現代文対策問題 30
本文
私が子供の頃、父は単身赴任で、家にいることは滅多になかった。たまに家に帰ってきても、疲れているのか、いつもリビングのソファで黙って新聞を読んでいるだけ。父との思い出と言われても、すぐに思い浮かぶものは、ほとんどなかった。私にとって父は、いるのかいないのか分からない、影の薄い存在だった。
先日、母が古いアルバムを整理しているというので、手伝いがてら、一緒にページをめくっていた。私の知らない、若い頃の両親の写真。楽しそうに笑う二人の姿に、何だか照れくさいような気持ちになる。そして、ある一枚の写真に、私の目は釘付けになった。
それは、私がまだ赤ん坊の頃の写真だった。ベビーベッドで眠る私を、一人の男が、見たこともないような優しい目つきで、じっと見つめている。日に焼けた、ごつごつした手。それが、私の父だった。私が眠っているのをいいことに、彼は、ありったけの愛情を、その眼差しに込めている。写真の中の父は、私が知っている、あの無口で無表情な父とは、まるで別人だった。
母が、その写真を見て言った。「お父さんね、あなたが可愛くて仕方なかったのよ。でも、どう接していいか分からなくて、いつも遠くから見てるだけだった」。その言葉と写真が、私の心の中にある、父の空っぽだった場所に、温かい色を塗り始めた。父は、ただ、そこにいなかったのではない。声には出さず、そばにはいなくても、確かに、私を愛してくれていたのだ。
【設問1】傍線部①「いるのかいないのか分からない、影の薄い存在だった」とあるが、これはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 父が家族に対して完全に無関心で、家庭内で全く存在感を発揮していなかったということ。
- 父との接触が極端に少なく、また、その印象も希薄であったため、父に対する明確なイメージを持てずにいたということ。
- 父の存在を、自分にとって不都合なものだと感じており、意図的にその存在を意識の外に置いていたということ。
- 父が、自分の他に、もう一つ別の家庭を持っているのではないかと、密かに疑っていたということ。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 「完全に無関心」だったかどうかは、この時点では「私」には判断できません。あくまで「私」から見た印象です。
- 2. 「単身赴任で、家にいることは滅多になかった」ため物理的な接触が少なく、「たまに家に帰ってきても」「黙って新聞を読んでいるだけ」であったため、コミュニケーションも乏しい。その結果、父の人となりや愛情が伝わってこず、「私」の中に父の具体的な人間像(イメージ)が形成されていなかった状態を、「影が薄い」と表現しています。この説明が最も的確です。
- 3. 「不都合」「意図的に意識の外に」といった、積極的な拒絶の感情は読み取れません。むしろ、関係性の欠如が問題です。
- 4. 「別の家庭」といった、サスペンス的な憶測は、本文の文脈から飛躍しています。
【設問2】傍線部②「その言葉と写真が、私の心の中にある、父の空っぽだった場所に、温かい色を塗り始めた」とあるが、この時の「私」の心境の変化の説明として、最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- これまで感じていた父への嫌悪感が、一転して、熱烈な尊敬の念へと変わった。
- 父の愛情の深さを初めて具体的に知り、これまで抱いていた父のイメージが、愛情に満ちたものへと塗り替えられていった。
- 父が自分を愛してくれていたことを知り、もっと父に甘えればよかったという、後悔の念に苛まれるようになった。
- 父と母の深い絆を知ったことで、自分だけが家族の中で孤立しているような、新たな寂しさを感じるようになった。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 「嫌悪感」というほど強い否定的な感情は元々なく、「熱烈な尊敬」というのも、この時点では少し大げさです。
- 2. 「私」の中の父の場所は、具体的なイメージがない「空っぽ」な状態でした。しかし、写真という視覚情報と、母の「言葉」という補足情報によって、父が自分を深く愛してくれていたことを初めて知ります。これにより、「影の薄い」という無色のイメージが、「温かい色」、すなわち「愛情に満ちたもの」へと書き換えられていく、という心境の変化を的確に比喩で説明しています。
- 3. 「後悔の念に苛まれる」というネガティブな側面よりは、知らなかった愛情を知ることができた、というポジティブな発見が中心です。
- 4. 「新たな寂しさ」ではなく、むしろ、知らなかった父との繋がりを発見し、心の空白が埋められていく感覚です。
【設問3】写真の中の父が、眠っている「私」を「見たこともないような優しい目つきで、じっと見つめて」いたのはなぜか。その理由として、本文の内容から最も考えられるものを、次の中から一つ選べ。
- 自分の子供が、本当に自分の子であるか、まじまじと確認していたから。
- 普段は気持ちを表現できない分、相手に気づかれない時に、ありのままの愛情を注いでいたから。
- 眠っている「私」の寝顔が、若かった頃の妻の顔にそっくりだったから。
- 単身赴任で滅多に会えないため、その姿を記憶に焼き付けておこうとしていたから。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 「自分の子か確認」という疑いの眼差しではありません。「優しい目つき」とあります。
- 2. 母の「どう接していいか分からなくて、いつも遠くから見てるだけだった」という言葉が最大のヒントです。父は、起きている子供とどう接していいか分からないほど、コミュニケーションが不器用な人物でした。だからこそ、相手が眠っていて、自分のぎこちない反応を気にしなくていい時に、何のてらいもなく、本来持っている「ありったけの愛情」を眼差しに込めることができたのです。
- 3. 「妻にそっくりだった」という記述はありません。
- 4. 「記憶に焼き付けようと」いう側面もあるかもしれませんが、より本質的な理由は、彼の「不器用さ」という性格にあります。なぜ「起きている時」ではなく「眠っている時」なのか、という点がポイントです。
【設問4】本文の内容と合致するものを、次の中から一つ選べ。
- 父は、生前から、日記やアルバムを通じて、「私」に自分の気持ちを伝えようとしていた。
- 母は、父が「私」のことをどう思っていたか、全く知らなかった。
- 「私」は、父が亡くなった後、父の知らなかった一面を知ることになった。
- 「私」は、父の愛情を知った後、父に会えなかった寂しさから、激しく泣き崩れた。
【正解と解説】
正解 → 3
- 1. 父が「伝えようとしていた」わけではありません。「私」が偶然、死後に発見したのです。
- 2. 母は「お父さんね、あなたが可愛くて仕方なかったのよ」と、父の気持ちをよく理解していました。間違いです。
- 3. 「父が亡くなって、もう三年になる」時に、初めて日記や写真を見て、「私の知らない父の、生身の姿」や愛情を知った、という本文全体の流れと合致します。
- 4. 「頬を、温かいものが、静かに伝っていった」とあり、静かな感動の涙です。「激しく泣き崩れた」という描写とは異なります。
語句説明:
単身赴任(たんしんふにん):配偶者や子供を住居に残し、一人で遠隔地に転勤すること。
希薄(きはく):ある要素の濃度や密度が低いこと。ここでは、人間関係や印象が薄いこと。
釘付け(くぎづけ):ある場所から動けないようにすること。ここでは、視線が一点に集中して離れない様子。