現代文対策問題 45

本文

その日、私は、一年に一度開かれる地域のマラソン大会に、初めて参加していた。健康のため、というよりは、職場の同僚に誘われて、断りきれなかったからだ。練習不足は明らかで、私の目標は、ただ完走することだけだった。

案の定、レース中盤で、私の足は、鉛のように重くなった。沿道からの声援が、だんだんと遠くに聞こえる。何度もリタイアしようと思った。その時、ふと、前を走る一人のランナーの背中が、目に留まった。かなり高齢の男性だ。その歩くような、しかし、決して止まることのない、淡々とした走りに、私は、なぜか目を奪われた。

私も、その老人の背中を、無心で追いかけ始めた。彼のリズムに合わせるように、一歩、また一歩と、足を前に出す。不思議と、苦しさが少し和らいだ。老人は、一度も、後ろを振り返らなかった。

ようやくゴールが見えてきた時、老人が、給水所で受け取った紙コップの水を、半分だけ飲み、残りの半分を、こともなげに自分の頭からかぶった。その無駄がなく、手慣れた仕草に、私は、彼の年季を感じた。彼は、ただ漫然と走っているのではない。自分自身の限界と、どう付き合っていくかを、知り尽くしているのだ。ゴールした後、私は、あの老人の背中に、深く頭を下げたいような気持ちになった。順位や、タイムではない。走り続けるということの、本当の意味を、少しだけ、教わった気がした。


【設問1】傍線部①「歩くような、しかし、決して止まることのない、淡々とした走り」に、「私」が「目を奪われた」のはなぜか。その理由の説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。

  1. 老人のフォームがあまりに非効率で、見ていられないほど気の毒に感じたから。
  2. 自分よりも体力の劣るはずの老人が、自分より前を走っていることへの、強い対抗心と焦りを感じたから。
  3. 派手さはないが、自分のペースを着実に守り続けるという、経験に裏打ちされた力強さを感じ取ったから。
  4. 今にも倒れそうな老人の姿を、見て見ぬふりができず、助けるべきかどうか、迷っていたから。
【正解と解説】

正解 → 3

  • 1. 「気の毒」というよりは、むしろ、その走りに魅了されています。
  • 2. 「対抗心」や「焦り」といった競争的な感情ではなく、もっと静かな感銘を受けています。
  • 3. 「私」は、レース中盤で心が折れかけています。そんな時に目にした、派手さはない(歩くような)が、着実に前進し続ける(決して止まることのない)老人の走り方。それは、目先のスピードではなく、長丁場を走り抜くための知恵と精神力、つまり「経験に裏打ちされた力強さ」の表れです。その姿に、苦しんでいた「私」は、走るべき理想の姿を見出したのです。
  • 4. 「今にも倒れそう」というよりは、「淡々とした」とあるように、安定した走りです。「助けるべきか」とは考えていません。

【設問2】傍線部②「無駄がなく、手慣れた仕草に、私は、彼の年季を感じた」とあるが、このことから「私」が悟ったことの説明として、最も適当なものを、次の中から一つ選べ。

  1. 長年の経験によって、レース中にいかに体力を温存し、楽をするかという技術を、老人が身につけていること。
  2. 老人が、自分の身体の状態や、レースの状況を的確に把握し、冷静に対処する術を心得ていること。
  3. 老人が、何度もこの大会に参加しており、給水所の位置などを、全て記憶していること。
  4. 水を頭からかぶるという行為が、高齢者にとって、熱中症を防ぐための、最も効果的な手段であるということ。
【正解と解説】

正解 → 2

  • 1. 「楽をする」というネガティブなニュアンスではありません。むしろ、走り続けるための、ポジティブな知恵です。
  • 2. 「年季」とは、長年かけて積み重ねられた経験や技術のことです。水を飲み、残りを頭からかぶるという行為は、単なる思いつきではなく、レースという過酷な状況下で、自分の身体を最適に保つための、計算された行動です。このことから、「私」は、老人が自分の限界や状況を「的確に把握」し、それに対応する「術を心得ている」のだと悟ったのです。
  • 3. 「給水所の位置を記憶している」ことは事実かもしれませんが、感銘の中心は、もっと普遍的な、状況への対処能力です。
  • 4. 医学的な知識を得たのではなく、彼の走り方や生き方に対する、より深い洞察を得たのです。

【設問3】本文の結末で、「私」が「走り続けるということの、本当の意味を、少しだけ、教わった気がした」とあるが、その「本当の意味」とは何か。最も適当なものを、次の中から一つ選べ。

  1. 他者との競争に打ち勝ち、少しでも良い順位やタイムを記録すること。
  2. 自分の限界を冷静に見極め、無理をせず、自分なりのペースで最後までやり遂げること。
  3. 沿道からの声援に応え、周囲の期待を背負いながら、ゴールを目指すこと。
  4. 最新の科学的トレーニングを取り入れ、常に自己ベストの更新を目指すこと。
【正解と解説】

正解 → 2

  • 1. 「順位や、タイムではない」と明確に否定されています。
  • 2. 老人の走り方は、まさにこの選択肢を体現しています。「歩くような」走りで「無理をせず」、「決して止まることのない」ペースで「最後までやり遂げ」、給水所での行動で「自分の限界を冷静に見極め」ています。一時的な感情や他者との比較に惑わされず、自分自身の力と向き合い、淡々とゴールを目指すことこそ、「私」が老人から学んだ「走り続けるということの、本当の意味」です。
  • 3. 老人は「一度も、後ろを振り返らなかった」とあり、周囲の期待に応えることには関心がないようです。
  • 4. 「科学的トレーニング」といった、近代的なアプローチではなく、もっと経験的で、精神的な教えです。

【設問4】本文の内容と合致するものを、次の中から一つ選べ。

  1. 「私」は、マラソン大会に向けて、十分な練習を積んで参加した。
  2. 「私」は、レース中に、前を走っていた老人と言葉を交わした。
  3. 「私」は、このマラソン大会で、見事、目標タイムを達成することができた。
  4. 「私」は、自分より年上のランナーの姿に、感銘を受けた。
【正解と解説】

正解 → 4

  • 1. 「練習不足は明らかで」とあり、間違いです。
  • 2. 老人の背中を追いかけただけで、「言葉を交わした」という記述はありません。間違いです。
  • 3. 「目標は、ただ完走することだけだった」とあり、完走したかどうかは分かりますが、タイムについては書かれていません。
  • 4. 「かなり高齢の男性」の「淡々とした走り」に「目を奪われ」、「深く頭を下げたいような気持ちになった」とあるように、感銘を受けています。内容と合致します。

語句説明:
高をくくる(たかをくくる):大したことはないと見くびる。甘く見る。
淡々(たんたん):色や味、態度などがあっさりしているさま。物事にこだわらず、さっぱりしているさま。
無心(むしん):何も考えないこと。心を無にすること。雑念がないこと。
年季(ねんき):長年、物事に携わって積み重ねられた、経験や技術。

レベル:大学入学共通テスト対策|問題番号:45