現代文対策問題 33
本文
大学のゼミで、私は、いつも発表の直前になると、決まって体調が悪くなった。入念に準備をし、これで完璧だと思っても、人前に立つことを想像するだけで、心臓が早鐘のように鳴り、呼吸が浅くなる。発表自体は、なんとかこなす。しかし、終わった後には、どっと疲労が押し寄せ、内容とは裏腹に、いつも後悔だけが残った。
そんな私を見かねてか、ゼミの担当である田中教授が、ある日、私を研究室に呼んだ。「君は、百点満点を目指しすぎている」。教授は、穏やかな口調で言った。「六十点でいいじゃないか。あとの四十点は、聞き手に埋めてもらえばいい」。私は、その言葉の意味がすぐには理解できなかった。全力を尽くし、完璧なものを提示するのが、発表者の責任ではないのか。
教授は続けた。「発表というのは、君の知識を披露する場であると同時に、コミュニケーションの場でもある。完璧な発表は、時として、聞き手が口を挟む隙を与えない。多少の隙や、不完全さがあるからこそ、そこに質問や、議論が生まれる。それでいいんだよ」。
その言葉は、私の肩から、重い荷物を下ろしてくれたようだった。私は、ずっと、聞き手を「評価者」としてしか見ていなかった。しかし、教授の言う通りなら、聞き手は、共に発表を完成させてくれる「協力者」でもあるのだ。その日以来、私の発表は、少しだけ、楽になった。完璧ではない、ぎこちない発表。しかし、そこから、以前にはなかった、活発な質疑応答が生まれることもあった。
【設問1】傍線部①「六十点でいいじゃないか。あとの四十点は、聞き手に埋めてもらえばいい」という教授の言葉の真意として、最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 準備に全力を尽くすのではなく、要領よく六割程度の力で、手を抜いて発表すべきだという助言。
- 発表者一人が完璧に話すのではなく、聞き手からの質問や意見を引き出し、対話を通じて完成させることを目指すべきだという考え。
- 学生の発表に、そもそも百点満点の価値などないのだから、完璧を目指すだけ無駄であるという、諦めの奨励。
- 発表の内容が六十点でも、聞き手の同情を誘うことができれば、残りの四十点は温情で評価してもらえるという、処世術の伝授。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 「手を抜く」ことを推奨しているのではありません。力の注ぎ方、考え方を変えるべきだ、という助言です。
- 2. 教授のその後の「発表というのは…コミュニケーションの場でもある」「多少の隙や、不完全さがあるからこそ、そこに質問や、議論が生まれる」という言葉が、この選択肢の内容を具体的に説明しています。発表を一方的な「披露」の場ではなく、聞き手との共同作業(コミュニケーション)の場として捉え直すべきだ、という意図が込められています。
- 3. 「諦め」を奨励しているのではなく、むしろ、より豊かで生産的な発表を目指すための、前向きなアドバイスです。
- 4. 「同情を誘う」「温情で評価」といった、本質的でないテクニックの話をしているわけではありません。
【設問2】傍線部②「その日以来、私の発表は、少しだけ、楽になった」とあるが、それはなぜか。その理由の説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 教授から特別に目をかけてもらえたことで、自信がつき、人前で話すことへの恐怖心が完全になくなったから。
- 聞き手を、自分を評価する「敵」ではなく、共に発表を作る「味方」だと捉えることで、過剰なプレッシャーから解放されたから。
- 発表の準備に時間をかけなくても良いと教授から許可を得たことで、精神的にも肉体的にも負担が軽減されたから。
- 自分の発表が、ゼミの中で最も活発な議論を呼ぶようになったことで、仲間たちから尊敬されるようになったから。 ol>
- 1. 「恐怖心が完全になくなった」とまでは言えません。「少しだけ、楽になった」という穏やかな変化です。
- 2. 以前の「私」は、聞き手を自分を採点する「評価者」と捉え、完璧でなければならないというプレッシャーを感じていました。しかし、教授の言葉によって、聞き手を「協力者」と捉え直すことができました。この認識の変化が、「百点満点を目指し」ていた過剰な気負いを解き放ち、心を「楽に」したのです。
- 3. 「準備に時間をかけなくても良い」と許可されたわけではありません。準備はした上で、本番での完璧主義を捨てる、という話です。
- 4. 「仲間たちから尊敬されるようになった」かどうかは本文に書かれていません。楽になったのは、他者評価の変化ではなく、自己の認識の変化によるものです。
- 自分の発表が、ゼミの仲間たちの鋭い質問によって、いつも論破されてしまっていたから。
- 自分では完璧だと思って準備したにもかかわらず、本番では緊張でその成果を十分に発揮できなかったと感じていたから。
- 発表の内容よりも、他の学生からの評価や、教授からの受けばかりを気にしてしまっていたから。
- 自分の設定した、非現実的なほどに高い完璧さの基準に、現実の自分の発表が、決して到達することがなかったから。
- 1. 仲間から「論破され」ていたという記述はありません。後悔は、他者との比較ではなく、自己評価から来ています。
- 2. 「成果を十分に発揮できなかった」という側面もあるかもしれませんが、より根本的な原因は、その「成果」に対する自己評価の基準にあります。
- 3. 他者評価を気にしていたのは事実ですが、後悔の直接的な原因は、その評価に応えられたかどうか、というより、自分自身が定めた基準に達しなかったことにあります。
- 4. 「入念に準備をし、これで完璧だと思っても」という段階で、非常に高い基準を設定しています。しかし、現実の発表がその「完璧」のイメージ通りになることはありません。この、理想と現実のギャップが、「内容とは裏腹に、いつも後悔だけが残った」ことの最も本質的な理由です。教授の「百点満点を目指しすぎている」という指摘も、これを裏付けています。
- 「私」は、ゼミの発表で、いつも仲間たちから高い評価を得ていた。
- 田中教授は、学生の自主性を重んじ、発表の内容には一切口出ししない方針だった。
- 「私」は、教授の助言の後、発表の準備を全くしなくなった。
- 「私」は、完璧ではない自分の発表から、活発な議論が生まれるという経験をした。
- 1. 「後悔だけが残った」とあり、他者から高い評価を得ていたとは考えにくいです。
- 2. 学生を研究室に呼んで、個別に的確なアドバイスをしており、「一切口出ししない」わけではありません。
- 3. 楽になったのは、本番に臨む「気持ち」であり、「準備を全くしなくなった」わけではありません。
- 4. 「完璧ではない、ぎこちない発表。しかし、そこから、以前にはなかった、活発な質疑応答が生まれることもあった」という最後の記述と、内容が合致します。
【正解と解説】
正解 → 2
【設問3】教授の言葉を聞く前の「私」が、発表後に「いつも後悔だけが残った」のはなぜか。その理由として最も考えられるものを、次の中から一つ選べ。
【正解と解説】
正解 → 4
【設問4】本文の内容と合致するものを、次の中から一つ選べ。
【正解と解説】
正解 → 4
語句説明:
入念(にゅうねん):細かい点まで、注意深く、丁寧に行うさま。
早鐘(はやがね):危険や緊急事態を知らせるために、立て続けに鳴らす鐘。ここでは、心臓が激しく鼓動する様子のたとえ。
裏腹(うらはら):一つのものの裏と表のように、密接に関係しながら、正反対であること。
処世術(しょせいじゅつ):世間をうまく渡っていくための才覚や方法。