現代文対策問題 31

本文

その日、私は、祖母の古いミシンの前に座っていた。祖母が亡くなってから、このミシンが動くことはなかった。洋裁の仕事をしていた祖母は、この一台のミシンで、私や母の服を、それこそ魔法のように仕立ててくれた。カタカタと小気味よい音を立てるミシンの隣で、私は、布が服に変わっていく様を、飽きもせず眺めていたものだ。

母は、このミシンをもう処分したらどうか、と言う。場所を取るだけだし、もう使う人もいないのだから、と。母の言うことは、もっともだ。しかし、私には、どうしても「うん」とは言えなかった。このミシンは、私にとって、ただの古い機械ではなかったからだ。

私は、そっとミシンのペダルに足を乗せてみた。もちろん、電源は入っていない。しかし、そのひんやりとした鉄の感触が、足の裏から、忘れていた記憶を呼び覚ます。祖母の丸まった背中、真剣な横顔、そして、時折、私に向けられる優しい眼差し。それは、既製品の服を買うだけでは決して得られない、愛情という名の温もりだった。

ミシンを処分するということは、その温もりごと、捨ててしまうことのように思えた。私は、ミシンにかかっていた布カバーを、もう一度、そっとかけ直した。まだ、さよならは言えそうにない。このミシンが奏でた音が、まだ、私の耳の奥で鳴り響いている。


【設問1】傍線部①「このミシンは、私にとって、ただの古い機械ではなかった」とあるが、これはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。

  1. 祖母から譲り受けた高価なアンティーク品であり、金銭的な価値が高いものだった。
  2. 祖母の愛情や、共に過ごした温かい時間の記憶が染みついた、かけがえのない存在だった。
  3. 自分もまた洋裁の仕事に就きたいと考えており、そのための大切な道具として、手元に残しておきたかった。
  4. 祖母が亡くなった原因に関わる品であり、見るたびに悲しい気持ちになる、忘れたい過去の象徴だった。
【正解と解説】

正解 → 2

  • 1. 「高価なアンティーク品」「金銭的な価値」といった記述は本文に一切ありません。価値はもっと情緒的なものです。
  • 2. 「私」にとってミシンは、単なる機械ではなく、「祖母の丸まった背中、真剣な横顔」「私に向けられる優しい眼差し」といった、祖母との思い出と直結しています。そして、その思い出は「愛情という名の温もり」として認識されています。したがって、ミシンは祖母の愛情の記憶そのものであり、「かけがえのない存在」であるというこの説明が最も適切です。
  • 3. 「私」が「洋裁の仕事に就きたい」という記述はありません。
  • 4. 「悲しい気持ちになる」「忘れたい過去の象徴」ではなく、むしろ「温もり」を感じさせる、大切にしたい過去の象徴です。

【設問2】傍線部②「ミシンを処分するということは、その温もりごと、捨ててしまうことのように思えた」とあるが、この時の「私」の心境の説明として、最も適当なものを、次の中から一つ選べ。

  1. ミシンを失うことで、祖母との思い出までが物理的に消滅してしまうような、強い喪失感を恐れている。
  2. 母の合理的な提案に対し、感情的に反発し、意地でも祖母の遺品を守り抜こうと決意している。
  3. 祖母の形見であるミシンを処分することが、祖母本人に対する裏切り行為のように感じられている。
  4. 古いミシンを使い続けることで、祖母の技術を受け継ぎ、その偉大さを証明したいと考えている。
【正解と解説】

正解 → 1

  • 1. 「私」にとって、ミシンは祖母の愛情や「温もり」の記憶と一体化しています。そのため、物理的な存在であるミシンを「処分する」ことが、非物質的な記憶や温もりまでをも「捨ててしまう」ことのように感じられ、それに対する「強い喪失感」を抱いています。だからこそ、「さよならは言えそうにない」のです。この説明が、彼女のためらいの核心を的確に捉えています。
  • 2. 「感情的に反発し、意地でも」という対立的な姿勢は読み取れません。母の言うことが「もっともだ」と理解はしており、あくまで自分自身の内面的な葛藤です。
  • 3. 「裏切り行為」というほど強い罪悪感よりは、自分自身のアイデンティティに関わる喪失感の方が近いです。
  • 4. 「技術を受け継ぎ」「偉大さを証明したい」といった積極的な目標は読み取れません。むしろ、過去を失いたくないという、守りの姿勢です。

【設問3】本文における母と「私」の、ミシンに対する考え方の違いの説明として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 母はミシンを過去の遺物と捉えているのに対し、「私」は未来への可能性を秘めた道具だと捉えている。
  2. 母はミシンを実用的な道具として見ているのに対し、「私」は金銭的価値のある骨董品として見ている。
  3. 母はミシンを場所を取るだけの不要な物と合理的に判断しているのに対し、「私」は祖母との思い出が宿る情緒的な対象として捉えている。
  4. 母はミシンを早く処分してしまいたいと考えているのに対し、「私」も本当は処分したいが、きっかけがつかめずにいる。
【正解と解説】

正解 → 3

  • 1. 「私」もミシンを「未来への可能性」として捉えているわけではありません。あくまで過去の思い出の象徴です。
  • 2. 「私」は「金銭的価値」を重視してはいません。
  • 3. 母は「場所を取るだけだし、もう使う人もいない」という、極めて「合理的」な視点からミシンを「不要な物」だと判断しています。それに対して、「私」はミシンを「祖母との思い出が宿る」「情緒的な対象」として捉え、処分することに抵抗を感じています。この二人の考え方の対比を、最も的確に説明しています。
  • 4. 「私」は「どうしても『うん』とは言えなかった」とあるように、処分したいとは考えていません。

【設問4】本文の内容と合致するものを、次の中から一つ選べ。

  1. 「私」の祖母は、趣味で自分の服を作るのが好きな、ごく普通の主婦だった。
  2. 「私」は、祖母のミシンを使って、自分の服を仕立てることができる。
  3. 「私」は、母の提案に同意し、近いうちにミシンを処分することにした。
  4. 「私」は、ミシンに触れることで、今は亡き祖母との思い出を鮮明に思い出した。
【正解と解説】

正解 → 4

  • 1. 「洋裁の仕事をしていた祖母は」とあり、「趣味」ではなくプロでした。間違いです。
  • 2. 「もう使う人もいない」という母の言葉や、「私」がミシンを動かしていない様子から、「私」がミシンを使えるとは考えにくいです。
  • 3. 「まだ、さよならは言えそうにない」と、処分しないことを決めています。間違いです。
  • 4. 「ペダルに足を乗せてみた」「ひんやりとした鉄の感触が、足の裏から、忘れていた記憶を呼び覚ます」とあり、ミシンに触れることが、祖母の記憶を呼び覚ますきっかけとなっています。内容と合致します。

語句説明:
洋裁(ようさい):洋服を仕立てること。
小気味よい(こきみよい):動きなどがきびきびしていて、見ていて気持ちがいいさま。
既製品(きせいひん):すでに出来上がった製品として売られている品物。オーダーメイドや手作りではないもの。
もっともだ:その通りだ。理にかなっている。

レベル:大学入学共通テスト対策|問題番号:31