現代文対策問題 36
本文
その日、私は、一年に一度、この時期にだけ開かれる、古い道具の蚤の市を訪れていた。所狭しと並べられた、使い古された品々。その一つ一つに、誰かの生活の匂いが染みついているようで、私は、こういう場所の雰囲気が好きだった。
ある店の隅に、木製の古い裁縫箱が、ぽつんと置かれていた。凝った装飾は何もない、ただの四角い箱だ。しかし、その滑らかに使い込まれた木の表面と、真鍮の留め金の鈍い輝きに、私は、なぜか強く心を惹かれた。蓋を開けてみると、中には、色とりどりの糸や、錆びた針、そして、小さな指貫が、行儀よく収まっていた。
「お目が高い。それは、いい仕事してますよ」。店主の老人が、声をかけてきた。「昔の職人がね、一つ一つ、手で作ったもんだ。派手さはないが、百年でも使えるくらい、丈夫にできてる」。店主の言葉は、私の心を後押しした。
私は、その裁縫箱を買って、家に持ち帰った。裁縫をする趣味はない。中に、何か特別なものを入れるあてもない。ただ、時々、その蓋を開け、静かに収まっている糸や針を眺める。すると、私の周りにある、使い捨てのプラスチック製品に囲まれた日常が、ひどく薄っぺらなものに思えてくるのだ。この小さな箱は、私に、物や、時間と、どう向き合うべきかを、静かに問いかけてくるようだった。
【設問1】傍線部①「その滑らかに使い込まれた木の表面と、真鍮の留め金の鈍い輝き」に、「私」が心を惹かれたのはなぜか。その理由の説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 高価な素材で作られており、骨董品として大きな金銭的価値があることを見抜いたから。
- 長年にわたって、持ち主に大切に使われてきたことによって生まれた、物の持つ温かみや歴史を感じ取ったから。
- シンプルで機能的なデザインが、現代の自分のライフスタイルに合っていると感じたから。
- その裁縫箱が、自分が子供の頃に使っていたものと、全く同じデザインであったことに気づいたから。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 「金銭的価値」に関心があるという記述はありません。魅力はもっと情緒的なものです。
- 2. 「滑らかに使い込まれた」という表現は、それが長年、人の手によって触れられ、大切にされてきたことを示唆します。「鈍い輝き」もまた、ピカピカの新品にはない、時間が作り出した美しさです。このような、物と人との長い関わりの歴史、そこから生まれる「温かみ」に、「私」は直感的に惹かれたのです。
- 3. 「現代のライフスタイルに合っている」という実用的な観点ではなく、もっと古いものへの憧憬の念が感じられます。
- 4. 「子供の頃に使っていたものと、全く同じ」であったという記述はなく、個人的な思い出と結びついているわけではありません。
【設問2】傍線部②「私の周りにある、使い捨てのプラスチック製品に囲まれた日常が、ひどく薄っぺらなものに思えてくる」とは、どういうことか。その説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 裁縫箱のような木製品の温かみと比べて、プラスチック製品の冷たさが、物理的に不快に感じられるようになった。
- 一つのものを長く大切に使うという価値観に触れたことで、現代の大量生産・大量消費の文化に、虚しさを感じるようになった。
- 自分の持ち物が、裁縫箱に比べて安価なものばかりであることに気づき、経済的な劣等感を覚えるようになった。
- 昔の製品の質の高さに感動し、現代の製品の壊れやすさや、作りの雑さに対して、強い憤りを感じるようになった。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 「物理的に不快」というよりは、もっと精神的、文化的なレベルでの比較です。
- 2. 「百年でも使える」ほど丈夫に作られ、大切に「使い込まれた」裁縫箱は、「一つのものを長く大切に使う」という価値観の象徴です。それに対して、「使い捨て」という言葉で表現される現代の日常は、「大量生産・大量消費」文化を象徴します。この二つを対比した時、後者の文化や、それに根ざした生活が、歴史や物語を持たない「薄っぺらなもの」、つまり「虚しいもの」に感じられた、という解釈が最も適切です。
- 3. 「経済的な劣等感」がテーマではありません。問題は、価格ではなく、物との向き合い方です。
- 4. 「憤り」という攻撃的な感情ではなく、むしろ、自分の日常を省みる、内省的な気持ちです。
【設問3】本文の結末で、「私」が裁縫箱から「静かに問いかけ」られていると感じた「物や、時間と、どう向き合うべきか」という問いに対する、「私」自身の答えの方向性として、最も考えられるものを次の中から一つ選べ。
- これからは、全てのプラスチック製品を捨て、昔ながらの道具だけで生活していくべきだ。
- 物を買うときは、その場の流行や便利さだけでなく、長く使えるかどうか、愛着を持てるかどうかを考えるべきだ。
- 過去の時代の文化や価値観は素晴らしいので、現代の文化を否定し、昔の生き方を模倣すべきだ。
- 一つの物を大切にしすぎると、新しいものへ挑戦する機会を失うので、古いものには執着すべきではない。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 「全てのプラスチック製品を捨てる」という極端な結論は、本文の穏やかなトーンからは読み取れません。
- 2. 裁縫箱との出会いを通して、「私」は「使い捨て」の文化に虚しさを感じました。これは、これからの物選びの基準が変わることを示唆します。単に機能的な「便利さ」や「流行」だけでなく、裁縫箱が持つような、作り手の思いや、長く使える丈夫さ、そして自分が「愛着」を持って長く付き合えるか、といった新しい価値基準で、物と向き合っていくようになる、という方向性が最も自然に導き出されます。
- 3. 「現代の文化を否定し、昔の生き方を模倣すべきだ」という、全面的な過去への回帰を主張しているわけではありません。あくまで、現代生活への一つの問いかけです。
- 4. この物語は、古いものを大切にすることの価値を肯定的に描いているため、この選択肢は本文の趣旨と正反対です。
【設問4】本文の内容と合致するものを、次の中から一つ選べ。
- 「私」は、プロの洋裁家で、仕事で使うための特別な裁縫箱を探していた。
- 「私」が買った裁縫箱は、工場で大量生産された、ありふれた品物だった。
- 店主は、裁縫箱の価値を全く理解しておらず、二束三文で「私」に売りつけた。
- 「私」は、裁縫箱を手に入れた後も、特に裁縫をするようになったわけではない。
【正解と解説】
正解 → 4
- 1. 「裁縫をする趣味はない」と明確に書かれており、間違いです。
- 2. 「昔の職人がね、一つ一つ、手で作ったもんだ」と店主が説明しており、間違いです。
- 3. 「お目が高い。それは、いい仕事してますよ」と、店主はその価値をよく理解しています。間違いです。
- 4. 「裁縫をする趣味はない」「中に、何か特別なものを入れるあてもない」とあり、裁縫箱を実用的な目的で使っているわけではないことがわかります。内容と合致します。
語句説明:
蚤の市(のみのいち):公園や広場などで開かれる、古道具や古着などの市場。
真鍮(しんちゅう):銅と亜鉛の合金。美しい黄色の光沢を持つ。
指貫(ゆびぬき):縫い物をする時、針の頭を押さえるために指にはめる道具。
気概(きがい):困難に屈しない、強い意志や気性。