言葉にはならない、温かい共感が、確かに、その空間に流れていた」とあり、ポジティブな沈黙です。
- 4. 「公共のマナー」という外面的な理由ではなく、もっと内面的な、二人の関係性からくる理由です。
【設問3】本文における「私」と老婦人の関係性の説明として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 一枚の絵を鑑賞する、という共通の目的を持った、ライバルのような関係。
- 偶然、同じ場所に居合わせただけの、全く無関心な、赤の他人の関係。
- 同じものに深い価値を見出す、感性を共有した、同志のような関係。
- 人生経験の豊富な老婦人が、悩める「私」を導く、師弟のような関係。
【正解と解説】
正解 → 3
- 1. 「ライバル」のような、競争的な関係ではありません。
- 2. 「無関心」ではなく、互いに微笑みかけ、言葉を交わし、「温かい共感」を抱いています。
- 3. 二人は、偶然出会った見ず知らずの他人です。しかし、「同じ絵を愛する者同士」という一点で、深く繋がっています。同じもの(絵)に、同じように深い価値を見出し、心の支えとしている。これは、まさに同じ志を持つ「同志」のような関係性と言えます。
- 4. 老婦人が一方的に「私」を「導く」という、上下関係はありません。二人は、対等な立場で、絵と向き合っています。
【設問4】本文の内容と合致するものを、次の中から一つ選べ。
- 「私」は、その風景画の作者や、正式な題名について、詳しかった。
- 「私」が訪れた美術館は、連日、多くの来場者で賑わっていた。
- 老婦人は、初めてこの美術館を訪れ、偶然、その絵を見つけた。
- 「私」は、その絵を見ることで、日々の悩みや疲れから、心が解放されるのを感じていた。
【正解と解説】
正解 → 4
- 1. 「画家の名前も、この絵の正式な題名も、私は知らない。知りたいとも、思わない」とあり、間違いです。
- 2. 「訪れる人もまばらで、静寂に包まれていた」とあり、間違いです。
- 3. 「辛いことがあると、いつも、この道に、逃げてくるのよ」と語っており、何度も訪れていることがわかります。間違いです。
- 4. 「仕事の悩みも、人間関係の疲れも、この絵の前にいる時だけは、不思議と、心が軽くなる」とあり、内容と合致します。
語句説明:
喧騒(けんそう):大勢の人が騒ぎ立て、やかましいこと。
佇む(たたずむ):しばらくの間、そこに立ったままでいる。
相槌を打つ(あいづちをうつ):相手の話に合わせ、頷いたり、短い言葉を挟んだりして、聞いていることを示すこと。
野暮(やぼ):言動や趣味などが、洗練されていないこと。人情の機微が分からず、気の利かないこと。