現代文対策問題 4
本文
大学進学で故郷の港町を離れてから、早くも五年が経つ。久しぶりに降り立った駅のホームは、潮の香りと、聞き覚えのある訛りが混じり合い、私を懐かしい気分にさせた。しかし、駅前の商店街に足を踏み入れた途端、その感傷は戸惑いに変わった。見慣れた角にあった老夫婦の営む八百屋は真新しいドラッグストアになり、子供の頃の遊び場だった空き地は、月極駐車場へと姿を変えていた。
町の景色は、私が覚えていたよりもずっと速いスピードで、その輪郭を変えようとしているらしい。私はゆっくりと歩きながら、記憶の中の地図と目の前の風景を重ね合わせようとしたが、そのズレに眩暈のようなものを感じた。まるで、自分の帰るべき場所が、少しずつ消えていっているような心細さ。都会での生活は刺激的だが、時折、自分が根無し草になったような不安に襲われることがある。故郷は、そんな私にとって、変わらない目印として心の中に存在していたはずだった。
「あら、ミキちゃんじゃないかい」。不意にかけられた声に振り向くと、隣の家のタナカのおばさんだった。「すっかり綺麗になっちゃって」と屈託なく笑う顔は、昔のままだ。その変わらない笑顔に、私は張り詰めていた心の糸がふっと緩むのを感じた。変わってしまった景色の中で、変わらない人の存在が、どれほど心を温めてくれることか。
私は、自分が失われた景色ばかりに目を向けていたことに気づいた。町は生きている。人も、景色も、少しずつ形を変えながら続いていく。変わらないものにしがみつこうとしていたのは、私のほうだったのかもしれない。
【設問1】傍線部「自分の帰るべき場所が、少しずつ消えていっているような心細さ」とあるが、この時の「私」の心情の説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 町の近代化に取り残されたような疎外感を覚え、昔ながらの風景を壊した人々に対して憤りを感じている。
- 自分のアイデンティティの拠り所だと信じていた故郷が変貌していく様に、自分の存在が揺らぐような不安を感じている。
- 久しぶりに帰郷した自分を誰も覚えていないのではないかという恐怖と、都会人として扱われることへの寂しさを感じている。
- 思い出の場所がなくなったことで、過去の記憶までが色褪せてしまうような悲しみに襲われ、無力感を覚えている。
【設問2】本文における「私」の心情の変化の説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 故郷への期待を抱いて帰郷したが、その変貌ぶりに失望し、最終的には都会での生活の方が自分に合っていると再確認した。
- 町の変化に戸惑いと喪失感を覚えていたが、旧知の人との再会をきっかけに、変化の中にも変わらない価値があることに気づき、心が安らいだ。
- 最初は故郷の変わらなさに安心感を覚えていたが、次第にその停滞した空気に息苦しさを感じ、故郷から完全に心が離れてしまった。
- 都会での生活に疲れ果て、癒やしを求めて帰郷したが、故郷の人間関係の煩わしさに直面し、失望してしまった。
【設問3】本文の内容に照らして、**間違っているもの**を、次の中から一つ選べ。
- 「私」は、都会での生活に充実感を得つつも、時として不安定な気持ちになることがある。
- 「私」が子供の頃に知っていた商店街の店は、すべてが昔のまま営業を続けていた。
- タナカのおばさんは、「私」の帰郷を心から歓迎し、親しみを込めて接してくれた。
- 「私」は、町の変化を受け入れられずにいたのは、自分自身の心の持ちようにも原因があったと気づいた。
【設問4】本文の表現に関する説明として、最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 「記憶の中の地図」と「目の前の風景」のズレという比喩を用いて、主人公の内的世界と外的世界の乖離を効果的に示している。
- 町の人々の訛りを強調して描写することで、都会から来た「私」と故郷との間に存在する、埋めがたい文化的断絶を暗示している。
- ドラッグストアや駐車場といった無機質なものを意図的に排除し、自然豊かな故郷の原風景をノスタルジックに描いている。
- タナカのおばさんとの会話を長く詳細に記述することで、物語の焦点を個人の内面から地域社会の問題へと移行させている。
【正解と解説】
設問1:正解 → 2
- 1. 「憤り」という攻撃的な感情は本文から読み取れません。心情はより内面的な「心細さ」です。
- 2. 「自分が根無し草になったような不安」という都会での心情と、「変わらない目印」であったはずの故郷の変貌が結びつき、アイデンティティの拠り所が揺らぐ「心細さ」を的確に説明しています。
- 3. この時点ではまだ知人には会っておらず、対人関係の不安ではなく、風景の変化に対する心情です。
- 4. 「無力感」や「記憶が色褪せる」というより、自分の「帰るべき場所」という支えが失われることへの不安が中心です。
設問2:正解 → 2
- 1. 「都会での生活の方が自分に合っていると再確認した」という結論には至っていません。故郷の価値を再発見する流れです。
- 2. 「戸惑い」や「心細さ」を感じていた状態から、「タナカのおばさん」との再会によって「心の糸がふっと緩む」という、心情の変化の流れを正しく捉えています。
- 3. 最初に感じたのは「懐かしい気分」であり、その後「戸惑い」に変わっています。「停滞」に息苦しさを感じたという記述はありません。
- 4. 「人間関係の煩わしさ」は描かれておらず、むしろ人の温かさに救われています。
設問3:正解 → 2
- 1. 「都会での生活は刺激的だが、時折、自分が根無し草になったような不安に襲われる」という記述と一致します。
- 2. 「老夫婦の営む八百屋は真新しいドラッグストアになり」とあり、全ての店が昔のままではなかったことが明確にわかります。これが誤りです。
- 3. 「あら、ミキちゃんじゃないかい」「すっかり綺麗になっちゃって」と屈託なく笑う様子から明らかです。
- 4. 「変わらないものにしがみつこうとしていたのは、私のほうだったのかもしれない」という最後の気づきと一致します。
設問4:正解 → 1
- 1. 「ズレ」「眩暈」といった言葉で、理想化された記憶と現実の風景との間のギャップ、それが引き起こす内的な混乱を見事に表現しています。
- 2. 訛りは「懐かしい気分」を呼び起こす要素として描かれており、「文化的断絶」という否定的なニュアンスはありません。
- 3. ドラッグストアや駐車場という「無機質なもの」を明確に描き、それと記憶を対比させることで、「私」の心情を描いています。「排除」はしていません。
- 4. 会話は短く、あくまで「私」の心情を変化させるきっかけとして機能しています。「地域社会の問題」という大きなテーマには展開していません。
語句説明:
感傷(かんしょう):物事に感じて心を痛めること。特に、寂しさや悲しさを感じやすい心の状態。
根無し草(ねなしぐさ):定まった住居や職業がなく、あちこち漂泊する人のたとえ。ここでは精神的な拠り所がない状態。
屈託(くったく)なく:こだわりや心配事がなく、さっぱりしている様子。