現代文対策問題 42
本文
その日、私は、古い友人の、個展の案内状を手に、小さな画廊を訪れた。友人は、昔から絵を描くのが好きで、生活が苦しくても、その道一筋で生きてきた男だ。私は、そんな彼を、尊敬する一方で、どこか歯がゆくも感じていた。もっと、要領よく生きればいいのに、と。
画廊の壁には、彼の新作が、十数点、静かに掛けられていた。描かれているのは、何の変哲もない、路傍の草花や、ありふれた町の風景だ。派手さも、斬新さもない。正直に言えば、これが売れるとは思えなかった。私は、彼の不器用な生き方が、そのまま絵に表れているような気がして、ため息をつきたくなった。
壁の隅に、一枚だけ、ひときわ小さな絵があった。描かれているのは、古びた公園の、錆びついた水道の蛇口。そこから、一滴だけ、水が、今まさに滴り落ちようとしている。その一滴の水に、なぜか、宇宙の全ての光が集まっているかのように、私は見えた。何気ない日常の中に潜む、一瞬のきらめき。彼は、誰もが見過ごしてしまうような、世界の片隅にある美しさを、すくい上げようとしていたのだ。
私は、ようやく、彼の絵の本質を理解した気がした。彼は、不器用なのではない。ただ、誰よりも誠実に、自分の見つめる世界と、向き合っていただけなのだ。私は、その小さな絵の前に、しばらく立ち尽くしていた。彼の生き方は、間違ってなどいなかった。むしろ、要領の良さばかりを気にして、大切なものを見失っていたのは、私のほうだったのかもしれない。
【設問1】傍線部①「これが売れるとは思えなかった」とあるが、この時の「私」の友人に対する気持ちの説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 友人の才能のなさに失望し、これ以上、彼を応援するのはやめようと考えている。
- 世間に迎合しない友人の頑固な作風に、もどかしさを感じ、その将来を心配している。
- 自分の芸術に対する理解力のなさを棚に上げ、友人の作品を一方的に批判している。
- 友人が、わざと売れない絵ばかりを描くことで、商業主義に反抗しているのだと解釈している。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 「失望」や「応援をやめる」というほど、関係を断ち切ろうとはしていません。根底には友情があります。
- 2. 「私」は友人の生き方を「歯がゆく」「不器用」だと感じています。そして、絵にも「派手さも、斬新さもない」と感じ、商業的な成功(売れること)は難しいだろうと考えています。これは、もっと「要領よく」世間の好みに合わせれば成功できるのに、という「もどかしさ」と、彼の生活を「心配」する気持ちの表れです。
- 3. 「批判している」というよりは、「ため息をつきたくなった」という、心配からくる落胆に近い感情です。
- 4. 「商業主義に反抗している」という、積極的な思想的背景があるとは解釈していません。あくまで「不器用」さの結果だと見ています。
【設問2】傍線部②「一滴の水に、なぜか、宇宙の全ての光が集まっているかのように」見えたのはなぜか。その理由の説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- その絵だけが、他の絵とは違う、特殊な絵の具や技法を使って描かれていたから。
- ありふれた題材の中に、作者の鋭い観察眼と、対象への深い愛情が凝縮されているのを感じ取ったから。
- その絵に、有名な画家の作品と共通する、構図や色彩のパターンを発見したから。
- その一滴の水が、これから友人に訪れるであろう、輝かしい成功を象徴しているように思えたから。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 「特殊な絵の具や技法」に関する記述はありません。感動の源は、技術ではなく、描かれたものの内実です。
- 2. 「私」は、この絵を見て、「何気ない日常の中に潜む、一瞬のきらめき」「誰もが見過ごしてしまうような、世界の片隅にある美しさ」を友人が描こうとしていたことに気づきます。これは、ありふれた題材(錆びついた蛇口)を、いかに作者が注意深く「観察」し、慈しむような「愛情」をもって見つめていたか、ということを示しています。その画家の精神が、絵の中の一滴の水に凝縮され、特別な輝きとして「私」の目に映ったのです。
