現代文対策問題 27
本文
私が子供の頃、近所に一人の風変わりな老人が住んでいた。彼は、毎日、公園の片隅で、ただひたすら地面に絵を描いていた。小石を拾い、それで地面に鳥や、魚や、花の絵を描く。しかし、その絵は、夕方になると彼自身の手で、静かに消されてしまうのだ。子供の私には、その行為が、ひどく虚しいものに思えた。せっかく描いたのに、なぜ消してしまうのだろう。意味のないことだ、とさえ思った。
ある日、私は思い切って、彼に尋ねてみた。「どうして、消しちゃうの?」。老人は、私の問いに驚いた様子もなく、穏やかに答えた。「明日は、また新しい絵が描けるだろう。地面は、無限にあるからね」。その答えの意味が、当時の私にはよく分からなかった。
それから二十年が経ち、私はウェブデザイナーとして、日々の仕事に追われている。クライアントの要望に応え、何度もデザインを作り直し、納品すれば、そのデータはすぐに過去のものとなる。昨日までの苦心作が、次の日にはもう、誰の記憶にも残らない。ふと、あの老人のことを思い出す。
彼は、結果や、作品が残るかどうかには、こだわっていなかったのだ。彼にとって大切だったのは、おそらく、「描く」という行為そのもの、その瞬間の心の躍動だったのだろう。消え去ることを前提としながら、それでも毎日、描き続ける。その潔い生き様を、今の私は、少しだけ理解できるような気がする。そして、途方もなく、尊敬するのだ。
【設問1】傍線部①子供の頃の「私」が、老人の行為を「ひどく虚しいものに思えた」のはなぜか。その理由の説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 老人の絵が、子供の目から見ても、あまり上手ではないと感じられたから。
- 努力して作り上げたものは、形として残し、他者から評価されてこそ価値があると考えていたから。
- 老人が誰からも評価されず、孤独に絵を描き続ける姿に、同情と哀れみを感じたから。
- 毎日同じ絵ばかりを描き続ける老人の行為に、創造性の欠片も感じられなかったから。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 絵の「上手」「下手」については、本文に一切記述がありません。
- 2. 子供時代の「私」は、「せっかく描いたのに、なぜ消してしまうのだろう」と疑問に思っています。これは、成果物(絵)が「残ること」に価値があるという、一般的な価値観に基づいています。努力の成果が消されてしまうこと、つまり形として残らず、誰からも評価される機会がないことが、「虚しい」「意味のないことだ」と感じさせた根本的な理由です。
- 3. 「同情」や「哀れみ」というよりは、行為そのものに対する「なぜ?」という素朴な疑問や理解不能な気持ちが中心です。
- 4. 「毎日同じ絵ばかり」描いていたという記述はなく、鳥や魚や花など、様々なものを描いています。
【設問2】傍線部②「消え去ることを前提としながら、それでも毎日、描き続ける」という老人の生き様について、「私」が大人になってから理解したことの説明として、最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 形として残る成果物よりも、その瞬間の創造的な行為自体に、本質的な喜びや価値を見出していたということ。
- 自分の作品が他人に評価されることを極端に恐れ、世間から距離を置くことで、自分の心を守っていたということ。
- 来る日も来る日も同じ行為を繰り返すことで、精神を統一し、悟りの境地に至ろうとしていたということ。
- 自分の芸術的な才能を誰にも理解されないことへの絶望から、自暴自棄になって、無意味な行為を繰り返していたということ。
【正解と解説】
正解 → 1
- 1. ウェブデザイナーである「私」は、「納品すれば、そのデータはすぐに過去のものとなる」という、自分の仕事と老人の行為を重ね合わせます。その上で、「彼にとって大切だったのは、おそらく、『描く』という行為そのもの、その瞬間の心の躍動だったのだろう」と結論づけています。成果が残るかどうか(結果)ではなく、創造するプロセスそのものに価値を見出す生き方を理解した、というこの説明が最も的確です。
- 2. 「恐れ」からくる消極的な行為ではなく、もっと積極的で肯定的な価値観に基づいた行為として描かれています。
- 3. 「悟りの境地」といった、宗教的・哲学的な修行としてまでは描かれていません。もっと個人的で、日々の喜びに関わるものです。
- 4. 「絶望」や「自暴自棄」といったネガティブな感情は、老人の「穏やか」な態度とは相容れません。
【設問3】老人の「明日は、また新しい絵が描けるだろう。地面は、無限にあるからね」という言葉の真意として、本文の内容に照らして最も考えられるものを、次の中から一つ選べ。
- 過去の成功や失敗に執着せず、常に未来の新しい創造の可能性に目を向けるべきだという考え。
- 自分の描く絵は、その場限りの価値しかないつまらないものだという、自己卑下的な気持ち。
- 子供である「私」の素朴な疑問を、適当な言葉ではぐらかし、煙に巻こうとする意図。
- 一つの場所に固執せず、様々な場所を転々としながら、創作活動を続けるべきだという教え。
【正解と解説】
正解 → 1
- 1. 絵を消す行為は「過去」との決別を、そして「明日は、また新しい絵が描ける」という言葉は「未来」への希望を象徴しています。「地面は、無限にある」とは、創造のキャンバス(可能性)は無限であるということです。つまり、一つの成果(過去)に固執するのではなく、常に新しい創造(未来)へと向かうべきだ、という彼の創作に対する哲学や人生観を示していると解釈するのが最も適切です。
- 2. 「自己卑下」ではなく、むしろ前向きで力強い哲学が感じられます。
- 3. 「はぐらかし」や「煙に巻く」といった不誠実な態度ではなく、彼の生き方の本質を突いた言葉です。
- 4. 「地面」は物理的な場所ではなく、創造の可能性の比喩です。「場所を転々と」すべきだという意味ではありません。
【設問4】本文の内容と合致するものを、次の中から一つ選べ。
- 「私」は、子供の頃から、老人の生き方に深い感銘を受け、尊敬していた。
- 老人は、描いた絵が人に見られるのを嫌い、誰にも見つからないように隠れて描いていた。
- 「私」の現在の仕事は、作ったものが形として永続的に残る、という特徴を持っている。
- 「私」は、大人になってから、過去に理解できなかった老人の言葉の意味を、自分なりに解釈できるようになった。
【正解と解説】
正解 → 4
- 1. 子供の頃は「ひどく虚しいものに思えた」とあり、尊敬はしていませんでした。間違いです。
- 2. 「公園の片隅で」描いており、隠れてはいません。「私」もそれを見ていました。間違いです。
- 3. ウェブデザイナーの仕事は、「納品すれば、そのデータはすぐに過去のものとなる」とあり、永続的に残るわけではありません。間違いです。
- 4. 子供の頃は「よく分からなかった」老人の行為や言葉の意味を、自身の仕事経験を通して、「今の私は、少しだけ理解できるような気がする」とあるように、後になって解釈できるようになった、という本文全体の流れと合致します。
語句説明:
虚しい(むなしい):空っぽで、内容がない。努力や行為の結果が何もなく、張り合いがない。
潔い(いさぎよい):思い切りがよく、未練がましくない。さっぱりしている。
途方もない(とほうもない):並外れている。とんでもない。