- 3. 「有名な画家の作品との共通点」は読み取れません。これは友人のオリジナルの視点です。
- 4. 「輝かしい成功」という未来の予測ではなく、今、目の前にある絵そのものに込められた価値に感動しています。
【設問3】この出来事を通じた、「私」の友人に対する認識の変化の説明として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 世渡りが下手なだけの凡庸な画家だと思っていたが、実は、世間を驚かすような野心を持った戦略家だと気づいた。
- 生活力のない不器用な人間だと歯がゆく思っていたが、自分自身の哲学を持ち、誠実に表現と向き合う、尊敬すべき芸術家だと認識を改めた。
- 売れることばかりを考える自分とは正反対の、純粋すぎる友人の生き方に、共感よりもむしろ、違和感を覚えるようになった。
- 友人との才能の差を改めて痛感し、彼と同じ土俵で競うことを諦め、自分の生き方を見つめ直すようになった。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 「野心」や「戦略家」といったイメージは、友人の誠実な作風とは合いません。
- 2. 当初、「私」は友人を「不器用」「要領よく生きればいいのに」と、社会的な成功という尺度で見ていました。しかし、小さな絵に込められた本質に触れたことで、「彼は、不器用なのではない。ただ、誰よりも誠実に、自分の見つめる世界と、向き合っていただけなのだ」と理解します。これは、友人に対する評価軸が、社会的な成功から、芸術家としての誠実さや哲学へと転換したことを意味し、認識の変化を的確に説明しています。
- 3. 「違和感」ではなく、「ようやく、彼の絵の本質を理解した」「尊敬するのだ」と、共感と理解に至っています。
- 4. 「才能の差を痛感」したというよりは、友人の生き方の「質」を理解したのです。二人は同じ土俵にはいないため、競争という観点で見ていません。
【設問4】本文の最後で、「私」が「大切なものを見失っていたのは、私のほうだったのかもしれない」と感じたのはなぜか。その理由として最も考えられるものを、次の中から一つ選べ。
- 芸術の本当の価値を理解せず、売れるかどうかという金銭的な基準でしか、友人の作品を評価できなかった自分の視野の狭さに気づいたから。
- 友人のように、一つのことに打ち込む情熱を、自分が持ち合わせていないことに気づき、虚しさを感じたから。
- 友人との友情を大切にせず、長い間、彼の個展を訪れようともしなかった、自分の不誠実さを反省したから。
- 要領よく生きることばかりを考え、日常の中に存在するささやかな美しさや、誠実さといった価値を見過ごしてきた自分に気づいたから。
【正解と解説】
正解 → 4
- 1. 金銭的な基準で見ていたことは事実ですが、それはより大きな問題の一側面に過ぎません。
- 2. 「情熱がない」と自己否定しているのではなく、価値観の違い、見ているものの違いに気づいたのです。
- 3. 個展を訪れなかったことを「不誠実」だと反省しているわけではありません。
- 4. 「私」は、友人の生き方を「もっと、要領よく生きればいいのに」と考えていました。しかし、友人の絵が「誰もが見過ごしてしまうような、世界の片隅にある美しさ」を捉えていることを知ります。この対比から、「私」は、自分が「要領の良さ」を重視するあまり、友人が大切にしているような「日常の中のささやかな美しさ」や、「誠実に物事と向き合う」という価値を「見失っていた」のではないか、と自己を省みているのです。この説明が最も本質を捉えています。
語句説明:
蚤の市(のみのいち):公園や広場などで開かれる、古道具や古着などの市場。
歯がゆい(はがゆい):思うようにならず、いらだたしい。もどかしい。
路傍(ろぼう):道のほとり。道ばた。
迎合(げいごう):自分の考えを曲げてでも、他人の気に入るように調子を合わせること。